1.人間は考える動物であり、知りたがる動物
今日はまた抽象的な話です。
情報収集の本質というと、大げさですが、「人間は、知らないことを
知りたがる動物」なのでしょう。
生物として、生存のためのエネルギー接種、子孫を残すための生殖活
動がまず大事ですが、脳の余裕が出てきて何かと考えること、知りた
がること逆にいうと退屈に耐えられない、動物なのでしょう。
人間が、考える手段というか道具として「コトバ」がまず重要であり、
絵を描く、モノを作るのと同様いやそれ以上に抽象的思考には言葉の
発明が不可欠だったのでしょう。
次は文字の発明とそれを残すこと。
有限な人間の生きる時間、記憶の曖昧さを越えて、能登の地まで情報
を残す事が可能になります。つまり「歴史」の世界に入っていきます。
文字を書いてて記録したモノの一部が「書物」となりますが、書物を
読む行為はみずから能動的に活字をひろいあげてその内容を理解す
る行為であり、それには文字が読めなければならないので、一部の人
間に限られます。
そして、内容を理解するために自分の頭のなかでさまざまな想像や
思考を凝らさねばならない、これも大変です。
自分で様々な創造や思考を凝らしても、理解できない」ことは、多々
あるもので、それは仕方がありませ。
そもそも人類全員が、文字情報を理解できる、と考えること自体に
無理があります。とはいえ情報鵜の質と量に差異があるのは事実です
し、人間社会はこの文字情報により、何とかやっていけます。
歴史の経過と面に、文字情報を理解できる人間の割合は、確実に増え
てたのは周知のとおりです。
3.映像技術というもの
(1)今日の話はまずこの映像技術がもたらしたものが、すごい、
という話です。
映像技術が発明されて百年足らず、日本でテレビという形で一般
向けに普及したのは、50年前くらいからでしょう。
世界中見回しても、60年を上回るものでなく、「世界中に映像技術
が浸透」と言えるのは、20世紀も終わり近くでは?
情報の内容と、受け手であある人間の需要とを比較してみろと
書物は、文字を理解し、内容を理解するために、想像力や思考力が
必要に対して
テレビは、単にぼんやりと受動的に映し出される映像を眺めて、流
れてくる音声を聞くだけでも、情報が取れるという点です。
一部指摘があるように「人間の想像力や思考力を低下させる」とも言
えるかもしれません。
テレビを見ながらいわいる「ながら作業」ができるのも、この点があ
るからかもしれません。
(2)私の情報が不正確なので、以下日本に限定します。