中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

建前と本音 まずは自分がうまく生き抜くこと、いつの時代も同じ

1.オヤジの小言,イヤ独り言?

私が2,3年前に比べて、「時間の制約」が少なくなったせいも

あるし新型コロナ対応みたいな、格好の広範囲の批判対象が出て

きたこともあるのでしょうか客観的には「オヤジの小言」的な

見解が、増えてきたよう思います。

(1)今度の横浜市長選挙でカジノ誘致是非が争点らしい

 私は、論点のずれ、勘違いの指摘をしたい。

いわいるカジノ誘致反対派意見の一つに「ギャンブル依存症

があるようですが、見当違いの典型。

カジノは、おカネ持ち、資産家、富裕層が遊ぶところであり、

経済効果が期待できる対象であり「ラスベガス」や「マカオ

のイメージです。

ところがこれが日本人の誤解を招きやすい。というのは、富裕層

でない平均的な日本人が、ちょっとした観光旅行で「ラスベガス

のカジノで遊んできた」との、話を聞くと

「庶民も遊べるカジノ」との誤認イメージが定着します。

「業務の多角化」の中で、あまりお金を落とさない日本では庶民」

レベルの客層も相手にするカジノも多少はありましょうが、本質

おカネ持ち、資産家、富裕層が対象。

日本円で億円単位のおカネを「儲けた」「損した」でないと、

「上客」にはなりません。ビジネスですから。

選挙に話もどして、「住民のギャンブル依存症を助長する」とい

う主張は、一見受けそうですが、全くの見当違い

ギャンブル依存症」を問題にするなら、「パチンコ、競輪、競馬」

の規制でしょうが、これでは、「票にならない」とか「組織票を取

り込めない」とのことでしょう。

 

(2)新型コロナ感染症対策本質は、「救えるべき命を救う」こと。

顕現すると、重篤になる人、死亡する人を減らすことでしょう。

検査での陽性者を感染者と騒いで「感染拡大」を煽るマスメディア

や、理論を隠して感情的に保守的にひたすらリスク回避の医療関

係者や「専門家」は、おカネのために仕方ないでしょう。

これを書いているのは7月20日火曜ですが、

東京都のPCR検査での陽性者が、増えて今日も感染拡大との記事

が書けて、ほっとしそうなメディア関係者が、透けて見えるよう。

俯瞰的観点から、熟考、決断、実行、責任持つのは、政治の仕事

でしょう。

能力も気概もない政治家は、誰が選んでいるかというと・・・

こうなると「諦観」ですよね。

 

(3)大相撲の事例ですが、横綱白鳳がまた「 横綱の品格」で、

話題提供のようですね。

「品格」を問題にするなら、「品格」基準の横綱を選ぶと

よい。つまり空手の型とか、美しさを勝負の代わりの基準

にすれば良いとおもいます。

この「型を競う」のも立派な「オリンピック競技」のようです。

大相撲は「伝統芸能」よリスポーツとしての「興行収入」に、

かじを切っているように思われます。ポーツとして

スポーツなら、「ルール内で、なんでもあり」であり、強い
ものが勝つほうが受けるでしょう。
「あいまい」「論点ずらしてごまかす」というのも、日本的でいい
のかもしれませんが
品格論争は、無理難題であり、「大相撲興行制度」の建付けに
無理がありそう。
強さを競うのなら、、部屋割り制度をなくし、自由にエントリー制
にすれば、いいのでしょうが
日本相撲協会は存立基盤を失うので、これはやらないでしょう。
 

f:id:xmichi0:20210721144524j:plain

「恵の太陽」ですが、10億年もすると地球を焼き尽くし飲み込みそう

2. まとめてみると
ギャンブル依存の選挙争点、新型コロナの「感染拡大」と重症者数、
横綱の品格問題と部屋割り制度、と言った、脈絡もなく、還暦過ぎ
オヤジか、自分に気に食わないことを、タラタラ批判しているだけ、
のようですが、私なりに一貫性があるつもり。
つまり上げ、時間をかけ、叡智を尽くす方法論を取ろうとしていない。
なんと情け無いこと。
しかし、一歩引いて考えるのは、
皆が思うほど人間は、賢くもなければ、真面目でもない。
その場凌ぎで、好き勝手に動いている感がある。
それでも、なんとなく1日が過ぎる。それでいいのでは?
後々の歴史家が、「その時の日本人は・・・・」と評すればいい
のでしょう。
 
最期は、地球規模にスケールを、大きくしましょう。
地球上の覇者として、人間が恐竜より、長期間君臨出来るかは、分か
らない。
そもそも、水の惑星としての地球も、太陽が膨張していって、あと
10億年ももたないそうです。
つまり膨張していく太陽の熱で、地上の水が干上がってしまうとの
こと。
そのときは、「ホモサピエンスがどう生きて生きたか」なんぞは、
検証はできないし、どうでもいいことなのでしょう。