中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

お題「記憶に残っている、あの日」やはり子供が生まれ、育ったこと(特定日というより期間)でしょうか。

1.賞や、褒美、後世の評価

(1)「はてなインターネット文学賞」なるものが、どういうも

のか存じませんが、創意工夫というか考え企画捻出は、それ自体

が悪いことではないと思いますし、「賞」や「褒美」なるものが、

そのきっかけになるのは、いいと思います。

章、褒美、後世の評価等がヒトの心理をくすぐるのは、古今東西

同じに、感じます。

(2)私が皮肉めいてよく話すのが、

「成功者や権力者を目指すいわいる上昇志向の方(ここでは男性と

します)にありがちなのが、

若い頃は金を目指す。次に権力を目指す。(レアケースでしょうが、

カネも権力も手に入れると)最後は「勲章」を目指す、というもの。

少し下品な表現を使うと。「まず女を追う」、次に「ゴルフボール

追う」、最後に「勲章を追う」、もこれに近い表現。

私の場合は金も権力も手に入れてないし、「高齢」でもないので

「勲章」を目指すことは、ありえないと思いますが、目指す人の心

理状態は何となくわかります。

(3)もっとスケールを大きくすると、ありとあらゆる手法を駆使

し、権力を手に入れた「王「や「皇帝」が、現世でなく構成の評価

を求めて「善政」を敷く、というのも、何となく理解できます。

「善政」が出来なくて、手っ取り早い早いのは「記録を書き替える」

ことでしょうか。

そこまでいかなくても「恣意」は入るもの。

史記」を読むと、司馬遷漢王朝のヒトですし、彼をもってして

も「秦の始皇帝」への評価は辛すぎる、と良く感じます。

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我が家は息子二人ですが、昔はよく家族旅行はしました。

2.お題「記憶に残っている、あの日」

(1)記憶に残っているのは、 ありきたりでしょうが、最初の子供が

生まれた日でしょうか。

とは言っても、私は男なので、子供が生まれた日の母親の記憶のよう

な、無事生まれた喜びとか、たとえば一仕事終えた達成感とか、あく

まで推定であって、実感ではありません。

思うに、現在では、出産による「死の恐怖」はかなり減少したようで

すが、ほんのひと昔までは、世界のどの地域にあっても出産とは「死

隣り合わせ」の女の大事業であったのでしょう。

(「産後の肥立ち」も含めて)

(2)話を戻して、私に鮮明に記憶にあるのは「子供が生まれた日を

点とする、変化の過程」です。

まさに、生物の進化の過程をみるようだと、常々思っていました。

日々どころかある蟻程度の期間をとっても、なかなか進歩しない自分

に対し、子供の変化は目に見えます。

日進月歩ではないですが、昨日できなかったことが今日はできるよう

になり、明日はもっと新しいことができる、ということでしょうか。

逆に言うと、加齢による「老化」により、「昨日できたことが今日は

できなくなる」ことがが積み重ねって死に向かうのでしょうね。

生物である以上、仕方ないことですが・・・・。

 (3)航空機エピソード

①昔話になりますが、初めて飛行機に乗ったのが、高校生で、受験名

目で熊本から羽田に飛んだ時でした。

とても快適、将来飛行機にたくさん乗れるような仕事をしたいな、と

思ったものでした。

②最初の仕事の赴任地は札幌だったのですが、東京で集合研修がよく

あり移動手段はとても好きな飛行機でした。

 ③2月の珍しい大雪の羽田空港

話は、子供が生まれて熊本帰省からの、羽田帰り。

うとうと眠って、羽田空港に着いた飛行機の窓からの雪景色。

寝ぼけていて、北海道の千歳空港に着いたかと。

意識が戻ると、独身て、東京の研修から札幌支店に戻ったのではなく、

子供が生まれて、父親になったのだと、改めて認識

 (4)子供の写真

生物としての人間もかなりいい加減と思うし以下源であり、記憶能力も、

おそらく精密にはできていないのでしょう。

子供の写真を見て思い出す、というより、記憶を再構成しているのでし

ょう。

親以外の人が見たら、なんの変哲もない子供の写真(持ち論、子供本人に

とっても)ですが、親にとってはいろんな記憶が再構成されて、「宝物

の一つ」に感じられてしまうのでしょう