中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦前の中高年がざっくばらんに書きつける日記

「夜と霧・フランクル」(読書感想文もどき)視点を変えて 人生はあなたに絶望しない

 

f:id:xmichi0:20190930163706j:plain

フランクル 夜と霧

 「夜と霧フランクル」(絶望の果てに光がある)

 著者 諸富祥彦

発行所 NHK出版

 フランクルの「夜と霧」はいたるところで引用されていますし、

私も、通読しています。(日本語版です。)

今回、1963年生まれの明治大学文学部教授で、臨床心理士

諸富祥彦氏の「夜と霧・フランクルを取り上げました。

NHK「100分de名著」のシリーズは、読みやすいかと

思います。

 本書は、目次そのものが、要約になっていて 

はじめにーーー「生きる意味」を求めて

第1章 絶望の中で見つけた希望

第2章 どんな人生にも意味がある

第3章 運命と向き合って生きる

第4章 苦悩の先にこそ光がある

 なお、読書案内、フランクル 略年譜の後に

寄稿として 姜尚中「永遠の至福を求めて」

 ご存知の方も多いでしょうが

「夜と霧」は、ユダヤ精神科医ヴィクトール・エーミール・フ

ランクルが、ナチスによって強制収容所に送られた体験を綴った

本です。

一筋の希望もなく、待っているのは悲惨な死のみという環境下で

その不条理を受け入れ、運命にどういう態度を取るのかを決める

精神の自由を説いています。

幸いにも私は、「苦労している」と自認するにしても、客観的に

遥かに、フランクルより「マシ」な環境にあるわけです。

私が今、戦場の最前線に行けとか、政治犯として、今にも処刑さ

れそう、食料がなくて餓死しそうとか、そういう「死」に直面す

る切羽詰まった状況にはないわけです。

比較すると、私の悩みがとても「小さい」ものであることは

解ります。  まず、

人間は「人生から問われている者」である

 というのがこれがフランクルの基本テーゼです。
なんで、こんな人生なのかと嘆くのが私みたいな凡人ですが、
フランクルは、視点を見事に180度変えます。
主体は我々自身でなくて、「人生」の方であり、我々は答え
ねばならない立場にあるのです。
文中から引用すると 
「私たちは、「何のために生きているのか」「この人生に意味な
んてあるのか」と思い悩むことがあるけれども、本当はそういっ
たことに、悩む必要なんてこれっぽっちもありはしない。
なぜなら、私たちがなすべきこと=実現すべき意味・使命は、
私たち人間がそんな風に悩むかどうかにかかわりなく、
「私を超えた向こう」から私たちの足もとに常にすでに
送り届けられてきているからだ
(中略)
私たちがなすべきこと、行うべきことは、私たちの足元に
常にすでに送り届けられてきている「意味と使命」を発見し、
実現していくこと。(P61)となります
   次に「苦悩」について、コメントします。
人間の本質をどう定義するかですが
人間は考える存在(ホモ・サピエンス)18世紀の博物学者リンネ
人間は工作する存在(ホモ・ファーベル)フランスの哲学者
人間は遊技する存在である(ホモ・ルーデンス)オランダの歴史
この3者はよく聞きますね。
フランクルは,上記先人に対し、
人間は苦悩する存在である(ホモ・パティエンス) と
定義します。 P104
 そこで、何のため、誰のための苦悩なのかを問題にします。
「厳しい」と取れれるでしょうが
「苦悩を志向し、有意味に、苦悩することができるのは、
何かのため、誰かのために苦悩するときだけなのです。
つまり、苦悩は意味で満たされるためには、自己目的であって
はならないんのです。
自己目的となった途端に、どんな苦悩への覚悟、魏税への覚
悟もすべてマゾヒズムに転化してしまうでしょう。P112
つまり、悩むのも自分のためでなく、人様のため、という
ことですね。

 フランクル言わせると

自らの主観で人生に意味があるかないかを決め得るとして
人生の意味を問う構えそのものが傲慢」となりますが、
自己中心に凝り固まった考えをほぐし、「生かされている」、
「周りのため」「前向きに生きることが義務」という素朴な、
考えを思い出したことでした。
(仏教の生死観にも通じますね)
   最後に著名な表現を記載しましょう

 あなたがどれほど人生に絶望しても、

  人生のほうがあなたに絶望すること

  はない

  姜尚中氏の「永遠の至福を求めて」という寄稿を収録しています。

最後の文章を引用します。

いつか永遠の至が訪れることを願って、逃げず、臆さず、人生

からの問いに日々yesと答えて続けることにしましょう。

フランクルの言葉を信じて。P151