神の亡霊 近代という物語
小坂井敏晶/著
出版者 東京大学出版会 2018.7
神の死によって成立した近代。その袋小路を俯瞰し、死にまつ
わる誤解、善悪の根拠、規範論の正体、集団責任のからくりなど
を考察しています。
(註)がとても詳しい。本文の3倍くらいあります。
小坂井敏晶さんについては、かつて
「社会心理学講義」や「答えのない世界を生きる」を、ゆっくり
読みましたが、消化不良は続いています。
正直、私にはとても難しい。
最近、「教育という名の虚構」をyoutubeで聞きました。
https://www.youtube.com/watch?v=7jlqCjHi8Yo
難しい、消化不良であっても、惹かれる著者はいます。
まさに、彼がその一人。
今回、この「神の亡霊」から、引用、2回に分けます。
少し構成変えて、各回(合計12回)の項目を軸に本書全般から
引っ張ってきています。
引用の意図は従前と同じ。
私が気に入った部分の抜粋であり、なるべく要約は避け、著者の
生の声を伝えようと思っています。
序 近代という社会装置
「人間は自由だから、その行為に責任を持たねばならない」という
のは、実は、理論が逆立ちしている。
責任を誰かに課す必要があるから、人間は自由だと社会が宣言する
のである。自由は虚構であり、見せしめのための責任者を作り出し
て罰し、怒りや悲しみを鎮める政治装置である。 P2
ある現象を虚構と形容するのは、その現象が存在しないという
意味ではない。残像という錯覚がなければ、映画もテレビも作れ
ない。
蜃気楼も錯覚だが、誰の目にも映る確固とした現実である。
(中略)
虚構と現実は切り離せない。虚構のおかげで堅固な現実が成立する
のであろう。 P7
世の中には「べき論」が氾濫する。多くの人が正義を求め、より平等
な社会を作ろうと努力してきた。だが、「べき論」は人間の現実から
目を背けて祈りを捧げているだけだ。雨乞いの踊りと変わらない。
集団減少を胎動させる真の現認は、それを生む人間自身に隠蔽され
代わりに虚構が現れる。「べき論」の素朴な善意の背景には無理や傲
慢あるいは偽善が隠されている。まずそれを自覚しなければ、何も始
まらない。 P8
一つの迷信が崩れても他の迷信がまたすぐに頭をもたげる。民族や文
化などの概念も人種と同じ虚構である。
自由と自分勝手は違う、平等と公平は区別すべきだ・・・。これら
に議論も虚構に騙されている。 P9
(問題に答えが存在する保証があれば)いつか誰かが答えを見つける
だろう。だが、答えが存在しなければ、いつまで考えても問題は永久
に解けない。ならば、問い自体を見直すべきだ。進む方向に出口がな
いことを示すのも重要な仕事である。 P9
第一回 死の現象学
死にまつわる誤解を指摘する。自分の死は知ることはできない。それ
なのに自分の死を恐れるのは何故か。 P10
近代は神を殺した。しかし神の亡霊は今も漂う。虚構が生み出される
と同時に、その虚構性が隠蔽される。社会が表明する理由はたいてい
嘘だ。責任の追及や犯罪の処罰、恋愛や性タブー、自由と平等、正義
実現を目標に掲げる鵜「べき論」。どれも社会を機能させるために虚
構である。そして死刑制度が維持される本当の理由も他にある。P33
第二回 臓器移植と社会契約論
脳死を認める側も拒絶する側も、何か大切なことを見落としていない
か。考えれば答えが見つかるという前提が既に誤りだ。 P10
キリスト教同様、仏教も肉体への執着を戒める。どうして臓器提供
への抵抗が起こるのか、どうしても理由がはっきりしない。 P48
正しい社会秩序を理性的に構築しようと近代的政治思想は試みる。
だが、四辺を持つ三角形の作図が原理的に不可能であるのと同様、
それは虚しい願いだ。近代は宗教への依存を表向き禁じた。しかし
実はいまでも虚構物語の真っただ中にいる。神の亡霊はこうして
漂い続ける。 P51
第三回 パンドラの箱を開けた近代
死体の意味を再考する。死体を特別視する理由を我々は解っている
のか。 P10
神は存在せず、善悪を自分たちが決めるのだと悟った人間はパン
ドラの箱を開けてしまった。生命倫理の分野だけでなく、造成結婚
・性別適合手術・近親相姦などの是非を判断するうえで、近代以前
であれば 聖書などの経典に依拠すれば済んだ。あるいはその解釈
だけで事足りた。しかし道徳を正当化する源泉は、もはや失われ
た。 P81
第四回 普遍的価値と相対主義
善悪の根拠を問う。宗教とは関係なさそうな司法の分野にも神の
亡霊が憑依する。 P10
倫理判断やさばきは合理的行為ではない。信仰だ。それゆえに
強大な力を行使する。裁判と神は同じ論理構造に支えられる。
裁判は力だ。有無を言わさず、それ以上に議論を遡及させない
思考停止の砦をなす。人根思想は現代の十戒である。 P98
第五回 『べき論』の正体
規範論の本質を暴く。 P11
正義論を始めとして、世にある多くの規範論は祈りや雨乞いの
踊りと同じく、魔法の呪文である。集団現象を胎動させる真の
原理は、それを生む人間に隠蔽され、代わりに虚構が捏造される。
しかし、それでも我々は「べき論」を語り続ける。
愚痴を垂れてストレスを発散するのと同じように、社会虚構は
重要な機能を担う。
近代は神を殺し、真理の内在化を夢見る。しかし外部は消せず、
真理は存在しない。神の亡霊はしぶとく彷徨い続ける。 P137
(尻切れドンボみたいですが、ここで切ります。その2(後編)
に繋ぎます。)
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