男の死にざま
島田裕巳/著
出版者 育鵬社 2020.11 扶桑社(発売)
1.概要
人生110年時代と言われますが、おそらくそうなるのでしょう。
「長すぎる老後」を踏まえて、男の死にざまはいかにあるべきか。
死の背景にある武士道、コロナへの恐れ、孤独死などをテーマに
死にざまを、いろんな切り口から論じています。
「いろんな切り口」には、目次がいいかと思い、載せます。
1..47歳から「死」を意識した人生がはじまる
2.人生は2倍の長さになったのだが
3.生き物の死にざま
4.その人の人生が死にざまに示される
5.いさぎよい死の背景に武士道があった
6.死を恐れない
7.断らない
8.晩節を汚すな
9.孤独死を恐れない
島田裕巳さんは、過去3度ほど取り上げており、直近は11月6日に
「葬式は要らない」を、紹介しています。
葬式は、要らない(読書感想文もどき) 10年前の作品ですが、方向転換どころか流れは加速 - 中高年michiのサバイバル日記
2.本文からの引用
「どこまで生きられるか分からないから、死ぬまで生きよう」という
「死生観A」から
「長い老後を全うできるのか。それを幸福で豊かなものとして過ごす
ことができるか、との不安」という「死生観B」へ P45-46
老いることのないハダカデバネズミが死ぬとすれば、それは怪我や病
気によってであるしかも老化しないので、そこには、年齢は関係しな
い。どの年齢でも、偶然のケガや病気によって死んでいくのである。
P63
(michiコメント)
この話は別のところでも、聞いたことがありますが、しかしながら
どうもしっくりこない。高等生物である哺乳類で、「老化しない」
のは、ありえないと思うし、同じく「老化しない」亜種はいないの
かな?
P102-104
法然や親鸞、そして日蓮の生きた中世という時代においては、死にざ
まには、当人の信仰が示されるという考え方が広まり、受容されてい
た。(中略)死にざまに、その当人の生きざまが示されたいるという
考え方は、現代においても全く消滅したというわけではない。(中
略)死にざまがいかなるものになるのかについて、現代の人間も不安
は尽きない。果たして、私たちは、どういう人生を送れば、よい死に
ざまを実現することができるのだろうか。それは今も変わらない課題
なのである。 P102-104
仏教というものは、それぞれの人間が、あるいはそれぞれの宗派が、
釈迦の悟りの兄四ぐあいかなるものかを解明していった試みの集まり
とみることができる。そこが、キリスト教やイスラム教とは異なる。
この二つの一神教では、聖書やコーランという原典が定められており、
教えはその中に記されている。 P148
断るということの本質が明らかになってくる。
断るのは、自らのプライドが満たされないからなのだ。
すでに述べたように、「忙しい」という断り方はあくまで口実である。
「それには、自分の力が及ばない」と言って断ったときでも、思って
いることは逆で、それでは自分にとって物足りないと感じているから
である。 P169
ネトウヨになり、ネトサヨになり、SNSで発信することで承認欲求
が満たされると、それにはまってしまうことになる。一度、そういう
状態になると、それを止められなくなる。自分が正しいのだというこ
とを実感できることの快楽は、とてつもなく甘美なものだからである。
(中略)
したがって、政権が交代しても、また新たな政権を批判するだけに
終わってしまう。永遠にその繰り返して、そこから逃れらなくなる。
自分を満足させる政治のあり方は何かがわかっていないし、そんなこ
とを考えることもないので、満たされることがないのだ。 P188-189
権力奢が巨大な墓を建てるのは、その権威を死後も墓を通して誇示し
ようとするからである。それは、葬られた人間には直接には関係しな
いことだが、墓を守る子孫にとっては極めて重要な意味を持った。
自分たちが支配者であることの正当性を、そこに求めることができた
からである。 P 206
(michiコメント)
この話、つまり墓を作る話は、世界のいたるところで聞きますし、
大方結論は、類似していると思います。
強大な権力と支配の正当性を、見える形で示す、ということでしょ
うか。
死は避けることができない。生からは逃げられても、死から逃
げることは不可能だ。逃げられない以上、それは受け入れるしか
ない。
そこから出発するならば、何かがみえてくるかもしれない。人生
の究極の真実に向き合うなら、私たちは一歩悟りに近づけるので
はなかろうか。 P231
3.読後の感想
引用した、「法燃や親鸞」、「ネトウヨやネトサヨ」、「墓による正当性」
だけでなく、「葉隠」や「武士道」の話も、それぞれ面白かった。
しかしながら、ずっと考え続けているのは、
自分が死生観Bを生きていくうえで、どうやって幸福感や豊かさを携えて、
「長い老後を全う」していけるか、ということです。