内なる辺境/都市への回路
安部公房/著
出版者 中央公論新社 2019.4
1.概要
(1)まずは一般的解説から
現代の異端の本質を考察した連作エッセイ「内なる辺境」、
芸術観のすべてを語った「都市への回路」。
前衛作家の創造の核心を知りうる好著の合本。
とあります。
目次を紹介すると、
内なる辺境の章立てとして
ミリタリィ・ルック 端のパスポート
内なる辺境
チェコ問題と人間解放 鎖を解かれた言葉たち
続・内なる辺境
都市への回路の章立てとして
都市への回路 内的亡命の文学
変貌する社会の人間関係
(2)私には、今回も難しい
「いっちょう読んでみようか」と手に取りましたが、今回もとても
難しい。
上記解説にあるような「前衛」という言葉自体もよく解からない。
ヤマザキマリさんが彼をとても評価していたのを知っている。
また東大医学部卒で、賢い理系なのだろうな、くらいは、思って
いました。
今回、「内なる辺境」や「続・内なる辺境」は、いまいちしっくりこず、
本来なら「敗戦記」行きとして整理すべきところ、「異端へのパスポート」
や「都市への回路」の一部分、ドナルド・キーンの解説が、おぼろげなが
ら理解できたということで、ここにに紹介します。
2.「異端へのパスポート」から引用
パラントロプスとともに滅びたのは、単なる社会性や非暴力ばかり
ではなく、定着しか知らぬあまりにも非暴力的な社会だったという
ことだ。そして、そこからはみ出した異端の群れだけが、人類の歴
史にむかって急進撃を開始したのである。この異端性と、移動本能
こそ、われわれの心臓に深く刻み込まれた、未来へのパスポートな
のかもしれないのだ。 P30
(「仲間と一緒に、年中ふらふらうろつきまわっている」以下の
記述を受けて)
べつに新宿のフーテン族のことを言っているわけではない。現代若
者気質を誇張して行ってみたわけでもない。実は、司馬遷の史記列
伝から、匈奴に関する記述の一節を、ちょっぴり変形して書いた見
ただけのことだ。 P42
国境の中では、空間も時間も、すべて国境の中だけの独自な法則で、
存在し、流れているのだ、と思い込んでいた定着民たちにとって、
外の空間でも、やはり同じ時間が流れていたのだという発見は、
どんな品物の功績や、知識の交流よりも、衝撃的な体験だったに
相違ない。 (1968年9月) P44
3.「都市への回路」から引用
音楽ほどじゃないけれど、演劇も、かなりアナログ的なものなん
だね。
特に空間・時間の関わり方、例えば、芝居を十五分見て、ちょっ
と用があるからと中断し、翌日十五分目から観始めても、ちょっ
と具合が悪いだろう。
でも小説は、読んでいる途中でちょっとトイレに行って、また戻
ってきて続きを読んでも、そう影響はない。また、小説は、いくら
面白いと言っても、そう反復して読まないね。
ところが好きな音楽は何度でも繰り返して聞く。音楽は現在進行形で、
その瞬間にしか存在しないからなんだ。概念化された符牒として記憶
に刻まれることはない。だから、何度でも反復して聴けるわけだし、
また、聴いている間だけしか音楽との関係が生じない。
文学は読み終わっても関係が残るから、繰り返して読むということは
あまりない。ここに本質的な違いがあるわけだ。
演劇も、やや音楽と似ていて、アナログ的な要素がかなり強いんだ。
P211
今の日本の現状は誠に非暴力的な世界だね。ある人たちは眠りこけて
いる平和だとか何とか言ってケチをつけるけど、眠りこけているのは
自分のほうで、眠るか眠らないかは別に国家とは関係ないと思うんだ。
(中略)
われわれの日々が活力を失っているからと言って国家を責めるのは少
しお門違いなんじゃないかな。いつでも暴力が喚起されるのは国家が
衰弱し始めた時だ。国家機能にうんとゆとりがあるときは、国家機能
がゼロの時と似ていて暴力を起こす必要なんかどこにもない。 P248
4.解る範囲での感想
「引用なんぞ、こんな時代に何の意味がある」と言われると、読み手
より、まさに書き手の私に意味があることで、ごめんなさい。
何とか、私がそれなりに理解できて、「共感あり」もしくは「明確な反
論あり」といったものしか、引用しないことにしています。
阿部公房の全容を味わうにはなるか離れていますが、異端性や、
演劇のアナログ性は、解ったつもりです。
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