1.常識に基づく知的武装
大そうな小見出しにしましたが、今日書くのも至って当たり前のこと。
私はこのブログで古典もよく紹介していて、そこで何度も書いている
のですが
「人間の感性は変わらない。昔も今も」ということ。
ドメスティケーション以降、少なくとも1万年以上人間の脳は変わって
いないそうて、つまり人間の感性の方も、変っていないのでしょう。
それを踏まえて
いままで生きてこれたのは幸運であり、そして今後も生き抜くためには
常識に基づく知的武装が必要、ということ。
常識で考えて「なんか変だな」という事は、おそらく当たっているで
しょうし、感情に?流されない冷静さを保持することが必要です。
一体、何を話しているんだ?となりそうで、事例をもとにしましょう。
2.私が変に感じる事例
私が変だと感じる事例は,ヤマほどあるのですが、かなり広範囲情報が流れ
た事例で、直近のものを、例にとります。
(1)米国のBLM活動で、ジョージ・フロイド氏の事件でおお騒ぎとなり
ました。彼を逮捕した警官の有罪の評決となり、騒動は一服したようです。
今日の視点は「フロイド氏を賛美するような報道」がいくつもあった事。
それは変だと思います。
BLMの思想、活動とは別で、彼自身が犯罪者であることは、変りません。
死亡事件の発端は、犯罪を犯して、公権力といざこざになったこと(決し
て思想信条の対立ではなく)が出発点であり、「冷静」に公(おおやけ)
になった情報を見ると、私見は「圧力を受けた評決結果」はどうかと
思います。
私見はここでは置いといて、言いたいのは「犯罪者個人への賛美報道」は、
私の常識とは相いれません。
民間人の女性・子供も先頭に巻き込む非道のイスラエル軍、との報道は
どうも不正確で、ハマスをテロ組織指定していることや、彼等も民間人
を「人間の盾」とし、自己の安全を図る戦略も報道すべきでしょう。
一般的に日本人の関心が薄く、情報が乏しいだけに一層、いわいる地上波
テレビとか、一般的な新聞は、少なくとも双方の立場を、つたえるべき
でしょう。
(3)直近の入管法改正法案の廃止
特定事件にからめて、感情を煽って一方的な報道も、ますメディアがよく
やる手法です。ほんの一例を、あたかも全体と思わせわざと誤認させる手
もよく使います。
よく理解sていないで「声の大きい」著名人を使うのも、よくやります。
極めつけは、閣議決定し、爪に詰めた法案を、「選挙に負けるから」とひっ
こめてしまう、与党には。ほんとびっくり。
国家の将来を考えた改正法の成立より、目先の選挙の有利不利を優先という
政治家の思考パターンが良く解ります。
3.少し考えたこと
タイトル通り「人間の感性か変わらない」のですが、テクノロジーの発達
や、絶対的ひとりの強者(情報を完全鮪コントロールできる主体)の不在
のこともあり、かえって以前より「情報操作、印象操作」ができやすい気
がします。
一つ上げると
「世界が涙した。」「アジアが怒っている。」「大多数の市民団体が反対
している。」等等、根拠なし、数字なしで、感情に訴えるのは、文学的
表現としてはいいし、対象物を販売促進したい手法の一つといえます。
同じ手法が、映画や書籍についても言えます。
販売促進はいいとしても、「報道」に使うのは、困ったもの。
また、 強者=悪、弱者=善であり、「弱者はかわいそうだろう」、に訴える
ことはよくあります。(偽善も含めて)
インパクトのある映像を多用、繰り返し流し、感情を刺激するのは得意な
ところでしょう。
4.まとめ的に
(1)マズメディア含め一連の報道には、鵜呑みの対応をせず常識をもって
冷静に対応すること。その意味で継続的な情報収集は必要でしょう。
冷静になり、蓄積された常識も活用し自分の頭でよく考えること。
(2)広義のメディアには自分で対応できるとして、現任の政治家には批判
しても無理な要素が多そう。。
「この程度の人間を、選挙で自分が選んだのだから、仕方ない」との諦め理論
しかない気がします。
もちろん、選挙は終わりでなく、今後も継続しますが・・
「元々選びたい対象者がいない」との見解は、対抗できません。
それこそ「諦観」しかないでしょう。
(3)明るく考えましょう
そうはいっても、人間社会は続いています。
私が考えそうなことは、1万年以上前から、考えている人がいたはず
もっと真摯に、もっと広い視野で、もっと精緻な理論で・・・
その意味では、生物のうちでマシな世界なのでしょう。
先人より、有利なのは、私が生きていて、先人から学ぶこと出来ること。
どうこう言っても、まだこの世界は続いているそれでよしとしましょう