1.たまたまネットでニュース見ていたら
接待を受けたとする総務省の人間(政治家)が、
「おかねは割り勘で負担した、仕事の話はでなかった」釈明してい
た様子。
後で割と保守系のネット系のニュースを見ていたら、このニュース
自体が「印象操作」である、特定政治家の影響力削除の目的だ、と
ありました。
なるほど説得力あり、です。
ニュースしかり、それへの反応の一つしかり、いろんな見解があ
っていいと思います。要は自由な意見が言えるのは、いい世界。
そのネット番組で、別の方の発言で「大手マスメディアは、相対的に
小さな、国内の許認可に関わる接待より、中国や北朝鮮からの接待と
いった安全保障に関係する大きな問題の報道、深堀りに注力すべき」
とありました。
正論であるし、私見も同感です。
しかし、マスメディアは「ウケてなんぼ」ですから、人々の嫉妬心
を刺激する解り易い情報が欲しいのでしょう。
これも、良く解ります。
嫉妬心刺激は、例えば「割り勘」をついてもいいでしょう。
割り勘で1万円と聞いていました。
どうひいきめにみても4人で10万円くらいかかりそう、という場合
「はい、1万円で割り勘しました」被接待側が公言するのは、「現場
感覚がない」とか、「接待側の”忖度した”虚偽の領収証の数字を信じ
たとか、いずれの場合も突っ込みどころありそう。
いったいどこでどんな「会食」だったのか、裏トリ名目で取材を公表
すると、視聴者嫉妬心を刺激し、一層受けそうな、感じがします。
(話を戻します、情報への反応の仕方の話)
要は、何事も情報の受け手である私が、どう考えるかですね。
その昔、日本が「経済一流、政治三流」と言われていた時代があり
ました。集金に専心し政治意識が低いことを揶揄していますが
「この程度の国民には、この程度の政治家」発言も、言いえて妙、
と思います。
2.「接待」の私見を別の切り口から。
(1)接待を広義に取らえ、仕事上の付き合いのある大多数の人に
取って、「仕事の話は出なかった」とは、あまりうまい釈明とは思
えません。
そもそも「接待の席」で直接仕事の話、しかも込み入った要望をぶ
つけることをするでしょうか。
持ち論、接触すること自体,相手が許認可権限を持っているからその
「肩書」に期待する目的はあるのですが、通常目的成就のため、いろ
んな布石を打っており、物理的な会食とはほんの一面です。具体的
要求はほかの場面で対応しており、会食の場で仕事を持ち出すのは
戦略としては「野暮」な気がします。
接待とは、煎じ詰めると、個人的に相手が喜ぶ時間を作る、ことでし
ょうから。
(2)なにか、まずいことが発覚すると、規則・ルールをつくる。
相手はその抜け穴を発見し対応する。
今度は、もっと違った厳しいルールを。
次は、また対抗策を。。。。
要は、バトルは、ずっと続く。「接待」が目的成就の有効な手段で
ある限りは・・・・。
人間の性みたいなもので、事態を超え・場所を超えて、形態に違い
はありますが、「接待」は必ずあります。
脱線しますが、息子が小学生低学年のころ、テレビの時代劇を真似
た遊びが、流行ったようです。
変声前のかわいい声で、マネをしているのを聞いたのですが
いわいる悪代官と、悪徳商人の会話のまねで
(代官) ○○屋、おぬしもワルよのう。
(商人)いえいえ、お代官様ほどでは。
3.公的と私的
杓子定規な話をすると、許認可はじめ「公的権限」を持つ公務員
の接待(いわいる官官接待含め)は、いけない、法律の規制にかか
る。一方私人は自由、ということでしょうか。
どの世界も「取引」があり、「力関係」が存在するわけですから、
タイトルに書いたように、「目的成就の一つの段取り」して、
必ず「接待」は存在します。
どの地域も「接待経済」があり、手法も飲食、スポーツ、異性(たま
に同性?)と、それこそ千差万別。
最近にコロナ騒動じゃないですが、接待が良い悪いの価値判断ではな
く、不透明で厳しすぎる規制は、「お金を回す」つまり経済をまわす
ことへの、制約となっているようです。