中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

お経で読む仏教(読書感想文もどき)原典である「お経」の現代語訳と優しい解説はありがたい

お経で読む仏教

著者       釈徹宗/著  

出版者    NHK出版 2021.1

1.概要

ブッダの教えからお経のエッセンスまで、仏教が一望できる入門書。

仏教の歴史に沿って「スッタニパータ」「涅槃経」「ミリンダ王の問い」

維摩経」「阿弥陀経」を取り上げます。

それぞれのお経を取り上げ、著者が惹かれた部分を中心に紹介します。

「お経」に書いてあることを、私に解る現代日本語に訳して、内容解説

してくれることが、助かります。

著者の釈撤宗さんは浄土宗本願寺派如来寺の住職で、相愛大学

学長とあります。

1961年生まれの60歳で、若手でも老齢でもなく「円熟」でしょうか。

  

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「お経」イラストに迷いましtた、結局開祖のシャカにしました。

2.本文から

「筏のたとえ」

苦悩の激流を渡るのが仏道であり、自分の説く教えはその川を

渡る筏だ。筏を使って、向こう岸に渡ればいい。渡り終わった

ら、筏は捨てていけ。 P34

 

ジャック・デリダは「脱構築」を体系内から生まれる、自分の体系

自体を揺さぶり、構造を変えていくような作業だと述べるが、仏教

も同じ。 P34

 

仏教を一つの大きなうねりとして見ると、常に反対方向へと振れ

ながら、振幅を繰り返し、お大きな「仏教」としての姿を保って

いる。著者は、この特性を「脱構築装置内蔵宗教」と呼ぶ。 

 P35

 

仏教の共通基盤として大切なものは「生きることは苦である」と

の見解 P35

 

「苦」の原因は、執着と無明(むみょう)

無明とは「我々はゲームの構造や本質をきちんと理解していない、

自分のことだってよく解かっていない」ということ。 P35-36

 

仏教の共通基盤続き

・縁起・・・・原因に縁って生起するという思想

・中道・・・・快と不快とのどちらにも支配されるな

智慧・・・・自分の都合を外して物事を認識するためのもの

・慈悲・・・・目の前にいる人の痛み、喜び、苦しみを我がことに

・慈、悲、喜、捨の四無量心が仏教の目指す心のありよう

・涅槃・・・・煩悩を滅した状態 輪廻から脱し「解脱」成立

P36-41

 

初期仏教の基本

・八正道・・・正しさとは、楽、苦、買い、不快から離れる

       自分の都合を滅していく方向 中道の具体的実践

・七覚支・・・悟りに至るための修行方法

       念、捉法(ちゃくほう)、精進、喜、軽安(きょうあん)、

       定(じょう)、捨(しゃ)の7つ

・四念処・・・・念は自分の行為や思考を注意深く点検するこ

        とで、身、受、心、法の4つ

        最近有名な「マインドフルネス」の基本思想

 

 「涅槃経」の最後には、ブッダが老病死の苦悩を引き受ける場面が

描かれています。

ブッダ自身は悟りを開いた時点で、この老病死の問題を解決してい

ます。生存への執着があるからこそ苦しみは起こるのですから、悟り

を開いた時点で執着心はありません。  P59

 

ヒンドゥー教では、アートマンが神と一体となれば、輪廻から脱出

できる(解脱)とする教えがあります。この信仰は、かなり起源が

古く、インド宗教全体の基盤となっています。

ところが仏教だけが、アートマンを否定するのです。固定的な実態

のある我は存在しないという「無我諭」に立ちます。  P65

  

来世についても、この世界に有限性・無限性についても、全ての人

が納得できる答えはあり得ません。(中略)

語りつくすことができないものは、いったん横に置くというのが、仏教

の正しい態度なんだろうと思います。   P77

 

どうしても私たちは、菩薩たちが説いたような二項対立の図式に

しがみついてしまいます。そこにしがみついている限り、君が今

抱えている苦悩は解決しないぞ、と「維摩経」は説くわけです。 

私たちが当たり前だと思っている図式をいったん解体することを通し

て、「もう一度その社会を生きろ」「もう一度他者と関われ」と説

維摩。私はここが「維摩経」の大きな魅力だと思います。 P98

 

仏教は本来、主ぎょして悟りを開くというのがメインの道です。

(中略)

宗教体系が鍛錬され、また宗教体系が多文化圏へと拡大していく

うえで「仏に任せることによって救われる」という、それまでの思想

のベクトルがひっくり返ったような教えが発生します。  P116

 

阿弥陀仏の正体は、仏教が内蔵していた受容原理でしょう。悪や罪の

問題が深まり、宗教的救いに取り組んできたのが浄土仏教の道筋でし

た。それは徹底した受容による救いです。このような道筋が仏教の中

で成熟してきたことは、宗教学お立場から見れば、とても大きな意義

を持ってると言えます。  P117

 

3.改めて感想

 父が在野の住職で、朝晩家でお経をあげていたこと、大叔父一家が寺を

経営、親しい幼馴染がやはり寺の息子(現在は住職です)で、よく本堂

で遊んだこと等もあり、割と「お経」は身近でした。

当然何が書いてあるのだろう、どういう意味なんだろうとは、いつも思っ

ていましたが、解らずじまい。

ある程度の年齢になり、宗教や歴史、社会学等の本も読むようになりま

したが、「お経そのもの」を読んで理解したことは、意外と僅少でした。

著者が、キャリア上浄土仏教視点に立つのは、当然として寛容な理解で

拾い解釈を取ってもらったのはありがたかったようです。

最後も引用で締めます。

   何ととなくだけど、仏教のお経の中に、自分が生きるために

   大切なことがあるような気がする」と感じている現代人が

   少なくないと思います。

   「よくわあからないけれど、あのあたりに何かありそう」と

   勘が働いている人に対して、この本が案内役を務められれば

   いいかなと思います。  P119