中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦前の中高年がざっくばらんに書きつける日記

堤防決壊によるニュースから水の連想、なぜか老子と黒田如水

台風19号の被害は、引き続き大変な様相です。

ニュースもたくさん。

10月15日昼の日本経済新聞から引くと

 また、不謹慎のそしりを免れませんが、

堤防決壊から水のこわさを感じつつ、なぜか老子の上善如水と黒田

如水が、浮かんできました。

 

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老子のイメージ

1 上善如水(上善は水の如し)

http://www.roushiweb.com/category1/entry6.html

「心が楽になる老子の言葉」から、引用させていただきます。

老子は、この“水”に理想の生き方を見出していました。

 水は、柔らかくしなやかでありながら、

一方では硬いものを穿つ強さも持ち合わせていますよね。
しかも、万物に恵みを与え、争うということなく低いところに留まろうとします。
(水は高い所から低い所に向かって流れますよね)

そんなしなやかさと粘り強さこそ、“究極の理想”だと言うのです。

「上善如水」
(上善は水の如し)

 

老子は、現代でも語り継がれる様々な名言を残した人物として知られていますが、
最も馴染みのある言葉が、この「上善如水」ではないでしょうか。
もっとも、お酒の銘柄としても使われていますので、
「飲み屋でよく耳にする」という方も多いかもしれませんが(笑)。

 

この「上善如水」という言葉通り、老子は、
“水”に「最上の善」というものを見出していました。
最上の善とは、争いを避けて生きること。
…というのも、老子が生きた時代(紀元前6世紀~紀元前4世紀)の中国は
国同士の争いが絶えず、争うことで利を得ようという生き方が一般的だったからです。

 

当時は誰もが、「人よりも上に行こう」「人を蹴り落としてでも上を目指そう」
…そう躍起になって戦っていたことでしょう。
そんな時代にあって、老子は、
「人と争わず、常に低いところに留まりなさい。まるで水のように」
…と、生き方の見本として“水”を挙げているわけですね。

 

 世の中は老子の時代から益々、メンドウになってきているので

しょうね。

ただ、人間の本質(喜怒哀楽の感情や考え方、知能の程度等々)

は、1万年以上ずっと変わっていません。

私も、水のしなやかさを、身につけねばとは、いつも思っている

のですが・・・・

 

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黒田如水のイメージ

 2. 黒田如水

 いわずと知れた、戦国句時代の軍師ですが、コトバンクから、

引用しますと

日本の戦国時代から江戸前期にかけての武将・大名。1546年、姫路生まれ。九州・福岡藩52万石の礎を築いた人物で「天才軍師」と称されている。黒田孝高(よしたか)が正式の名前で、官兵衛は字(あざな)。出家後は如水の号を名乗った。播磨国(現兵庫県)姫路城主の長男として誕生し、22歳で家督を継いで父・職隆と同様に小寺家家老の座についた。織田信長が勢力を伸ばしつつあった当時、豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。

 

黒田官兵衛が改名して、黒田如水は知っていましたが、上記老子

の言葉の引っ掛かりもあって、「如水」とは優雅な命名と思って

いましたが、

下記リンクの説明では

時は1593年8月
石田三成との対立で秀吉の怒りを買い蟄居となった為「如水円清」
と号して出家したそうです。
如水という名前意味は今までの功績が水の泡のようにすべて消
え去った、「水の如し」
とのことで黒田如水
 私見というより、私の勝手な思いですが、
大変な時代を時代を生き抜いてきた、頭のいい人ですから
上記の「自分の功績が消えてしまい残念」が本心だとしても、
時の権力者秀吉や関係者に対しては
上記老子を引用して「時の流れに従い、しなやかに生きてまい
ります」的な説明をしたのでは?
再度書きますがあくまで、私の勝手解釈ですよ。
 
3. 脱線ですが
今どきの社会はまだ楽です。
「クビが飛ぶ」とよく使いますが、物理的に胴体と首が切り離
される訳ではありません。
戦国時代なら首が飛んで一巻の終わりでしょうが、現在社会は、
生命が維持されるかぎり、本人次第で復活はあり得ます
(私自身そう信じて、生きてきました。)。
ありがたい時代です。
 
という訳で、水に関して、ふと思いついてことを書いて
みました。