中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

ウイルスとは共存 感染症と人間は長い付き合い 数字比較は非常に困難「撲滅しよう」は思い上がり?

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地球規模で考えてみよう、との意図でこのイラスト


1. 日本の緊急事態宣言の延長に際して

(1)これを、書いているのは5月第一週。

緊急事態宣言が、5月末まで延長で、出口戦略の数値基準は、相変わ

らず、(少なくとも私には)不明です。

全国一律に「延長」と言いつつ、「指針」はかなり変更点もある様

子に読めます。。

政府が何をしたいのか、どういう方向性なのか、良く解らない状態は

続きそうです。

(2)目先のコメント書いても仕方ないので、今日は大風呂敷を広

げます。

ちょっとどころか、大いに生意気な意見かと、思われるかもしれませ

んが、「ウイルスとは共存」というのが正直なところ。

可能な範囲で歴史を振り返っても、長い付き合いをしているので

は、と感じています。

私は、「人間は万物の霊長、神が作った他の生物より尊いもの」との

考え方には真っ向から反対です。

地球上に生を受けて「たまたま」非常に繁栄している(と言うか個体

数が据えすぎたくらいと言ってもいい)状態ですが、それがいつまで

続くかは不明。

もちろん、現在君臨している現実をもってしても、特段偉いわけではない。

過去の一時期この地球上に君臨したシダ植物や恐竜を、特段偉いと思

わないのと同じ感覚です。

 2.数字比較は、非常に困難

戦争の恐怖、圧政の恐怖、サバクトビバッタの恐怖、世界中に怖い話

は沢山ありますし、おそらく恐怖の対象は、有史以来亡くなったこと

は無いでしょう。

今、世界中の人類の間の高い関心のひとつが、「感染症による死」。

「正しく怖がる」には、正確な情報がほしいのですが、これが厄介。

「比較しよう」にも非常に困難な事例も多々、一つ引用します。

【解説】 各国の感染・死者数、比較が難しいのはなぜ? 新型ウイルス - BBCニュース

エジンバラ大学のロウランド・カオ教授(データ科学)

は、比較を有益なものにするには、2つの問題を考える必要

があるとする。

 「基本となるデータは同じ種類なのか? 

疫学(伝染病の広がりに関する他の全要素)が違うとき、

2つの数字を比べることに意味はあるのか?」

 〇死者の集計

まず数字をいくつか見てみよう。

COVID-19の死者の記録方法は、国によって違う。

 例えばフランスは、毎日発表する人数に介護施設で亡くな

った人を含めている。

一方、イングランドは病院で死去した人数だけを発表して

いる。

 死や死因をどう判定するのかについても、一致した国際基

準がない。

 統計に反映するには、ウイルス検査を受けている必要はあ

るのか、それとも医師に疑いがあるとされれば十分なのか? 

新型ウイルスが主な死因でなくてはならないのか、または

死亡診断書に何らかの記載があればいいのか?

 本当に同種のものを比べているのだろうか?

 〇死亡率

死亡率に大きな注目が集まっている。

だが、いくつか異なる計算方法がある。

 1つは、感染件数に対する死亡件数の割合だ。

ウイルス検査で陽性と判定される人のうち、何人が死ぬの

か?

 ただ、検査の方法は国によって大きく違う。

イギリスは、病院に入院するほどの症状が出ている人を主

に検査している。

そのため、より広範に検査を実施している国より、死亡率

はずっと高くなり得る。

 検査をするほど、陽性だが 果たして、このデータは本当に

信頼できるのだろうか?。

政治的要因に触れている個所も、納得がいきます。

統制が厳しい政治体制の国が発表するデータを信頼するの

は難しい。

 中国やイランといった国々の死者数は正確なのだろう

か? はっきりしたことは言えない。

 人口100万人あたりで計算すると、中国の数字は極端に小

さくなる。

武漢市の死者数が一気に50%増えた、上方修正をした後で

さえだ。

 果たして、このデータは本当に信頼できるのだろうか? 

ことあるごとに私は、

「数字をしっかり捉えて」「自分の頭で考えて」と書いていますが

   その数字の前提は、比較できるのか?

   数字は信ぴょう性あるのか?

   政治要因等からの圧力は受けていないか?

等は、「考える前提」として、とても重要かと思います。

  4.最後に

陳腐な表現でしょうが、生きの残るためには、魚をもらうのではなく

魚の釣り方を学ぶことです。

時の行政を批判したところで、最終的には従うしかない。

マスメディアを批判して所で、彼らが変わるわけはなく、継続して

彼等を反面教師として、使うだけ。

言葉の障害(外国語ができないこと)は仕方ない面として、広くか

つ、なるべく片手落ちでない情報を取ることを継続する。

しかる後に、考え、行動していく、それしかかないのでしょう。

あまりにも、当たり前すぎる、締めの言葉ですが・・・・・