中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

人は変わらない、今年も例外でなく、年末年始同じことを思う

このブログを書き始めて、1年以上と、なります。
ちょうど昨年末の分を、読み返してみて、自分が考えていることに
大きな変化がありません。
もちろん、「周り」の大きな動きとしては、新型コロナ感染症にか
かる騒動や米国大統領選挙を軸に、中東和平とか世界政治イベント
はありました。
しかしながら、私自身が生死をさまよう大病や、家族の生死(増
減)、転居を伴う住環境の変化等はなく、いたって「平凡」ではあり
ました。
つまり、1年たっても、感じ入ることはほとんど変化がなく、昨年
考えたことの、一部加筆と削除で、今年のまとめと、できそうです。
 
1.人が考えていることは、変わらない
①以下は、ブラックユーモアのつもりです。
新聞記載の記事と聞いて、読んでみると
「なるほど最近の世相を反映している」と感じ入っている。
内容は、激動、未曾有、過去に無い、変革、等々勇ましい言葉
が飛び交っています。
よくかけているな、と感心します。
ところが実は「その記事は、10年前とか50年前とか、いや100年前
の記事を、時代背景がバレる部分をカットしたもの」、というオチ。
②敬愛する出口治明さんからの、また孫引きと、私の勝手解釈ですが
 人間(我々、ホモサピエンス)は、定住が始まった1万3千年くらい
前から、脳の大きさはじめ、身体的には変化していない。
知能の程度、感情扱い方も、人間は全く進化していないのだ。
結果として、いわいる「アホなこと」を、長い歴史の中で、延々
と繰り返しているのが、人間、となります。
③似たような例を、もう一つ。 
いまどきの若者は勉強しない。」という名(迷?)文句
年長者の長きの言葉でしょうが、3000年前も、100年前も10年前
も、世界中で、吐かれた言葉でしょう。
理論的に考えて、だんだん若い世代になるほど人間が不勉強になり
ダメになってきているなら、すでにもう我々は地球上の君臨者の
立場から、降りているでしょう。
要は個々人の認識の差?
 ④時間を極端に短くします。
昭和天皇は、祖父母の時代や父母の幼少期は「現人神」でした。
私の個人としての印象は、とてもいい人そうなお爺さん。
私の子供の時代になるともう歴史上の人物です。
平成生まれ以降には当たり前ですよね。
 
2.年の変りに何を考える?
さて、本題。
年頭に考えたことを、ちゃんと実行しているか?
①年が改まるのを機に、いろいろ考えてみるのはいいとです。
なるべくスケールを大きく考えましょう。
人間が勝手に考えた、時間の区切りとは無関係に、地球は存在し
てきたし、今後もしばらくそうでしょう。
最後は膨張する太陽に飲み込まれる説が、有力のようですか、
無論私に確認するすべは、無い。 
②次はぐっとスケール小さくして、、、
私がどう考え、どう行動しようが、
日本経済、地域経済はおろか、一企業のかじ取りに大きな影響を、
与えることは皆無です。
警察組織の大幹部となった昔の知人が、ネット報道(元は新聞記
事?)で話していましたが、座右の銘の一つが「一隅を照らす。」
とても謙虚でいいですよね。
 ③さて、私は
11月6日アップのこのブログで
「人は自分の決断したことに責任を持つべき。
 ほかの選択をしなかったことを悔いても仕方ないし
 決断に至る過程や前提に、想定外のことよく起こる」
と書いています。
 年末の今も、いろいろよしなしごとを考えているし、
年頭にあたっても、今年こそはと、いろいろ考えるでしょう。
一部の方は、長年の自分の思いを、記録として残しており、読み返
したりして、いらっしゃるでしょう。
正直、すごいな、立派だな、と思います。
いい加減な性格、物事の管理も悪い私は、
過去毎年毎年、何を考えていたかを、記録に残していません。
さしずめ、今年も、直近読んだ本位影響され、いっぱしのことを
考えますが、半年もすれば、上述したように想定外のことが起こ
ったり、忘れてしまったりで、年頭の決意が、実質意味をなさ
なく、なるでしょう。
 
3.まとめ
というわけで、今日も駄文を書いて今いましたが
最後は少し締めましょう。
世の中想定外のことが、起こって当たり前、コロナパンデミックの世
界的広がりは、まさに想定外だったでしょう。
年頭には、目標それなりのことを考えるが、恐らくうまく
いかない。しかし、
うまくいかなくて、当たり前と認識しろ。
楽観的な発想をもち、無駄な悩みはするな、確り考えろ、
そして、行動せよ、と言ったところですかね
 
話が飛びますが、高浜虚子を思い出しました。
「去年今年(こぞことし)、貫く棒の如き
もの」 
私の解説なんぞは、もちろん止めておきます。