中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

ものは言いよう 感情論も必要でしょうが行き過ぎはどうも困る、客観的な分析は必要

1.ものは言いよう

(1)最近、 内閣官房参与高橋洋一さんのコメントで、みず

からツイッターに、各国の新型コロナウイルスの感染者数の

グラフとともに

「日本はこの程度の『さざ波』。これで五輪中止とかいうと笑笑」

との投稿があったとのこと。

この記事が、「炎上」という形で、注目を集めたようです。

否定、肯定、さまざまな意見がメディア上に現れていいます。

(2)私見としては、

 新型コロナ感染の客観的な数字比較を知る資料が話題となり、

はじめて確認した人もいたのではという意味では、良かった

かと思います。

どうも、新型コロナに関して、感情論が先立ち一方的な主張

が多い中で

特定勢力が包み隠していて、触れたくないであろう現実数字に

対し、注目度を挙げたことは結果としてよかったかと。

人間は感情の動物であり、恐怖心を煽る勢力にとって「さざ波」

という表現は突っ込みどころ満載であり、また内閣参与という

政府側立場の役職もある中での五輪開催可否言及や、(笑・笑)

という表現は、軽率だったかも知れません。

マイナスを被っている人への「失言」として、反対メディアが

叩く口実とはなるでしょう。

その際メディアは、自分たちのゆがんだ報道姿勢でマイナスを

被っている人がいるには考慮しないのでしょう。

しかし、諸外国の感染・死亡事例の数値から日本が極端に少な

のは客観的な事実であり新型コロナで「煽られている人々」

にとって、明白な事実認識の機会ができたのは、良い事ことか

と、思います。

事実と意見を分けようというのは、議論のイロハのイですよね。

(3)ちょっと、ジャーンリステックな事例を持ち出しました

ものは言いようというのは、広くあてはまるケースです。

 例えば「望みを捨てるな、頑張ろう」という趣旨で

コップの中の水が、もう半分しかない、ではなく

コップの中の水は、まだ半分もある、と使うことがあります

 また、

株価が大きく下落した場合とか、河川が氾濫して被災した場合

〇〇以来の大暴落とか、△△以来の降水量とか、いかにも

恐怖心を煽って、注目を集めるニュース報道の典型も多々

あります。

良く分析すると、論点がずれて居たりして・・・・

いつも同じ条件での比較が、分析の基礎でしょうが、それで

は煽りニーズに合わないというのは、良く解ります。

ここで言いたいことも単純で、言い方ひとつ、書き方ひとつ

で、理論ではなく、感情が揺さぶられることも、多いという

こと

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言い方、受け方も人それぞれ

2.前向きの方が「得」

言い方ひとつで、それを受ける方の感情が前向きになったり

後ろ向きになったりすることはよくあります。

捉え方次第、と言ってしまえばあそれまでですが・・・

若い人、一本気な人からすれば、ずるいととらえられるのは、

承知で言いますと、

先のこと、つまり未来は、誰にとっても、いつでも解らない

のだから、後ろ向きより前向きに取らえた方が得でしょう。

つまり楽観的に。

オマエは、生き方を損得勘定で捉えるのか!と言われようが、

答えは、「はいそうです。」ということ。

「最悪の社会」と怒るより「何とか死なずに生きれいられ

て幸運」と受け入れる方が、得な気がします。