中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

ルバイヤート これも愛読書 酒賛美の詩 人生の無常も感じますよ

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イスラム教のモスクのイメージ

今日の話は、ルバイヤートです。

何をいまさら、という方も多いでしょうが、私にとっては、若い頃か

ら、ずっと愛読してきた本であり、まだ若くてお読みでない方には、

紹介もいいかな? といったところ

1.ルバイヤートとは?

まず、ルバイヤートとは何ぞや?ですが

今回wikipediaでばく、コトバンク、引用(一部要約)すると

ルバイヤートとは - コトバンク

ペルシア語の四行詩集。

ルバーイー(四行詩)の複数形。

イラン固有の詩形で民謡に端を発したという。

第一行、第二行、第四行の脚韻はかならず押韻し、第三行の脚韻

押韻してもしなくてもよい。

ルバイヤートといえば、ペルシア文学代表作品としてウマ

ル・アル・ハイヤーミーを想起するほど彼の作品は世界的

に名高い。

19世紀なかばイギリスの詩人E・フィッツジェラルドによっ

て流麗な英訳が刊行されて以来、世界中に名声が高まり、

日本語を含めて世界の主要な言語に翻訳された。

人生の無常、宿命、酒の賛美、一瞬の活用などが基調とな

っている。  

 2.お気に入り

詩ですから、お気に入りがあって、それを五月雨式に紹介します。

 

もともと無理やり連れ出された世界なんだ、

生きてやなみのほか得るところなにがあったか?

いまは、何のために来たり住みそして去るのやら

わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!

(解き得ぬ謎  第2詩   p13 )

 

歓楽もやがて思い出と消えようもの、

古き好(よしみ)をつなぐに足るは生の酒のみだよ。

酒の器にかけた手をしっかりと離すまい、

お前が消えたって盃だけは残るよ! 

(生きのなやみ 第21詩 P25)

   

 幾山川を越えて来たこの旅路であった、

どこの地平のはてまでもめぐりめぐった。

だか、向こうから誰一人来るのに会わず、

道はただ行く道、帰る旅人を見なかった。

(万物流転 第49詩     p46)

 

愛しい友よ、いつかまた相会うことがあってくれ、

酌み交わす酒にはおれを偲んでくれ。

おれのいた座にもし盃がめぐって来たら、

地に傾けてその酒をおれに注いでくれ

(ままよ、どうあろうと  第83詩   p69)

  

恋する者と酒飲みは地獄に行くと言う、

根も葉もない戯言にしかすぎぬ。 

恋する者や酒飲みが地獄に落ちたら、

天国は人影もなくさびれよう! 

(ままよ、どうあろうと 第87詩 P71)

  

バグダードでも、バルクでも、命はつきる。

酒が甘かろうと、苦かろうと、盃は満ちる。

たのしむがいい、おれと君が立ち去ってからも、

月は無限に朔望をかけめぐる!

(ままよ、どうあろうと 第95詩   p75)

 

世の中が思いのままに動いたとてなんになろう?

命の書を読みつくしたとてなんになろう?

心のままに百年を生きていたとて、

更に百年を生きていたとてなんになろう?

(むなしさよ 第103詩      p 84)

 

なお、彼の人となりについて訳者の解説を引用します。

ハイヤームは天性内気で、おとなしくて、観照的で、哲学的瞑想
ふけったり、自然科学や数学研究に身をゆだねることを好んだ。
(解説 p119)

   手元にあるのは、下記岩波文庫です。

ページ記載は、この文庫本のページです。

ルバイヤート

著者       オマル・ハイヤーム/作 

小川亮作/訳  

出版者    岩波書店 1979.9

   4.疑問は、イスラム教徒で飲酒大丈夫?

ルバイヤートを読んでいて、ときどきも感じるのは、

どうもイスラム教の感じがしないな、また飲酒を書いて大丈夫?

というものでした。

こんどは、ウマル・ハイヤーム - Wikipedia

から、引用すると 

ウマル・ハイヤームとイスラム

ウマル・ハイヤームの哲学は、公的なイスラム教の教義

とはかなりに異なるものであった。

ウマルが神の存在を信じていたのかどうか明確でないが、

しかし彼は、すべての個別の出来事や現象が神的な介在

の結果であるという見解には異議を唱えていた。

また、最後の審判の日や、死後の報償や懲罰なども信じ

ていなかった。

ウマルはむしろ、自然の法則が、生命について観察される

すべての現象を説明するという見解を支持していた。

イスラムの宗務当局は、イスラム教に関する彼の異説に

ついての説明を幾たびもウマルに求めた。

最終的にウマルは、当局からの追及が激しくなり建前上

正統的なイスラーム教徒(ムスリム)を装わざるを得な

くなり、マッカへのハッジ(巡礼)を行った。

 5.最後に

いくつになっても読めそうだし、それぞれの時期で感じることが

変わっていきそう。

そう思わせるから、古典として生き残ってきた面もあると思います。

今の私の感想は、

彼は組織のエリートして、「自分に見えて」いて、「周りの人に見え

いない」ことが多かったのだろうと想像します。

そのなかで、「やってられないので酒でも飲むか」との気持ちも

あったのでは? というものです。