中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

シャボン玉とタンポポの綿毛、昔々子供に遊んでもらった頃の話

1.「子供に遊んでもらった」再論

いつもは、哲学や、政治、広義の古典等堅い本や、政治、社会コメ

ントのことばかり考えていますが、本日は、ふと昔ばなしです。

はてなの「お題」ではありませんので、悪しからず

 何度かこのブログでも書きました、「自分のこどもに遊んでもら

った」という事がよくあります。

土日中心に私が幼い二人の子供を遊ばせている(20年以上前)のですが、

 子供の思わぬ反応が、面白くて、全く御想定外であり、それに対応して

いると「私のほうが遊んでもらった」と感じたわけです。

 今日は、シャボン玉とタンポポの綿毛の話。

とはいえ、、一般論を書いても、知識・教養もないので、

個別案件、私の個人的思い出です。 

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シャボン玉は自分で膨らますのが基本

2.シャボン玉

(1)シャボン玉は、幼児から小学校低学年の定番遊びのひとつ

かと思います。

ここに、長男、事案、私の昔のシャボン玉写真があります。

シャボン玉は、やはり技術が必要であって三歳児の長男はシャボン玉

をうまく創れますが、一歳児の次男はできなくて手持無沙汰の様子。

次男は残念やら、悔しいいやら、なんとも表情が作れない、というの

が妻の解説です。

(2)時代は下って、東京竹橋に科学技術館があって、小学校低学年の、

息子二人を連れて行ったことがあります。

子供が入れる大きなシャボン玉が作れて、実際子供も体験しました。

現在も、類似の展示があって、以下のようでした。

(なお、イラスト(写真)があるのですが、版権があるでしょうし

 割愛します。)

2.でっかいしゃぼん玉

 人が入ることができる大きなシャボン玉を作る装置です。

シャボン玉の中の人も外の人も、流れる虹のような色の変化

やわずかな風にゴム膜のように揺れる不思議な膜を観察する

ことができます。

 現在、感染症対策のため、シャボン玉の中に入る体験はできません。

外からシャボン玉を作ることは可能です。

 sシャボン玉は、自分で自由自裁に膨らますことが魅力でしょう。

はかなくすぐ消えるのも、子を持つ大人の身としては、何とも言

えない哀愁を感じます。

さて、ここ科学技術館では、「自分が中に入ることができる大きな

シャボン玉」であり、従前の彼等の価値観を崩す、面白い体験だった

かと、察します。

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タンポポの綿毛は春ですかね

3.タンポポの綿毛

 (1)タンポポの綿毛も、子供の遊びの定番だったようです。

自宅近くの公園や、少し車で出かけた川べりの土手にも、タンポポ

が生えていて、子供が綿毛を飛ばして、よく遊んだものでした。

子供の「幼稚園情報」に端を発したのかもしれません。

春先の数年間、タンポポの綿毛騒動は、続いていたと思います。

そもそも「綿毛」とはなんだろうと、引いてみると、ありました。

タンポポの花全体を「頭花」と呼び、そのなかの花びら一枚一枚を

「舌弁花」といいます。

この小さな花を舌弁花の下には実になる子房があり、その上に毛状の

突起の「冠毛」が生えていて、これが綿毛になります。

子房が熟して種ができると、冠毛が乾燥して放射状に開いて、真っ白

な綿毛になります。

(2)タンポポ綿毛で、「心眼写真」の印象に残っているのは、軽井沢の

沼地(小池?)の上に、タンポポの綿毛が日を浴びてキラキラしながら

多数舞っているシーンです。

当時は、就職先の大手企業には経済的余裕があり、福利厚生施設として

の「保養所」なるものがあり、家族を連れて訪問したことがありました。

記憶も薄れましたが、暑くも寒くもない春先であり、車を降りて、家族

で散歩していたのではないかと。。。

 

4.最後に

今日のブログは、いったい何を主張したいの?となりますが

取り立ててありません。分析も批評も一切無しです。

非常に個人的な、子供との思い出をつづっただけでした。