1.「子供に遊んでもらった」再論
いつもは、哲学や、政治、広義の古典等堅い本や、政治、社会コメ
ントのことばかり考えていますが、本日は、ふと昔ばなしです。
はてなの「お題」ではありませんので、悪しからず
何度かこのブログでも書きました、「自分のこどもに遊んでもら
った」という事がよくあります。
土日中心に私が幼い二人の子供を遊ばせている(20年以上前)のですが、
子供の思わぬ反応が、面白くて、全く御想定外であり、それに対応して
いると「私のほうが遊んでもらった」と感じたわけです。
今日は、シャボン玉とタンポポの綿毛の話。
とはいえ、、一般論を書いても、知識・教養もないので、
個別案件、私の個人的思い出です。
2.シャボン玉
(1)シャボン玉は、幼児から小学校低学年の定番遊びのひとつ
かと思います。
ここに、長男、事案、私の昔のシャボン玉写真があります。
シャボン玉は、やはり技術が必要であって三歳児の長男はシャボン玉
をうまく創れますが、一歳児の次男はできなくて手持無沙汰の様子。
次男は残念やら、悔しいいやら、なんとも表情が作れない、というの
が妻の解説です。
(2)時代は下って、東京竹橋に科学技術館があって、小学校低学年の、
息子二人を連れて行ったことがあります。
子供が入れる大きなシャボン玉が作れて、実際子供も体験しました。
現在も、類似の展示があって、以下のようでした。
(なお、イラスト(写真)があるのですが、版権があるでしょうし
割愛します。)
2.でっかいしゃぼん玉
人が入ることができる大きなシャボン玉を作る装置です。
シャボン玉の中の人も外の人も、流れる虹のような色の変化
やわずかな風にゴム膜のように揺れる不思議な膜を観察する
ことができます。
現在、感染症対策のため、シャボン玉の中に入る体験はできません。
外からシャボン玉を作ることは可能です。
sシャボン玉は、自分で自由自裁に膨らますことが魅力でしょう。
はかなくすぐ消えるのも、子を持つ大人の身としては、何とも言
えない哀愁を感じます。
さて、ここ科学技術館では、「自分が中に入ることができる大きな
シャボン玉」であり、従前の彼等の価値観を崩す、面白い体験だった
かと、察します。
3.タンポポの綿毛
(1)タンポポの綿毛も、子供の遊びの定番だったようです。
自宅近くの公園や、少し車で出かけた川べりの土手にも、タンポポ
が生えていて、子供が綿毛を飛ばして、よく遊んだものでした。
子供の「幼稚園情報」に端を発したのかもしれません。
春先の数年間、タンポポの綿毛騒動は、続いていたと思います。
そもそも「綿毛」とはなんだろうと、引いてみると、ありました。
タンポポの花全体を「頭花」と呼び、そのなかの花びら一枚一枚を
「舌弁花」といいます。
この小さな花を舌弁花の下には実になる子房があり、その上に毛状の
突起の「冠毛」が生えていて、これが綿毛になります。
子房が熟して種ができると、冠毛が乾燥して放射状に開いて、真っ白
な綿毛になります。
(2)タンポポ綿毛で、「心眼写真」の印象に残っているのは、軽井沢の
沼地(小池?)の上に、タンポポの綿毛が日を浴びてキラキラしながら
多数舞っているシーンです。
当時は、就職先の大手企業には経済的余裕があり、福利厚生施設として
の「保養所」なるものがあり、家族を連れて訪問したことがありました。
記憶も薄れましたが、暑くも寒くもない春先であり、車を降りて、家族
で散歩していたのではないかと。。。
4.最後に
今日のブログは、いったい何を主張したいの?となりますが
取り立ててありません。分析も批評も一切無しです。
非常に個人的な、子供との思い出をつづっただけでした。