中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

「子供の成長、私の成長」再論、1年ぶりに考えてみる

昨年の11月21日ですので、1年以上前ですが、「子供の成長として

過去の記憶をつづっています。

もう、私の子供も面白くもない年齢ですが、この1年社会人生活で、

変わってきたこともあるようで、また、私も最近の読書から「死」

感じることになり、少し加筆修正してみます。 

1.生物の誕生から進化の凝縮?

 人間の誕生から乳児期脱出くらいを、私はよく生物進化の凝縮

と思うことがあります。

 生物の進化を見るような3キロ程度、それが1年もすれば、体重は

2倍くらいになります。

確かに他の哺乳理よりは、遅いですが‥‥

 

先日での公園での光景。

よちよち歩き子供が、500ミリのペットボトルをもって歩こうとして

転んで泣いたしまった。

彼女には(確か女の子だったような)、まず自分二本足でバランスを

取とって歩くことが当面の課題であり、500グラムの重さのモノを

両手で持って歩くには、まだ早すぎたようです。

当然、しばらくするとできるようになるでしょう。

要は、誕生から1から2年の子供には、どうも私は壮大な生物の進化

の過程を連想するのです。

 

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子供の成長イメージ

2.想定外の子供の反応

私は「子供に遊んでもらう」という表現をよく使います

客観的にみると、土日中心に私が幼い二人の子供を遊ばせて

いるのですが、

子供の思わぬ反応が、面白くて、私のほうが遊んでもらった、

と感じるわけです。

 

 次男の場合、少し知恵がついてくると、親が言うことを素直

に認めるだけでなく、あきらかに自分に不利と感じた時には

「うそでしょ」と否定することを、覚えました。

ただし、言語の発達は、イマイチで、本人は、「うそでしょ」と

発問しているつもりですが、外部には「うちょでちょ」と聞こえ

るわけです。

次男は「20191102掲載の「沖縄は、いまなんがつ?」に登場して

います。彼の名言集として

沖縄は今なんがつ?。どうなると思う?を紹介しています。

 「沖縄はいま、なんがつ?と息子発言」の思い出、首里城復元を! - 中高年michiのサバイバル日記

 人はいつ何時も、外部からの情報によって動くわけですが、

お金を稼ぐための仕事からの情報、趣味として読書からも得られ

なかったこおとが、「こどもにあそんでもらうことで得た」貴重

な情報でした。

 

3.ある著名日本画家の昔話。

 無き祖父は日本画鑑賞が趣味で、現役の複数の「絵描きさん」

とも、交際があったようです。

その祖父から聞いたある日本画家の話。

「発想に煮詰まったとき、子供の書いた絵画を見に行くことが

ある。そこに大人の発想では出てこない、画風を感じてヒント

になる」

 成長するとは、情報がそのまま積み重なっていくのでなく、

残念ながら成長の過程で、失っていく情報も多々あるのでしょ

うね。

 

4.社会人として

子供が自立して「一人前」にあるとは、いろんな考えてがあり

ます。私の、考えの基本は、やはりお金の面。

無粋な言い方ですが、社会に働きかけて何らかの報酬を得て、

健康保険料と年金をその中から支払って、自分で生活していけ

ること。現在の日本社会で、「当たり前」のことかもしれませ

んが、本人にとっては「お金の大変さ」の一端が解ることでし

ょう。

 

 5.私も死ぬまで成長したい

(1)私の場合、勿論、生物個体としてのサイズの成長はあり

得ず、死へ向かって、まっしぐら状態です。

 ただ、ある事象に対する認識と対応が、過去と変化している

ことを「成長」ととらえると、確かに成長しています。

「鈍感になって、訳が分からなくなった」いうとらえ方ではな

くて、今後後退」するかもしれないが、変化を「成長」ととら

えたいということです。

 いわいるボケ、アルツハイマーとなってしまっては、責任が

持てませんが死にゆくまで、人は成長を続けると、思い込んだ

方がいい、と思っていいます。

(2)80歳過ぎて、現役で著作活動行う方も私のこの「読書感

想文もどき」で紹介していますが、明晰な頭脳もさることながら、

生きることに前向きの姿勢に、頭が下がります。

最近読んだ本(一連のシリーズ)で少し気になっているのが、

平均的には、私も85歳から90歳くらいまで生きるだろう。

「いつ死ぬかわからない」感覚から「一定年齢までとにかく死な

ないで生きている」感覚へ、人間の有史以来の大転換が、起きて

いると、主張しており、同感です。

オマエは、後25年も30年も成長できるか?と詰められると、正直

責任は持てませんが、誰か他人が評価する話でなし、「私は成長

し続けるのだ」と自分勝手に思い込んでおけばいいと、思います。