中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

不安対応再論:昔も現代も不安は同じくらい。思い付き私見処方箋

Ⅰ.いつの時代も「不安」は同じ
今年の7月末にこのブログで「いつの時代も不安は同じくらい」との
趣旨を書いています。
要約しますと、
1.権威があるもの、昔は権威があったもの
(1)理科系のノーベル3賞(物理学、化学、生理学・医学)は、
まだまだ「権威」があり。
(2)一方時代ともに、「権威」からずれ落ちたものも多々あり
戦後すぐの輝かしい「国際機関」のイメージから最近は輪をかけて
WHO(国際保健機構)はもうさんざん悪口言われるし、ユネスコ
評判も怪しいものですよね。 
(3)かつて国連職員になって「国際公務員」になると、「地方
公務員」より、カッコイイような、雰囲気。
いまは、「権威からずり落ち」のイメージです。
 
 

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不安な心理状態です

2.変わるもの、変わらないもの
(1)大日本帝国憲法と、日本国憲法は、いろんな点で共通点が多い
年を経て、社会についていろいろ学んでくると、基本的な社会経済
制度が戦前戦後といっても、あまり変わってない面多々あると、
気付く。
 (2) スティーブン・ピンカーの著書
「暴力の人類史」や「21世紀の啓蒙」を読んでいると、確かに暴力
は減り、衛生状態は良くなり、死亡は減ったと実感します。
(3)しかし個々人の持つ心理面、不安の総量はどうでしょうか?
これまで不変と思っていた権威はくずれ、精神的に拠って立
つべきところが、なかなか見つからない。
「安心、安定を得るところがない」
不安の対象と、考えていることは多種多様でしょうし、各自の頭
の中で刻々と変わるものかもしれませんが
不安の総量は昔も今も変わらない。
「人間気の持ちようだよ」といっえしまえばそうですが、割り切り
は難しい。
「飢餓、弾圧、衛生上から来る死の恐怖」から発する不安が減った
ら、人はすぐ別の不安が心を満たすのでしょう。
人間が変わらない以上、未来もこの不安の総量自体は、変わらない
思います。
 
Ⅱ.どうやって不安解消?
(1)ここでの結論は、「人間である以上、不安が解消することは
ない。不安とともにずっと生きていく」ということです。
やはり、あきらめ、というか開き直りでしょうか。
まずは、飢餓、弾圧、衛生上の死の恐怖がなくてありがたいと思い
生きていれば、常に何らかの問題が生じ不安のネタが生じるのは
仕方ないと開き直り、日々を過ごしていく。
それが、無難な、気がします。
 
(2)長い長い要約となりました。
わずか数が月前に書いたことであり、変更事項はありません。
本日は、不安解消の具体的処方箋について、上記に切れ切れに
書いたことも含めて、少し整理してみます。
①不安を紛らわせる
これが、一番現実的でしょう。
正常な判断力を、一時緩和ないし、停止させること
一時的にしろ、解消します。
投薬にしても、アルコールにしても、自分の心身、周りとの人間
関係に悪い影響を与えるリスクはあります。
マルクスが言うように「宗教はアヘン」かどうかは、分かりませ
んが宗教は、一つの強固なに価値観を与えて不安を紛らわせる効果
はありそうです。
②もっと大きな別の不安で満たす。
これは意図的に出来るか否か、意志力の問題だ、というより、結果
としてそうなった場合が多いように感じます。
より切羽詰まった状況に変化し、従来の不安が相対的に小さなモノ
になり、いま前面にある不安が、とってかわった状態。
③時間が解決してくれる。
何もやっていないといっても、生きている以上何か考えているわけ
で時間の経過で、自然治癒、不安が解消されていることが、あり
ます。上記②同様に、別の不安に取って変わっただけ、というのも
あります。
④自己肯定による、慰め
自分なりに、頑張っているからいじゃないが。
これ以上は自分は頑張れない、頑張れるとしたら別の人格だ。
あくまで、自暴自棄を避け、自己肯定帝をベースに不安を解消する
手法。
 ⑤諦観
人生、どうあがいたところで、なるようにしかならない。
そもそも、自分の人生は、客観的には存在しないもの、つまり「空」
であり、今自分が見えている世界も実体のない「空」である。
悩んでいること時代が、無意味である。 
⑥無理やり楽観
先を心配してどうなる。すくなくとも、今生き永らえているから
それで、いいじゃないか。今日食べるものがあり、住む場所がある
ことだけですばらしい。
悩んでも、悩まなくても、結果が同じであれば、悩まない方が人生
楽しいし、得だろう。 
 
Ⅲ.最後に
私見による処方箋」とは、大それたタイトルにし、思うままにツラ
ツラ書いてきました。
①から⑥の区分方法がおかしい、重複、結局同じことを言っている
等々の、批判は多々あるでしょう。
一つ言えるのは、不安に思うのも、解消しようとするのも、極めて
主観的なものだ、ということでしょう。