(1)世の中、どんどん情報があふれてくる一方ですが、いわいる
「自己啓発」という分野で各種多くの出版物、セミナー、ブログ等々
があることを、改めて知りました。
(とはいっても、閲覧は日本語サイトがほとんどですが)
生まれたての赤ん坊ならともかく、「人間」をある程度やっていると
誰しも、いろいろ経験します。
私も、そこそこ長く「人間」を演じてきたので、したり顔で、「自己
啓発」的な文章も書けるだろうと思ったりしました。
(2)無論、現実はそう甘くはありません。
昔、「どんな人でも、生きていると、小説の一本ぐらいかける」と
豪語した人もいたようですが、それは、然りでしょう。
但し、小説を書けるか否かは、本人の実体験の面白さの差と言う
より、文章に起こす興味・関心・趣味、時間、表現力等によるで
しょう。
「大きく変動した」、「波乱万丈」、とか、「真理を得た」とか、
本人には大問題を解決した感覚でも、過去の類似経験をした人は、
調べるとヤマホドいることが解ります。
やはり、人間の歴史は長いと思います。
(3) また、真摯な態度・経験のなかに、情報の受け手が「共感」を
感じるとして、そのとおりやってうまくいくのでしょうか?
「宝の探し方や気構えでなく「宝の山の地図」を、教えてほしい」と
いうのが、偽らざる望みでしょうが、そもそも「宝の山の地図」は
存在するのでしょうか?
現実に「宝の山の地図」を教えます、的な話もあるようですが、
もう、状況が変わっていて、宝が掘りつくされてしまっていたり、
宝の場所が、移動してしまったこともあるのでは?
やはり「魚をもらうのでなく、魚の釣り方を学ぶ」しかなさそうです。
できれば、直節自分とは、利害関係が無関係の人から学んだり、
もう亡くなってしまって、貴方に影響を与えても、トクにはならない
人から学んだ方が、いい気がします。
2.直接相手から学ぶ、ただし、学び方はあなた次第
前段が、長くなりましたが
私にとっての「自己啓発」支援はやはり、先人の紹介となるでしょうか?
繰り返しますが、現在生きている人を、私は否定していません。
現在の人を含む過去からの先人を、広く「先人の知恵」として相手
にしたい、ということです。
まずは、過去このブログでの紹介を再度少し引用します。
(1)まずは、現代人、内田樹さんの言葉から
大学名誉教授です。
内田さんの「生きる力を高める」から、
冒頭の「いつの時代だって事情は同じ。先の見通しなんかさっぱり
立たない。」という見解に私も同調です。
例えば我々が歴史書を読むとき、往々にしてその後の歴史を学
んで知っており、その知識を基に読んでいる場合が多いですが、
問題の、渦中にある人は常に現在進行形です。
(無論過去の歴史から学んで自分なりに考え、判断している場合
も多いでしょうが)自分で判断するしかないわけです。
「生きる力を高める」とは、
生きる力は、出会うべきヒトに、本当に必要な出会うべき時
に出会う。
聞くべき時に聞くべき言葉を聞き、知るべき時にそれを知って
いる人に出会う。
そういう力となります。
(2)つぎは、もう亡くなっている方から
昨年「青春」というブログのお題があり、引用したものです。
①ドイツ出身でアメリカの詩人サミュエル・ウルフマンの「青春」
でしょうか。 一部抜き書きからです。
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
(中略)
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
(michiコメント)
希望を失わないで、前向きに進もうとする意志がある限り、人間は
朽ちないと思います。
高齢化社会は今後ますます進展していくなか、健康のこと、経済的
なことで悩み多き中高年にエールを送れるほど、私は強い人間では
ありません。
「希望を失わずいように」と、自分に語り続けるだけです。
こちらも有名ですよね。
「少くして学べば、則ち壮にして為すことあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず」
(michiコメント)
これを、私は青春の観点から捉えました。
個人的には、私はもう「壮」の終わり近く「老」に入る段階
です。
肉体は健康寿命を全うするように、頭脳の方も常に勉強して
維持を、というところでしょうか。
3.私の自己啓発
というわけで、先人の言葉から考えたことを、自己啓発として、書いてきたいと思っています。