責任という虚構
小坂井敏晶/著
出版者 筑摩書房 2020.1
1.概要
責任という現象の構造・意味は何か。自由意志によって行為がなされ
るという常識を斥け、この知見を背景にホロコースト、死刑制度、冤
罪を考察。
道徳や社会秩序の根拠がどのように生成されるかを検討しています。
補考の部分が、文庫化に際し充実されています。
先日「神の亡霊」でも以下を書きました。
小坂井敏晶さんについては、かつて
「社会心理学講義」や「答えのない世界を生きる」を、ゆっくり
読みましたが、消化不良は続いています。
正直、私にはとても難しい。
最近、「教育という名の虚構」をyoutubeで聞きました。
https://www.youtube.com/watch?v=7jlqCjHi8Yo
難しい、消化不良であっても、惹かれる著者はいます。
まさに、彼がその一人。
2.本文からの引用
責任の正体に迫るためには、自由に関する我々の常識をまず改めな
ければならない。近代的道徳観や刑法理念においては、自由意志の
もとになされた行為だから責任を負うと考えられているが、この出
発点にすでに誤りがある。実は自由と責任の関係は理論が逆立ちし
ている。
自由だから責任が発生するのではない。逆に我々は責任者を見つけ
なければならないから、つまり事件のけじめをつける必要がある
から行為者を自由だと社会が宣言するのである。
自由は責任のための必要条件でなく逆に、因果論で責任概念を定立
する結果、理論的に要請される社会的虚構に他ならない。 P245
どうして犯罪が生じるのかと嘆く時、悪い結果は悪い原因が引き起
こすという暗黙の了解がある。社会の機能がどこかくるっているか
ら犯罪が生じると考えやすい。
だが、この常識は発送の出発点から間違っている。
犯罪のない社会は論理的にあり得ない。悪の存在しない社会とは、
すべての人々が同じ価値観胃染まって同じ行動をとる全体主義
社会だ。つまり犯罪のない社会とは理想郷どころか、ジョージ・
オーウェル『1984年』が描くような人間の精神が完全に
管理される世界に他ならない。 P260
(責任の正体について)
民主の怒りや悲しみを鎮め、社会秩序を回復するために犯罪を
破棄しなければならない。しかし犯罪はすでに起きてしまった
ので、犯罪自体を無に帰すことは不可能だ。そこで犯罪を象徴
する対象が選ばれ、このシンボル破棄の儀式を通して秩序が回
復される。責任という社会装置が機能する順序をフォーコネは
こう分析した。 P294
死刑を望む本当の理由は、犯罪によって乱された社会秩序を再
び取り戻すために、犯罪行為のシンボルとして受刑者を世界か
ら抹殺する必要があるからだ。勝手に自殺しないように死刑囚
は厳重な監視下に置かれる。 P311
人間が作った秩序なのに、それがどの人間に対しても外的な存在
となる。共同体の誰に対しても権力者さえも手の届かない<外部>
だからこそ、社会制度が安定する。無根拠で偶然の産物に過ぎな
いのに、あたかも根拠に支えられたかのように機能する。つまり誰
にも自由にならない状態ができるおかげで、社会秩序は誰かが勝手
に捏造したものでなく普遍的価値を体現するという感覚が生まれる。
P335
共同体の<外部>に投影されるブラックボックスを援用せずには社
会秩序を根拠づけられない。社会秩序は自己の内部に根拠を持ちえ
ず、<外部>虚構に支えられなければ成立しない。
それだけではない。
虚構のおかげで社会秩序が機能する事実そのものが人間の意識に隠さ
れなければ、社会秩序が正当なものとして我々の前に現れない。P344
神の死によって成立した近代でも、社会秩序を根拠づける<外部>
は生み出され続ける。虚構のない正解に人間は生きられない。
P371
世界の根拠を定立する方向は3つしかない
して想定
条件へと還元する
③究極的原因という概念自体を否定しながら世界の根拠を
解明する第三の道
人間はどう生きるべきか、責任・刑罰体系はどうあるべきか
という規範的考察を避け、人間は実際どう生きているか、社
会はどう機能しているか、責任という現象の構造・意味は何か
という記述的態度を本書は一貫して採った。
責任はどうあるべきかという問いから逃げたのではない。この
問いに究極的な答えは存在しない。社会・文化・歴史条件に
拘束されながら、私たちにはこの答えが正しいと思われると
いう以外に、この問いに答えなない。 P387
人間の相互作用から集団現象は必ず遊離し、そこに虚構が生
まれる。無根拠性・恣意性は必然的に隠ぺいされる。P387
3.私の理解の範囲での感想
今回も手ごわかった。理解できたという自信には乏しい。
はるか昔の大学の法学部での刑法講義依頼、責任現象について、
真剣に考えたのかもしれません。
上位気に引用していますが、
「人間が作った秩序なのに、それがどの人間に対しても外的な存在
となる。共同体の誰に対しても権力者さえも手の届かない<外部>
だからこそ、社会制度が安定する。」
という部分が、今の私にはしっくりきます。
どんな人間に対して外的な存在たる秩序は、それなりにに堅固なの
でしょう。もし、その秩序を全面的に壊しうる存在とは、いったい
何だろうと、考えているところです。