1.賞や、褒美、後世の評価
(1)「はてなインターネット文学賞」なるものが、どういうも
のか存じませんが、創意工夫というか考え企画捻出は、それ自体
が悪いことではないと思いますし、「賞」や「褒美」なるものが、
そのきっかけになるのは、いいと思います。
章、褒美、後世の評価等がヒトの心理をくすぐるのは、古今東西
同じに、感じます。
(2)私が皮肉めいてよく話すのが、
「成功者や権力者を目指すいわいる上昇志向の方(ここでは男性と
します)にありがちなのが、
若い頃は金を目指す。次に権力を目指す。(レアケースでしょうが、
カネも権力も手に入れると)最後は「勲章」を目指す、というもの。
少し下品な表現を使うと。「まず女を追う」、次に「ゴルフボール
を追う」、最後に「勲章を追う」、もこれに近い表現。
私の場合は金も権力も手に入れてないし、「高齢」でもないので
「勲章」を目指すことは、ありえないと思いますが、目指す人の心
理状態は何となくわかります。
(3)もっとスケールを大きくすると、ありとあらゆる手法を駆使
し、権力を手に入れた「王「や「皇帝」が、現世でなく構成の評価
を求めて「善政」を敷く、というのも、何となく理解できます。
「善政」が出来なくて、手っ取り早い早いのは「記録を書き替える」
ことでしょうか。
そこまでいかなくても「恣意」は入るもの。
「史記」を読むと、司馬遷は漢王朝のヒトですし、彼をもってして
も「秦の始皇帝」への評価は辛すぎる、と良く感じます。
2.お題「記憶に残っている、あの日」
(1)記憶に残っているのは、 ありきたりでしょうが、最初の子供が
生まれた日でしょうか。
とは言っても、私は男なので、子供が生まれた日の母親の記憶のよう
な、無事生まれた喜びとか、たとえば一仕事終えた達成感とか、あく
まで推定であって、実感ではありません。
思うに、現在では、出産による「死の恐怖」はかなり減少したようで
すが、ほんのひと昔までは、世界のどの地域にあっても出産とは「死
と隣り合わせ」の女の大事業であったのでしょう。
(「産後の肥立ち」も含めて)
(2)話を戻して、私に鮮明に記憶にあるのは「子供が生まれた日を
起点とする、変化の過程」です。
まさに、生物の進化の過程をみるようだと、常々思っていました。
日々どころかある蟻程度の期間をとっても、なかなか進歩しない自分
に対し、子供の変化は目に見えます。
日進月歩ではないですが、昨日できなかったことが今日はできるよう
になり、明日はもっと新しいことができる、ということでしょうか。
逆に言うと、加齢による「老化」により、「昨日できたことが今日は
できなくなる」ことがが積み重ねって死に向かうのでしょうね。
生物である以上、仕方ないことですが・・・・。
(3)航空機エピソード
①昔話になりますが、初めて飛行機に乗ったのが、高校生で、受験名
目で熊本から羽田に飛んだ時でした。
とても快適、将来飛行機にたくさん乗れるような仕事をしたいな、と
思ったものでした。
②最初の仕事の赴任地は札幌だったのですが、東京で集合研修がよく
あり移動手段はとても好きな飛行機でした。
③2月の珍しい大雪の羽田空港
話は、子供が生まれて熊本帰省からの、羽田帰り。
うとうと眠って、羽田空港に着いた飛行機の窓からの雪景色。
寝ぼけていて、北海道の千歳空港に着いたかと。
意識が戻ると、独身て、東京の研修から札幌支店に戻ったのではなく、
子供が生まれて、父親になったのだと、改めて認識
(4)子供の写真
生物としての人間もかなりいい加減と思うし以下源であり、記憶能力も、
おそらく精密にはできていないのでしょう。
子供の写真を見て思い出す、というより、記憶を再構成しているのでし
ょう。
親以外の人が見たら、なんの変哲もない子供の写真(持ち論、子供本人に
とっても)ですが、親にとってはいろんな記憶が再構成されて、「宝物
の一つ」に感じられてしまうのでしょう。