中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

何故日本国を応援し、日本人が勝つと嬉しいのか?

1.マスメディア報道の視点

 (1)2021年4月12日のニュースでしたが、
ゴルフの松山英樹さんのメジャー初制覇を報道していました
「日本の男子選手が、ゴルフの海外メジャー大会で優勝するのは
 初めてで、松山選手は10回目のマスターズ出場で歴史的な快挙を
 成し遂げました。」
といったもの。
そんなに追っかけたり、深堀りしたわけではないですが、どこのマス
メディアも、「快挙」として称賛するトーンは同じです。
「明るいニュースが少ない」といったとこころで「幸運」しょうか?
 (2)マスメディアの目的は、注目を集めることであり、ある事件
の発生の蓋然性が低ければ、低いだけ、実際起ると、注目を引きます
よね。それは、慶事弔事惨事どれについても同じこと。
その点では、この松山さんの話は「ゴルフ」という解り易い話だけに、
格好の材料でした。

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スポーツの日本代表のイメージ

2.なぜ嬉しいか、を探る

(1)正面切って、「無関係な貴方がなぜ嬉しいの?」質問すると、
変な顔をされるのが定番でしょう。
「それは日本人だから、さ」・・・・はい、終わりです。
しかしよくよく考えると、ほとんど大部分の人は、この松山英樹
さんの親類縁者ではなく、精神的につながりの深い関係者でもなく、
また経済的利益を享受する関係者でもなさそう。
果たして、なぜだろう。
今のインターネット社会では、検索してみるとさまざまな意見が
出ており、説得性も様々。
私がなるほどと思う説明に近いのは「日本人である自分の優越感」
の確認との説明。
三段論法的に、
   良い成績を残せたということはエライ人だ。
   この偉い人は日本人である。
   私は日本人である、よって私はエライのだ。
といったもの。
難しい話は置いといて、比較して「身近」な方を応援するのは、
よくあるケース。
高校野球や国体(国民体躯大会のこと)で、地元の都道府県や、
より近隣の件を応援するのもそうだし、これは市町村、学校、
各種団体と、どこまで単位が小さな区切りとなっても通用しそう。
上記松山さんまに対し、地元民から「県民として誇らしい」という
記事を載せていましたが「同県民の私はエライ」に辻相に思います、
(深層心理として)
(2)日本人意識
オリンピックは、国家意識発揚の典型であり、そのほかの国際
大会(解り易いスポーツを例にとります。)もそうでしょう。
歴史、文化、言語、生活習慣、身体的特徴等類似の「日本人」
(この場合日本人と日本国がニアリーイコール)を応援する姿勢で
あり、身体的特徴をもって「変な日本人」、「ヘンなガイジン」
が強かったように思います。
昨今の変化は、以下の事例にあるよう「頼もしい」と私には思え
ます。
一つは、2019年ラグビーワールドカップの日本代表の「ワンチ
ーム」は、言語、身体的特徴の壁を低くしました。
 テニスの大阪なおみ、バスケットの八村塁、陸上のサニブラウン
ケンブリッジのような個人主体競技の例も増えました。
「日本人はエライ、よって俺もエライ」式は変わりませんが、
「日本人」の許容範囲が意識の上で拡大したかと。
(3)人種問題は、実際難しい
もの本位よれば、人種は、生物的に明確な定義はないし、民族も
「虚構」かも知れませんが、アメリカ合衆国も、欧州各国も、いや
世界中のどの国家も現実的には、人種や民族の大きな問題を孕んで
います。
オリンピックや国際大会で「国家」をどうとらえるかは、昔も今も
難しい問題です。
「ヒトの移動」がますます激しくなっていき、母国が消滅した、難民
にならざるを得なかったとか、両親の出生国籍が違うとかいろんな問
題は、増えていくでしょう。
本人二つの母国を持つ、といった問題は、ますます増えるでしょう。
 
3.最後に
誰しも自分の出生は変えられないし、私自身は幸い、人種、民族、国
家の問題を「自分事」として苦悩する経験はなかったし、今後もない
でしょう。
ただし、ぼけてしまわない限り、ライフワークとして「人種、民族、
国家の関係」を考えていくと思います。