今週のお題で、少し書いてみます。
1.昔話
私は還暦前ですし、「青春」という言葉へのコメントは過去の懐古
趣味ととられません。
「青春の1ページ」といえば、中学や高校のクラブ活動での、その
時の自分の思い、同輩や先輩後輩、指導者、家族等の人間関係を
織り込ませて、書けば、まさに十人十色でいろんなエピソードが
あって面白いと思います。
もちろん年齢からして、私も「若い」その時期はありましたし、
生々しい記憶もあります。
少しラグビーをかじったこともあります。
しかし、ここでは、先人二人の言葉を取り上げます。
2.先人の言葉から
①まず、ドイツ出身でアメリカの詩人サミュエル・ウルフマンの
「青春」でしょうか。
一部抜き書きで申し訳ないですが、私が特に気に入っているのは、
下記の部分。
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老い
がくる
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
(中略)
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
中高年の悪あがきと聞こえようがどう取られようが構いません。
希望を失わないで、前向きに進もうとする意志がある限り、人間は
朽ちないと思います。
高齢化社会は今後ますます進展していくなか、健康のこと、経済的
なことで悩み多き中高年にエールを送れるほど、私は強い人間では
ありません。
私の実態を書くと、健康面、経済面含めて、十分な「ゆとり」とは
程遠い状態で、今後も、もがきつづけねばなりません。
ご同輩へのエールのまえに、「希望を失わずいように」と、自分に
語り続けるだけです。
こちらも有名ですよね。
- 「少くして学べば、則ち壮にして為すことあり
- 壮にして学べば、則ち老いて衰えず
- 老いて学べば、則ち死して朽ちず」
これを、私は青春の観点から捉えました。
年齢からくると、私はもう「壮」の終わり近く「老」に入る段階
です。
いや、客観的には、完全に「老」だろう、と言われるかもしれま
せん。
自分の意識では「少しにして学んだ」つもりですが「壮にして為す
こと」を」残したかといえば、まったく自身がありません。
ここでは、「自分の評価は、ヒトがするもの」と、逃げましょう。
「壮」でも「老」でも、学び続けることで、「青春継続」とします。
棺桶に足を突っ込むまで、ヒトの幸せは解らない
健康寿命といわれる75歳までは、少なくとも仕事でもがき続ける
べきであろう
と、いったことを考えています。
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