中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

単純な脳、複雑な「私」(読書感想文もどき) 「直観力は年齢とともに成長」という中高年へのエール

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単純な脳、複雑な「私」
今回は
単純な脳、複雑な「私」
又は、自分を使いまわしながら進化した脳をめぐる4つの講義
 
池谷裕二さんの著書で「進化しすぎた脳」の続編
発行書は株式会社講談社ブルーバックス です。
 
また、目次を列挙すると
1 脳は私のことをホントに理解しているか
2 脳は空から心を眺めている
3 脳はゆらいで自由をつくりあげる
4 脳はノイズから生命を生み出す
  
著者の母校の高校生相手の講演ですから、わりと平易かと思いまし
たが、さにあらず。
かなり本格的な脳科学の講義でした。
第1章は全校生徒あて講義ですが、第2章から4章は受講相手が9人に
限定されたなかでの講義。
生徒側の活発な意見・見解も記載してあるゼミナールのようでもあり、
一層高度でした。
 
テーマは心の構造解読であり、脳には驚くべき単純性があり
、そこから創発される複雑性が共存する、ということ。
創発」の定義は、
 数少ない単純なルールに従って、同じプロセスを何度も何度も
繰り返すことで、本来は想定していなかったような、新しい性質
を獲得する、ということ。(P372)
 
もう少し、詳しく書くと
➀私たちは、ものごとの正しさや好き・嫌いを判断するとき、知
らず知らずのうちにこれまでの経験や環境の影響を巻き込んでし
まっている。
しかも、私たちはそれを意識していない。
我々は、自らの意志で自由に判断、行動しているつもりでも、
実は行動しようと思う前に、脳がすでに動く準備を行っている。
「自由」は行動よりも前に存在するのではなくて、行動の結果も
たらされるものだ。
③「意志」や「意図」は、簡素なルールに従って創発されている
だけなのではないか。
 
以下、「なるほど」と私が時に感じ入った部分を
抜き書きしていきます。
特に、全体講義の第1章は、私には相対的に解りやすく、かつ示唆
に富んでいました。
 
(脳の早とちりは生存戦略にぐっと有利、の説明) 
P46
野生の世界では、手遅れになって命を落とすくらいならば、早と
ちりした方がはるかにマシ、ということでしょう
 
(錯誤帰属の意味の説明の部分)
P62
自分の行動の「意味」や「目的」を、脳は早とちりして、勘違いな
理由づけをしてしまう、ということ。
(研究者によって視線をコントロールされているだけなのに)
脳は、「私が目をやって見にいっているくらいだから、つまり、
私は相手に好意を持っているんだ」と間違った解釈をする。
 
 (「直観」と「ひらめき」の差異の説明部分)
P79
「ひらめき」は、思いついた後に理由が言える。
理屈や理論に基づく判断であり、大脳皮質がメインで担当している。
 
「直感」は自分でも理由が分からない。漠然とした感覚。
あいまいな感覚なのですが結構正しい。
脳の部位でいうと、直観は基低核が担当している。
 
(ここから「ひらめき」を失いつつある、もしくは失った中高年
である私に強いエールとなっている話)
 P91
直感は「学習」なんですよ、努力の賜物なんです。
直感は訓練によってみにつく。
(中略)理由が本人に解らないとしても、直観によって導き出され
た答えは、案外と正しい。
 
P95-96
脳の機能からいれば、年を取ることはいい側面もたくさんある
(中略)直観力は年齢とともに成長していく。
若いころは直観が不足していて、もう一つの能力=「ひらめき」
を頼りにする。つまり、論理的思考を重ねていってアイデァを
絞るという戦略。
 
 P120
何が正しいか、何が間違ってているかの判断基準は、脳にはない。
「正しい」という感覚を生み出すのは、単に「どれだけその世界
に長くいたか」というだけ。
 
P142
サブリミナル効果の話で、「見覚えあるものは、人間は好き」
の説明の部分)
(その生物が)「今生きている」ということは、かつて経験した
ものは安全だった可能性が高い、決定的に危険なものだったなら、
すでに死んでいるはずだから。
 
P146
情報はきちんと保管され、正確に呼び出されるというよりも
記憶は積極的に再構築されるものだ。
とりわけ思い出すときに再構築される。
 
P203
脳は「自分の取った行動」を観察して、「あっ、自分はこう
考えているんだ」と理解する、そんな側面が「心」には強い。
表現を通じて自己理解に達する。
あるいは身体状態を認知して、心の内面を脚色する。
 
(脳は孤独、外界を直接知ることはできないことの説明)
 P204
すべての情報は「体」を通じて脳に入ってくる。(中略)
「体あっての脳」を忘れてはならない
「脳のない生物」は実在するけど、「体のない脳」はSFの
世界にしか存在しない
 
最後に
本書もまた、非常に面白かったのですが、
 自分の感じたこと、考えたことを文字化するのは非常に骨の
折れる大変なことであるの、改めて思い知らされた本でした。
今まで付き合ってくれた自分の脳に感謝であるし、
今後もつきあっていくしかない、自分の脳によろしくお願い
します、というのが結語。