中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

今週のお題「もう一度見たいドラマ」韓国の「宮廷女官チャングムの誓い」の勝手な分析

今週のお題「もう一度見たいドラマ」です。

あまり「ドラマ」を知らない私は、かなり前に人気のあった

韓国ドラマの「宮廷女官チャングムの誓い」を取り上げます。

私が知るくらいですから、日本でも大ヒットとしたドラマであり、

ストーリーや結末、キャスト等については、他に詳しい方がたく

さんいるでしょうし、皆様にお任せです。

私が書くのは、ドラマを見ていて、またその後思い出して、他と

比較しながら、感じた独断と偏見に基づく私見です

しかし、それは私にとっては、「もう一度見たい」に十分匹敵

する論点です。

(1)韓国食文化、宮廷料理のイメージ

ドラマですから、エンターテイメント性は必須、史実に忠実過

ぎて、現代人からみて、あまりおいしそうでないのは困るし、

かといって、当時の朝鮮半島に全く存在しない食材を使っても

白けてしまうでしょう。

時代考証も大変だったと思います。

(2)食事を使う権力闘争

①前半のドラマの基調は、明るめの宮廷ドラマだったかと思い

ます。しかし、陰謀、困惑がないと、ドラマとして面白くない

料理長の頭に当たる女官が、「いやしくも人の口に入るもので

争いごとはいけない」という趣旨のことを発現していたかと

思います。

(少し脱線します)

歴史を振り返ると、武力を直接つかわない、権力闘争では、

食事の時の毒殺は、よく使われる手です。

 食事は、どんな人間でも必ず2,3度取るし、武力に秀でた

屈強な若者でなくても、十分に対象となる相手を抹殺できます。

しかも、「証拠」が残りにくい。。

歴史を振り返ると、毒殺は、古今東西よく用いられた、敵を倒す

「常套手段」の一つといえましょう。

対抗策として、「お毒見役」も、いたるところで活躍です。

 仕事で「仕方がない」のでしょうが、ハイリスクな役回りです

よね。

 ②話を「チャングムの誓い」にもどして、王族だけでなくチャ

ングムの母親も対象として、毒殺がらみは、よく出てきます。

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(3)朝鮮半島特有の「しつこさ」

恨みがつづく意味での「はん」に通じます。

日本人の、すぐ忘れる、いい加減、「水に流す」と対局を成

す、発想に思えます。

物事は何事も両面があります。 

①良い意味: 粘り強さ 目的達成の意欲の継続

後半でチャングムの女医としての先生・先輩格の女医が

「復讐と自分の立身出世(目的成就)の双方を達成する」

のは素晴らしい、よくやった的な発言があったかと思います。

いかにも当時の彼らの感情を表しています。

日本的な「仇討ち」とも違う、心の動きかと思います。

②悪い意味: 恨みを忘れない 何度も蒸し返す

といったところでしょうか。

日本のいわいる「時代劇」は、役者も、一目で「悪役」、

「非悪役」の区分があり解り易く感じます。また「非悪役」

が投獄されるシーンも1回であり、50分ドラマの前半でほぼ

終わってします。

一方、この韓国ドラマ「チャングムの誓い」は「1話が長い」

ということもありましょうが、1話のうちに、2回も投獄される

(一度は出獄)シーンがあります、ご苦労さまです。

 「しつこさ」の補足ですが、ドラマのことでなく、綿々とつづ

く「日韓関係」の政治折衝を想い浮かべます。

(4)人間の価値

大きく出たな、抽象的な話?ではありません。

至って地に足がついています。

弱きものを助ける「いいひと」は、いつの時代もどこの場所でも

一定の共感を得ます。

身分制社会にあって、上位身分の人が、庶民というか、貧乏人、地位

が下級の人々を助けるシーンは、現代人の共感を呼ぶものです。

恋愛でもなんでもそうですが、「障害」があると、そしてその「障

害」が大きければ大きいほど、主人公は燃えるものであり、一層共感

を呼びます。

ただし、 あまり、包括的、全体的に考えないことです。

矛盾点を解きほぐしていけば、かえってにっちもさっちもいかなく

なり、ドラマを見る興奮も静まります。

エンタテイメントと割り切って・・・。

(5)最後に

 極力、「お題」には、答えようとしていますが、今回も私には

難しいモノでした。

ドラマが主題ということは、ドラマをある程度の量鑑賞し、自分なり

の考えが後待っているといいのでしょう。

ドラマ関連知識が少ない私は、勢い「ズラシ」と「勝手解釈」に頼る

ことになります。 

 

 

ワカタケル(読書感想文もどき)雄略天皇が素材です 「ヒトは変わらない」を再認識

ワカタケル

著者       池澤夏樹/著  

出版者    日経BP日本経済新聞出版本部 2020.9

日経BPマーケティング(発売)

1.概要

形のないものが形あるものに変わった、実在した天皇とされる21代雄

略の御代を背景にした作品です。当時の歴史の素養がある人なら、背

景は良く分かります。

「日本人の心性はこの頃始まった-。言葉の魂を揺さぶり、古代から繫

がる「日本語」という文体の根幹に接近する」というのが、一般的な

解説です。

多用される「詩・漢詩・うた・歌」のなかに、現代文では表現できな

い「言葉の力」があるのでしょうが、正直、私には、理解はいまいち

でした。

日本経済新聞』連載されていた時は、日々連載の小文ながら、読み

ごたえがあり、面白かったです。

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ワカタケルでなく、彼に近しい予知能力を持つ二人の女性

2.本文からの引用

いわいる論説的な文書でなく、小説ですので、引用はどうかと思うの

ですが、気に入った文言をピックアップしました。

題材・ヒントは歴史ですが、あくまで「著者の想い」をつづるエンタ

ーテイメントであり「小説」です。

  

あるいはイトは我のよき運の妨げとなる者であり、だからモノはイト

を遠ざけてくれたのかもしれない。

先の開けた若き王子である我に味方するものであったのかもしれな

い。万事をそのように受け取ること。

敵として来る者もわが宿望の糧とみなすこと。  

なにものにも脅えないこと。  P12

 

「そこに墨黒々と『義』と書いてあった。」

「おわかりになりましたか?」

「そういう言葉があるのは知っていた。李先生がしばしば口にされ

る。いや文字に書かれる。他にも仁とか徳とか、分からぬことばがあ

る。」

「人は思うままにふるまうだけではすまぬということでございましょ

う。」

「思うままにふるまって何が悪い?」

「人の想いを導く天の道があるということ」   P64

 

「何度か申しましたが、短慮でかっとなって目の前のものを切るのは

おやめください」「しかし障害となる者を熟慮の末に除くのはこれか

らもあること。むしろこの先はずっとその連続でしょう。」

 「格は容れ物です。初めは空っぽでもともかく大きく構えることが肝

要。その座にあって働けば、月日を重ねれば、中は満たされてゆきま

す。」   P136

 

すべて男はそういうものなのか。英傑の傍らにはいつも霊力のある女

がいるものなのか。  P162

 

聞いて、その場に置かれた己の身を思った。海辺に立つ。潮と波が行

く先を遮る。舟の舳先を沖に向け、勇を鼓して漕ぎだす。帆をあげ

る。 ゆるぎない地面を踏んでいた足を揺れ動く舟に預ける。運に身

を任せながら己の力を信じる。  P192

 

双方の呪文の声がだんだん高くなり、やがては共に叫ぶような大声に

なった。ワカクサカの声に突き飛ばされるかのように、相手の老女は

櫓から転がり落ちた。

我が勢いからどっと歓声が上がる。

見事な力だと我は思った。

その一方でワカクサカは恐ろしいとも思った。   P252

 

ここに見るように大王はよく歌を詠みました。

その歌は民の間にも広まり、しばしばうたわれてとかく権高に傾きが

ちな大王の評判を和らげることにもなったのです。

一國の王であるとは、こういうことなのでしょう。  P296

 

「口に発して耳に届く言葉は魂だ」と李先生は言った。「魂は人を離

れてどこまでも行く。動くことで力になる。すなわち言霊。それに対

して、紙に書かれ、鉄の剣に刻まれた文字はその場を動かない。何百

年も何千年も後まで残る。これもまた言葉の力。」 P300

 

「男のみなさまは武具の類を付けることで強くなられる。そう思って

いらっしゃる。」

「女は?」

「脱ぐほどに力を得ます。いえ、夜の床のことではなく、神の前で、

邪念を脱ぎ捨てることが、大事なのです。」  P322

 

 「大王は強くなくててはいけない。力を失った王は國を衰退に引き込

みます。若者が剣をもって王に挑戦し、勝ったら王になるという國も

あると聞いています。そんなやり方では一國の経営は不安定になるば

かりですが、それでも力を失った王はそのままにしておけません。 

P368

 

 3.ちょっとした感想

 歴史素材の小説の魅力とは何だろうと、改めて考えます。

いわいる日進月歩の歴史研究の成果である「史実」と違うことは認識

しています。それでも「歴史小説」は溢れています。

「人間はいつの時代も変わらない」から、興味を引く歴史上の一定の

事象が、現在人である読み手の心を揺さぶるからでしょう。

その素地は、まさに歴史のなかにありそうです。

上記引用文を読み返してみれも、私のお気に入りだった文章というこ

ともありますが、特定時代の極めて特殊な環境でしか共感を得られな

話どころか、「今でもよくある普通の話」の感じがするのです。 

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忙しいは、心を滅ぼすと書きますが・・・ ある程度の多忙はいろいろ有用

1.多忙は有用

(1)忙しいことが、売り上げの増加とか、自分の経済的利益に直結

する場合心を滅ぼされるどころか忙しいこと自体が、心の充実感

もなり得ます。売店主であり、企業業オーナーは、その典型。

一方、経済的利益に直結しなくても、働くことに義務感を超えた

満足感、を感じることもあります。

多くの給与所得者、職人、生産者と呼ばれる方々が、この分類、

(2)確かに、労働を悪いこと、神からの罰だ、もしくは労働は奴隷

の属性であり、働かないことこそが素晴らしい、人間の本性だ、とい

う考え方も、あるでしょう。

しかし、私の場合、心情的に「罰」とは思えなくて、なんか「周りの

役に立っている」という(勝手な)自己満足感の方が、ある気がし

ます。「遊んでいる」と「働いている」の境界について、深く考える

と線引きは確かに難しい。しかし「働いている」と「うしろめたさ」

を感じなくてよい、という人は、多いのかもしれません。

つまり、「遊んでいる」より「働いている」ほうが精神的にしっく

りくる場合は多いのでしょう。

もう15年以上前になるかもしれませんが、サントリーウイスキー

CMで、「働いているお父さんが好きですが、遊んでいるお父さん

が好きですか」というコピーがありました。

「うまいな」と思いました。少なくとも「日本人」の琴線に触れるCMかと思いました。

も一つ事例。 障碍者の方が、「援助」で生きているのでなく、仕事

があり働くことで、報酬を得る、つまり「社会に認められている」こ

とが、精神的にとても有用、と聞いたことがあります。なるほどと共感です。

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忙しいので退屈は感じていないイメージ

2.忙しいと「退屈しない」こと

(1)私見を言うと、

忙しく働けること、しかも「奴隷労働」でなくある程度の自己の裁

量で働けることは、「退屈しない」という大きな利点があります。

一定の時間を「やることがない」と、すぐ人は退屈しそうになるし、

この退屈が、とても逃げて、ついつい「遊んで」しまいますが、遊ん

でいるだけでは、生活できないし、周りから「認知」してもらえない

ので、退屈しないために「忙しそうに働く」ことになります。

以下は、何度か書いていますが、AIが、もっと発達して「あなたに

できる仕事は、もうありません」と宣言されると自己の存在意義を

否定されたようで、自分が嫌になり、落ち込んでしまう人は多いで

しょう(決して全員とは言いませんよ)

(2)もっと鋭い分析を、先般読んだ「暇と退屈の倫理学から

少し紹介してみます。

「どう退屈から逃れるか」が焦点となります。

〇ハイデッカーは、

退屈する人間には自由があるのだから、決断によってその自由を

発揮せよ、と言っているのである。

退屈はお前に自由を教えている。だから、決断せよ。

これがハイデッカーの退屈論の結論。 

 ( 國分巧一郎   暇と退屈の倫理学(P253))

 〇なお、同書の結論を要約すると

➀本書を通読することで暇や退屈についての新しい見方を

獲得したので、もう「こうしなければ、ああしなければ

と、思い煩う必要はない」

 ②贅沢を取り戻すこと。浪費することが、豊かさの条件。

 現在は消費社会であり、消費は物ものではなく観念対象

とするから、いつまでも終わらず、満足も得られない。

満足するには、物を受け取れるようになるしかない。

物を受け取るとは、その物を楽しむこと。

 ③「動物になること」

人が退屈を逃れるのは、人間らしい生活から外れたときで

ある。

その状態は「動物になること」、と称することができる。 

(3)人間は、にやることがあるから、ある意味幸せであり、多くの

人が 「長生き」していく時代になると「生きていることの恐怖心と

退屈感」を、感じる人が、また増えていくように思いまsす。

 

3.も一つ漢字の話

(1)昔の思い出話

証券会社の営業をやっていた時、ある先輩からの話

お客さん保有の鉄鋼株を売って乗り換えで、他の銘柄を買ってもらい

たいときのセールストークは、以下の通り。

「鉄は、金(カネ)を失うと、書きますので・・・・」

(2)企業イメージ

カネを失ると揶揄されてはいや、縁起が悪い、と企業は々な努力をしています。

つまり企業名に「鉄」が使われているとき

①「鉄」の代わりに「金ヘンに矢」をつかう

③「鉄」ではなく旧字体の「鐵」をつかう、

といった工夫があるそうです。

「悪」が変えた世界史 下(読書感想文もどき) 毛沢東 ポルポト フセイン ビンラデーン

「悪」が変えた世界史 下

ヴィクトル・バタジオン/編

出版者    原書房 2020.11

1.概要

下巻のほうは、   ランドリューから毛沢東、ビン・ラーディンまで

絶対悪を体現する歴史上の人物という評価で、10人を取り上げてい

ます。

もちろん、誰を「悪人」と取り上げるかは、すべからく著者の主観

でしょうが、リストアップされた人物は「さもありなん」と思われ

ます。しかし、彼らは実際にはどんな人物で、どこまでが事実で、ど

こからが神話だったのかの判断は、極めて難しいものです。

著者群によると、枕詞が、「共産主義の食人鬼・毛沢東」、「知られ

ざる虐殺首謀者ポル・ポト」となるようです。

他の著書からの情報が多い人物もあり、「いろんな見方」の参考にな

ります。  

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なんか、かわいらしい悪人イラストになりました。

2.本文から引用

刺激的・ウケ狙いだと、どうしても残酷シーンの列挙になりそうですが

あえて避け、著者の「考え方」を中心に引用します。

毛沢東

革命とは、客を招いてご馳走することでもなければ、文章を推敲し

たり、絵を描いたり、刺繍をしたりすることでもない。そのように優

雅で穏やかで上品なものではない。

革命とは蜂起、暴力である。一つの階級が別の階級を打ち倒す暴力行

為なのだ。 P43

 

イディ・アミン・ダダ

アミン・ダダは、おめでたい素朴者と狡猾さ、ユーモアと不信感、残

酷さと滑稽さが独特な形で混ざり合った存在だった。何が滑稽なのか

わかっていない彼の存在そのものが道化だった。  P117

 

イディ・アミンは「人は銃弾より速くは走れない」といった辛辣な言

葉を非常に好んでいた。だが、銃弾は一つも彼をしとめることはでき

なかった。

2003年8月16日、20世紀最悪の暴君の一人は病死した。ついぞ刑罰を

受けることはないままに。  P122

 

 ポル・ポト

エスピエールは、御託を並べずに、人を断頭台に送り込む「清廉の

士」だった。だだ一つの過ちは、じつは非常い大事なことだが、きっ

ぱりと決断を付けられないことだった。これが彼の命取りになった。

ここから得られる最も重要な教訓は、カンボジアに帰ったら、決して

同じ過ちを犯さないことだ。   P135

 

サッダーム・フセイン

サッダームのすべての戦略は、こうした衆人環視の粛清と、自身の権

威づけという劇場的手法の延長線上にある。まずは、その精力的で悪

魔的、そして際限のない恐怖政治である。悪の凡庸化だ。

あらゆる反骨心の芽を摘んで骨抜きにする。   P177

 

見せかけもしくは本音の称賛と、手段的恐怖がまじりあった複雑なシ

ステムが出来上がった。      P181

  この体制は二重の伝統の恩恵にあずかっていた。

 1.神と人との無謬の仲介者であるイマームへの服従を促す

  宗教的伝統

 2.個人とシェイク(部族長)とを結ぶ恒常的な絆に立脚する

  部族の伝統

 

オリエントのスペクタクル史劇は、しばしば復讐劇の風合いを帯び

る。このバグダードの残虐王の死から10年の月日が流れたも、過激派

は殺し合っている    P185

 

 ビン・ラーディン

「世界の敵」の遺体は、アラビア海に停泊中のアメリカの空母

カール・ヴィンソンの甲板に運ばれ、ただちに沖合に水葬された。

ホワイトハウスの意向で、痕跡を残さず、墓碑もなく、世界中に

ジハード主義者や「解放者の族長」を信奉する者たちの 神話の場

となることが無いよう配慮されたのだ。  P205

 

 ビン・ラーディンの築き上げた組織はこれで終わったのだろうか。

とんでもない。「国際ジハード」の動きは続いている。志願者は

後をただず模倣する者が増えて多様なテロリストが生まれている。

P206

 

3.最後に

 世界史上で、「悪人」を定義しようとしたら、またランク付けしよう

としたら、それこそ収拾はつかないでしょう。

人間ですから、いろんな個性があり、局面局面での判断の違いもある

はずです。包括的理解・評価は無理で、「結果」からの一部の評価抽

出は可能でしょう。

一時的にせよ、何らかの権力(暴力装置)を維持していて、自分の判

断(直接・間接アリ)で、たくさんの人を死なせた、ということでし

ょうか。

 

 

1210新型コロナ記事から 指定感染症見直しで、全員参加型を望みます

1.また新型コロナ関連の話です。

日本のマスコミの連日の新型コロナ報道を「変だな」っと感じている

人は多いでしょうし、私も何度か、このブログで取り上げています。

12月10日の東洋経済オンラインの記事ですが、

私が思うところに非常に近く、その内容を紹介し、一部私見も入れな

がら、コメントします。

出典は

コロナだけ「後遺症」騒ぎ立てる風潮への大疑問 | 幻冬舎plus | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

 「がまんの3週間」という言葉を聞いて、戦時中のスローガン「欲

しがりません、勝つまでは」や「ぜいたくは敵だ」などが頭に浮か

んだ。

日本人はなにも変わっていない……というよりは、人間は恐怖の感情

やショックにとらわれると、いつでも戦時中の人々と同じモードに

切り替わってしまう不安定さや不完全さを抱えているということな

んだと、最近思う。

 (michiコメント)

我慢の3週間というのは、11月21日土曜からの3連休からすると12月11日

には終わるはずで、何らかの論評・総括が必要なんでしょうが、おそらく

過去同様、検証や責任のあるな発言は何もなくて、次の「あおり」に関心

移しでしょう。

 

 ワンパターンでくり返される“不安のあおり芸”報道

専門家が解説する以前から、「インフルエンザや風邪がそうで

あるように、寒くなれば新型コロナにかかる人も増えるだろう

な」という庶民としての感覚を持っていた人も多いと思うのだ

が、テレビをつけると連日「第3波」がやってきたとして、

「感染者数過去最高」「重症者数急増」「死者最多」「医療の

逼迫」と切迫感と不安のみがあおり立てられている。 

 (michiコメント)

「寒くなれば新型コロナにかかる人も増えるだろうな」というのは、

私もいつも思います。私は集団免疫成立説ですが、百歩譲って風邪の

一種なのですから。

 

同じことをインフルエンザの流行期にやっていたら「日本国内で

1日で100死亡!」「過去最多1日で200人死亡!」「感染者

1000万人突破!」という話になる年もあり、現在の比ではない

恐怖を味わうことになると思うのだが。

医療現場が逼迫しているのは、日本が世界一の病床数(人口当た

り)を誇医療大国であるにもかかわらず、政府が、新型コロナ

を「指定感染症2類相当(一部1類相当)」の感染症に指定して、

一部の指定医療機関にのみ患者を集中させ、実際には入院の必要

のない患者も受け入れながら、厳重な感染防御態勢のなかで治療

をしなければならないという仕組みの中に医療を閉じ込め続けて

いるからだ。

 そして、保健所を介して感染者が全数報告され、インフルエンザ

ではしばしば起きていた「院内感染」もマスコミが大々的に報じ

てしまうので、ますます医療現場に圧迫を加えることになってい

る。はっきり言って「人災」の状態が続いていると思うのだが、

そこはマスコミがなかなか検証しない。

 (michiコメント)

ココも全く同感、再度記載すると

政府が、新型コロナを「指定感染症2類相当(一部1類相当)」の感染症

指定して、一部の指定医療機関にのみ患者を集中させ、実際には入院の

必要のない患者も受け入れながら、厳重な感染防御態勢のなかで治療を

しなければならないという仕組みの中に医療を閉じ込め続けている

 私がこのブログでよく書いているのは、以下の趣旨。

医療資源は潤沢にるのだから、指定を見直して、医療スタッフを全員

参加型に、至急見直すべきでしょう。自衛隊に限った話では、ないで

しょう。

 

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リハビリより「後遺症」のイメージのイラストです。

2.小論文のメインは、後遺症です。

以下、GoToキャンペーンに始まり、メインである「後遺症」の話になる

のですが、引用は下記と最後のまとめにとどめます。

そんな中で「経済に急ブレーキをかけるしかない」という強硬な

意見も出て、札幌や大阪、東京で「GoToキャンペーン」の一部

見直しが相次いでいるが、そもそも「GoToキャンペーン」は、

大打撃を受けた観光業や飲食業、それに連なるさまざまな産業で

生計を立てる人々を救うために始まったものだ。

 すでに新型コロナの影響で失業を余儀なくされた人々が大勢い

て、社会不安は増大、精神科や心療内科には患者が殺到してい

て、自殺者は急増中だ。

2020年10月の自殺者数は2153人、昨年同月より40%増加して

いる。 一方、新型コロナの死者は、2020年1月に国内最初の感

染者が発見されてから12月1日現在までの10カ月間で2118人だ。

それも、『死因はウイルスか持病か、それとも……?』に書い

たように、PCR陽性だったが新型コロナが原因ではない死者」

まで含んだ人数である。

新型コロナに罹患(りかん)した人の話だけに報道が重点を置く

のは、どう考えたってバランスがおかしい。

  

日本人の三大疾患にも後遺症がつきもの

新型コロナだけでなく、数々の病気や、治療の結果として、後遺

症が残ってしまうことは普通にあることだ。そして、それが重度

の障害としてその人やその人の家族の生涯に影響を及ぼし、宿命

的な後遺症として受け止めなければならないことだって、誰にで

も起きうる。

だが、それを専門家が延々と解説したり、テレビ番組がインタ

ビューをして繰り返し放送したりすることはない。 

 

 最後の締めに当たる部分を表記します。

「コロナ後遺症」のみにスポットを当てて「コロナ怖い」を強化

し、社会不安を増幅させた先にあるのは、子どもを含む多くの人々

の精神に及ぼす後遺症、そして経済破壊による後遺症だ

それは、日本における新型コロナの被害よりもはるかに甚大で

そして長期に渡って暗い影響を残すものとなってしまうだろう

 

 3.改めて情報弱者が心配

偏向報道」や「フェイクニュース」が流行語的になって久しいですが、

それでも、情報の比較検討や、自分の常識と照らし合わせて、判断する

人は多いでしょうし、その方はメディア情報を冷静に対処できるでしょう。

しかしながら、まじめで大手メディアの報道を、ほとんど信じてしまう

情報弱者」もいることは、いるでしょう。身近な高齢者にも感じます。

(いつも同じ結論ですが)

その意味では、メディア報道には、冷静、公平、数字比較等の基本を改

めてお願いしたいと、思っている次第です。

 

「悪」が変えた世界史 上(読書感想文もどき) カリグラ ネロ ヴラド三世 イヴァン雷帝

「悪」が変えた世界史 上

ヴィクトル・バタジオン/編  

出版者    原書房 2020.11

1.概要

上巻のほうは、   カリグラからヴラド三世、ヴォワン夫人まで

絶対悪を体現する歴史上の人物という評価で、10人を取り上げてい

ます。

もちろん、誰を「悪人」と取り上げるかは、すべからく著者の主観

でしょうが、リストアップされた人物は「さもありなん」と思われ

ます。しかし、彼らは実際にはどんな人物で、どこまでが事実で、

どこからが神話だったのかの判断は、極めて難しいものです。

著者群ると、枕詞が、「狂気のローマ皇帝・カリグラ」、「子供の

に飢えた元帥ジル・ド・レ」となるようです。

他の著書からの情報が多い人物もあり、「いろんな見方」の参考にな

ります。  

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なんか、かわいらしい悪人イラストになりました。

2.本文から引用

刺激的・ウケ狙いだと、どうしても残酷シーンの列挙になりそうですが

あえて避け、著者の「考え方」を中心に引用します。

カリグラ

このような指導階級嫌悪は、カリグラは民衆派であった、という証拠なの

さろうか?確かに、カリグラは平民に対して驚くほどの思いやりを示すこ

とが時々あったが、それは民衆を扇動するためだけであった。いずれにし

ても、カリグラは身分の低い者も、貴顕と同じように苦しめることを躊躇

しなかった。  p20

ガイウス=カリグラは、在位三年八が月で死んだ。享年28歳。

彼は、殺されて治世を終えた初めてのローマ皇帝である。その誇大妄想、

悪ふざけ、おぞましい残忍性ゆえに、カリグラはローマの人々にとつて

皇帝権力のゆがんだ象徴となった。  P29

 

 ネロ

カリグラと同様に、ネロは生まれ持った残忍性を隠そうともせずに、醜悪

で嗜虐的にふるまうことがあった。舞台に立った時は、観衆が途切れもな

喝采することを要求し、疲れて喝采を中断した者は情け容赦なく打擲

された。なみはずれて裕福な者たちを処刑し、彼らの財産を奪った。

ローマ帝国一の富豪であった解放奴隷パッラスは毒殺された。子供の頃の

家庭教師、ブッルスには、喉の薬と称して毒を送った。  P52

 

ジル・ド・レ

ジル・ド・レは、その性的嗜好ーー小児性愛サディズムーーゆえに、

たんなる犯罪者とも魔法使いともみなされなかった。中世の人々が考え

るとどのようなカテゴリーにも入らない、絶対的怪物とみなされたのだ。

これこそ、ジルの忌まわしい思い出がブルターニュやヴァンデ地方を中

心としたフランス西部に長年にわたって継承された理由だろう。 P115

 

ヴラド三世

メフメト二世の注意を引いたのは城壁に囲まれた町そのものではなかった。

スルタンの軍が進む道は、串刺しの森のなかを通っていたのだ。長さ三

キロ、幅一キロにわたり、串刺しで果てた何千人もの死体が林立していた

のだ。(串刺しにされたのは、冬のオスマン領内侵攻のさいに生け捕りし

オスマン人) (中略)

スルタンさえも茫然自失し、これほどのことをしでかす男はこんな小さな

公国にに似つかわしくない、と舌を巻いた。    P120

 

 イヴァン雷帝

近年になってイヴァンの遺骸を調査したところ、かなりの量の水銀の蓄積

が確認された。(中略)

子ども時代のトラウマによって既に損傷を受けていたイヴァンの神経系統

は、水銀によって変調が深刻化したのであろう。こうした生理学的および

心理学的な考察はさておいて、イヴァンが暴君となったのは、邪悪な性格

ゆえなのか、思い描く統治を行うための政治的選択であったかのかは、判

断が難しい。いずれにしろ。権力の行使が正確の暗黒面を強めたことは確

かだろう。 P170

 

 バートリ・エルジェーべド

 エルジェーベドが怒りに任せて、ダイヤモンドの指輪をした小さな手で

侍女のほおをたたいて掻き傷をつけた時、その若き処女の血が自分の片

方の腕に滴り落ちた。すると奇跡が起きたかのように、エルジェーベド

の肌のしなやかさと輝きが復活したのだ。

虚栄心が強く、悠々自適の生活を送り、自分の美貌を保つことだけを

心配していた伯爵夫人は、永遠の若さの秘訣を見つけたと思ったのだ

ろう。 P180-181

 

人狩りも簡単だった。娘たちの多くが教育を全く受けておらず、プロ

テスタントと先祖代々の迷信のはざまで信心深くもなく、素朴さにあ

ふれ、背が高くがっしりとしており、若さ溢れる健康体で、鮮やかな

血の持ち主だった。つまり、伯爵夫人が好むすべてをそなえていたの

である。     P181

 

3.最後に

 世界史上で、「悪人」を定義しようとしたら、またランク付けしよう

としたら、それこそ収拾はつかないでしょう。

人間ですから、いろんな個性があり、局面局面での判断の違いもある

はずです。包括的理解・評価は無理で、「結果」からの一部の評価抽

出は可能でしょう。

一時的にせよ、何らかの権力(暴力装置)を維持していて、自分の判

断(直接・間接アリ)で、たくさんい人を死なせた、ということでし

ょうか。

 

 

皮肉でなく「テレビでは教えてくれない」は名文句と思う。 自尊心をくすぐる

1.「情報化の時代」と言われていますが・・・

(1)「情報化の時代」とは、かれこれ30年以上も、言われている

ように思います。

昔は紙の書いた文字情報だけであり、それがラジオが出てきて、

テレビがでて来て、「文字情報」の方も、いろんな出版物がでて

来て、そしてSNSが出てきて・・・

(2)SNSの隆盛は、「情報発信者」の飛躍的増加を見たのは、

ご案内の通りです。

受け手から方見ると、多くの人が、安価に、制約が少なくなる環境

で、種々雑多な「情報」に、接するようになってきました。

情報が洪水のようにあふれ、「整理しよう」、「自分で考えよう」と

いうまじめな人ほど、混乱をきたしているのが、実情でしょう。

いや、ますます個人の内部で「混乱が加速化」という表現が当たるか

もしれません。

(3)話が、グローバルになり、大きな範囲となり、地域特性を論じ

ていると、「例外事項」も増えるので、まとまらなくなります。

以下、現状の日本に、限定して、私が思うところを話をします。

 

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テレビの新型コロナウイルス報道、イメージ

2.テレビメディアは依然として強そう

 昨今言われるように、まだデータを参照して、解説もあるように

広告業界でテレビの凋落、インターネト広告のますますの進展」

と、いうのは正解でしょう。

しかしながら、テレビは、しぶとく生き残ると思います。

(1)「ながら」労働について

特に、テレビに見入っているわけでも、感情移入しているわけで

もないが、家事はじめ、入り円の「労働」の中で、「ついで」に参照

するものとして、テレビの位置づけは高いでしょう。

もちろん、広義の「運送」にかかる人は、動画、静止画情報参照では

仕事になりませんので、音声情報のみでしょうが、「テレビ参照」

できる労働は多いですよね。」

(2)時間を持て余している人

自主的な対応しなくても、画像と音声が「勝手」に流れるテレビは、

「退屈しのぎ」には、適していると思います。

当方が考えていても、考えていなくても、(当たり前ですが)向こう

の都合で、情報が流れます。

あまり、批判的観点がないと「情報の刷り込み」になりそうです。

例えば、新型コロナ情報で、テレビ情報のみ(番組はいくつもある

ようですが)だち、どうも、一方的な、情報判断に、なりそうです。

少し論点が違いますが、「昭和30年から40年代の子供」については、

共通の話題が、テレビ情報からが多かった気さします。

「読書」や「趣味」は「共通」というレベルには、拡大していなか

ったと思います。

(3)テレビが好きな人

ドラマにしても、ドキュメンタリーにしても、テレビ番組の感移入

して「楽しんでいる」人は、たくさんいそうです。

「多様性がなく、一方的」な考えの押し付け、否めませんが、「楽し

んでいるから、それでいだろう」には、反論しません。

(4)間を持たせるテレビ

やや不思議なのは、せっかく久しぶりに会って、対面で情報交換する

ことがありそうなのに、同じくテレビを見ていて、たまに会話。

おそらく、1対1で詰めた話をする内容はなく、テレビに「間を持た

せて」いるケースもあります。

(5)総じていえること

上の類型が網羅しているとは言わないし、反論も多いでしょう。

総じて私が思うのは、「テレビ情報を信頼している人」が多そうで

す。SNS情報は、どれを選択していいか、よく分からないし、「大

手マス・メディア」は、正しく、中立的に報道しそう、と思い込む人

は、多数いそうです。

確かに「本を読め」、「いろんな意見を比較検討して」と言われて

も、確かに「正論」ではあるが、メンドウだし、難しそう

 

 3.「テレビでは教えてくれない」という名文句

上記にように、テレビ情報の、情報量の多さ、利便性を認めたうえで

「私は、ヒトの知らないことを知っている」、「私は別情報がある」

「私は違う視点の分析ができる」と思うことは、自尊心をくすぐるも

です。

しかし、新しい話・高度の話・より正しそうな話は、知りたいが、

情報収取は大変、というか不可能に近い。

そこで「テレビでは教えてくれない」情報を、インターネットや雑誌

等の紙媒体で収集できると、とてもいい。「限定情報」ならなおさら

いい、となります。

インターネットでは「有料サイト」、雑誌であれば「購入」となるで

しょう。少なくとも、行動を起こすことは、ある程度主体的に「考え

ている」ことになると、思います。

 

 4.ふと思うこと

以下は、主文からはなれば蛇足です。

 この実社会は、どこにも「正解」がなく、自分のリスクで「考えて・

調べて・判断して」、行くしかないでしょう。

どれが正解かを示す、全知全能の「神」がいるわけではない。

三権分立なかでは「司法」が、何となく一番中立で、正しそうだが、

やはり人間が作る制度であり、限界はあります。

たとえば、裁判所に「不正」を訴える主張をするとしましょう。

訴える方に「証拠をそろえた挙証責任」があり、裁判に負けるとは、

「その不正はなかった」ということになります。

判事も人間ですから、世の中がどんどん複雑になってくると「理解で

きない・判断がつかない」ことが、増えてくるのは当然と思えます。

「不正を見破る」というと、かっこいいいいですが、判事に「ないも

のねだり」の点もあるでしょう。

暗い結論ですが裁判結果には、「仕方がない」と諦めることになりま

す。