中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

反穀物の人類史(読書感想文もどき) 定住と国家継続は全く別物ほか 私の初期国家観は偏見でした

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定住から初期国家成立までの4000年をイメージ

穀物の人類史

国家誕生のディープヒストリー

原タイトル           原タイトル:Against the grain

 ジェームズ・C.スコット/[著] 

立木勝/訳  

出版者    みすず書房 2019.12

1.概要 

(1)話の論点は、

豊かな採集生活を謳歌した「野蛮人」は、いかにして古代国家に家畜

化されたのか?

国家形成における穀物の役割とは?

農業国家による強制の手法とは?

等について、考古学、人類学などの最新成果をもとに、壮大な仮説

を提示しています。

月並みな表現ですが、とても面白かった。

過去、自分が「通説」と思っていたことが、いや違うのはないか、と

気づいたときの、刺激への反応と言うか、快感です。

(2)目次

はじめに

序章 ほころびだらけの物語――わたしの知らなかったこと

1 火と植物と動物と……そしてわたしたちの飼い馴らし

2 世界の景観修正――ドムス複合体

3 動物原性感染症――病理学のパーフェクトストーム

4 初期国家の農業生態系

5 人口の管理――束縛と戦争

6 初期国家の脆弱さ――分解としての崩壊

7 野蛮人の黄金時代

 2.ピックアップ

湿地社会が見えにくい最後の、そしてさらに推論的な理由は、こうし

た社会が、中央集権化や上からの支配に環境面で抵抗し続けたこと

だ。 (中略)

後で検討する初期国家と違って、中央の権力が耕作可能地や穀物、灌

漑用水の利用権を独占することが(したがって分配することも)

できなかった。

そういうわけだから、こうしたコミュニティに何らかの階層構造があ

ったという証拠はほとんど残っていない。 

(なぜ無視されてきたか P53)

 

歴史上の行為者についての第一の、そして最も堅実な前提は、彼らは

与えられた資源と自分の知っていることを基に、直近の利益を確保す

るために合理的に行動する。  (ギャップに注目する  P55)

 

私は、初期の、記録のない時期に人口密集地が放棄されたうちの相当

多くは、政治でなく病気が理由だったと考えてまず間違いないと思

う。  (病理学のパーフェクトストーム P94)

 

定住とそれによって可能となった群衆状態は、どれほど大きく評価し

てもしすぎにはならない。

なにしろ、ホモ・サピエンスに特異的に対応した微生物による感染症

は、ほぼすべてこの1万年間にーーしかも、おそらく過去5000年のう

ちにーー出現しているのだ。  (同 P97)

 

社会から切り離された奉仕者という原理は、14-19世紀オスマン帝国

のイェニチェリ、中国の宦官、中世ヨーロッパの宮廷ユダヤ人など、

スキルはあるが政治的には中立な側近をおくという支配者のテクニッ

として、その後も長く行われてきた。

しかしある時点で、奴隷の人口が大きくなり、集住が進み、民族的な

つながりができてくると、この望ましい微粒子化ができなくなる。

(「人的資源」戦略としての奴隷制 P155)

 

交易と戦争による疾病は、初期国家の消滅に関してどれほど重要だっ

たのだろう。(中略)

わたしの直感では、古代世界で人口の中心だったところが理由もわか

らず突然放棄されたのは、かなりの割合までこれで説明できると思

う。  (急性疾患と慢性疾患 P177)

 

私は一つの偏見に異を唱えたい。

国家センターという頂点への人口集中を文明の勝利としてみる一方で

、他方では、小さな政治単位への分散を政治秩序の機能停止や障害だ

とする、ほとんど検証されることのない偏見に対して、である。

わたしたちは崩壊の「標準化」をめざし、これをむしろ定期的で、お

そらくは有益でさえある政治秩序改革の始まりとして見るべきだ、と

私は考えている。  (崩壊万歳 P191)

 

どう控えめに見ても、ただ国家の中心地で人口が減少し、巨大建築や

宮廷記録が存在しなくなったという理由だけで、その時代を暗黒時代

と名付け、文明の光が消えたのと同じだと理解するだけの正当な理由

はないと思われる。    (同 P194)

 

時期によっては、国家の臣民が鍬を捨てて狩猟採集、遊牧、海洋採集

を始めることが、自由への逃走であるとともに、合理的な経済計算で

もあったのだろう。

そのような瞬間には、国家の臣民に対する野蛮人の比率が大きくなっ

たと考えられる。

辺境での暮らしは魅力がないどころか、むしろずっと魅力的だったの

だから。 (黄金時代だったのか  P230)

 3.改めて感じること

 ヒトにより、取り方感じ方が違う、という当たり前のことを再度気付

かされます。

 考古学や歴史家にとっては、充分な研究材料が欠落すると「暗黒時

代」でしょうが、その時代の生活者からすると「くびきからの解放」

を意味することも、多々でしょう。

「当然のように聞いた」城壁や長城を築いて、外敵の侵入を防ぐとい

う目的も、実は「中にいる人を逃亡させない」ことが主目的の場合

も、有るようです。

なにごとも多面的に見るべし、と改めて感じた次第、です。  


 


 

賞与(ボーナス)払いは、昔日の話、本来の賞与の意味に近づく? 原資は税金・政治家の賞与評価は誰がするの?

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半期の一度のボーナス支給のイメージ

1.6月末はボーナス支給?

もう7月ですので「歳時記」的に書くと、すこし時期がずれました。

国内ニュースは、かわらず新型コロナ感染症報道が盛んですが、6月

末は、ボーナスを受け取った人もいるでしょう。

誰しも自分に有利なことは「こっそり」、下手に大騒ぎはしません。

メディア関係者でも、ボーナス取得した人は多そうで、それは突っ込

んだ話にはなりませんよね。

せいぜいマクロで他の経済指標に絡めて、過去比較で報道するくらい

でしょう。 

2.そもそも論

(1)ボーナス定義を議論するつもりはなく、とりあえず

 「年末や夏期などに,正規の給与以外に特別に与えられる賞与金。

もとは,能率給制度において標準以上の成果を挙げた労働者に対して

支払われた賃金の割増し分」、くらいにしておきます。

(2)なお、公務員について、下記記載がありました。 

公務員のボーナスに関しては法令により定めがあり、期末手当と勤勉

手当という2種類の手当の合計額が、いわゆるボーナスとして支給さ

れることになっています。

 期末手当とは、民間企業における基本給連動型の特別給料のようなも

ので、定率で支給される賞与です。

一方、勤勉手当は、個人の勤務成績に対する評価によって変動のある

賞与となります。

また、ボーナスの支給日は夏が6月30日、冬が12月10日と決められて

います。

 (3)以下、私見となります。

そのそも、生活費側面の「給与」とは、別物で成果報酬のハズですよ

ね。いつの間にか、「支給を受けて当然」との既得権益のようです。

イヤ貰うほうには「生活費補填として必須」となるのでしょうが。

しかし公務員の「勤勉手当」と言う表現には嗤ってしまいます。

たいていの仕事は「勤勉」に対応しないと、そもそも仕事にならない

給与も発生しないのでは?

3.「ボーナス払い」から考える

(1)もうひと昔前の話となり、いまどき「ボーナス払い」という

言葉は、死語かも知れません。

当たり前ですが、「ボーナス払い」というのは、年2回程度、通常の

労働対価が給与とは定期的に支払われ、しかも、ある程度金額が読め

る、と言うことが前提です。

今でも、常勤の公務員とかは、「自治体が潰れる可能性」が低く

自分の評価も急変することは無く、ボーナス支給も将来にわたり、

大丈夫と思うのも解ります。

(2)民間企業はどうでしょうか?

 給与みたいに、年間2回 しかも、金額が見えている、という立て付

けは、よほど「しっかりした愛艇業績の」企業でしょう。

たしかに、「正社員」には、ボーナスは憧れでなく、既得権益かも

しれませんが、ボーナス支給原資が税金でなく、企業収益となると

将来を見通すのは難しいですよね。

経済環境が大きく変わってきているのは、皆さん周知のとおり。

小見出しの「ボーナス払い」は、だんだん消えていくでしょう。

(現実に消えている?)

詳細は追っていませんが、もろもろの「働き方改革」のなかで

「非正規」の方にも、将来賞与が出るかもしれませんが、上記の「賞

与原資」の問題はあります。

正社員含め、支給額は、いわいる安い方に「さやよせ」?

給与や賞与の概念がないフリーランスについては、別途書きます。

(3)話は脱線して「政治家」の賞与

ここで「政治家」とは、税金から「賞与」をもらう国会議員や、地方

議会議員を指します。

政治家の質とか、員数とかは、今日は書きません。

理郎としては、「政治家のボーナス」は月額報酬の、上乗せ、別途支

給でなく「仕事の対価」であってほしい。

でも、その「仕事」って誰が評価して査定できるの・・・・

 4.最後に 

  ボーナスに関する小文なんて、「ボーナスのないオマエのひがみ

だろう」、言われると、そうかもしれません。

誰しも、ヒトは弱いもの、ひがみっぽいぽの。

報道されること、音声・画像・文字で流れる情報には、割と反応しや

すいですが、「流れない情報、書かない情報」を、どう考えるかは

極めて難しい、と思います。  

経済学の宇宙 (読書感想文もどき) 岩井克人さんの自伝でもあります 2回に分けます その2

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長年の広範な読書に支えられた岩井克人さんの頭脳をイメージ

経済学の宇宙 

岩井克人/著  

前田裕之/聞き手  

出版者    日本経済新聞出版社 2015.4

 1.概要と目次

「不均衡動学」はじめ次々と斬新な経済理論を生み出してきた学者・

岩井克人、とさらりと、紹介みたいに書きますが、3年振りに読みか

えす今回も、いまいち理解がすすみませんでした。

本書は著者が巧妙なインタビュアーにこたえて、みずからの「経済学

との格闘」を語るという体裁をとっているので、素人でも現代経済学

の世界に接近できるところはあります。

また、本書は著者の歩んだ人生の軌跡を語った、味のある自伝でも

あります。

目次

第一章 生い立ち――「図鑑」から経済学へ

第二章 MIT留学――学者人生における早すぎた「頂点」

第三章 エール大学――『不均衡動学』を書く

第四章 帰国――「シュンペーター経済動学」から「資本主義論」へ

第五章 日本語で考える――『ヴェニスの商人資本論』から『貨幣論』へ

第六章 再び米国へ――「日本経済論」から「法人論」へ

第七章 東京とシエナの間で――「会社統治」論から「信任」論へ

第八章 残された時間――「経済学史」講義からアリストテレスを経

て「言語・法・貨幣」論に

2.ピックアップ

 (これより以前の抜粋・引用は「その1」に記載しています。)

 

マルクスの資本主義論は、「発展途上国」における 資本主義論でしか

ないのです。

産業資本主義にのみあてはまるその「不完全」な資本主義論を、資本

主の一般理論として提示してしまったこと、そこにマルクス経済学の

不幸の一つがあったのだと思います。 (マルクスの不幸 P195-196)

 

「ポスト産業資本主義」が、これまでの資本主義と違っているところ

があるとしたならば、それが資本主義の基本原理を意識的に実践して

いる、最も純粋な資本主義の形態であるという点にしかありません。

(もっとも純粋な資本主義 P199)

 

ヴェニスの商人資本論』をワープロに入力しながら、私は、木の

中に埋まっている眉や鼻を掘り出すように、シェークスピアのテクス

トの中にすでに埋め込められている「資本主義論」と」「貨幣論」を

単に掘り出しているだけだーーそういう感覚にとらわれ続けました。

ヴェニスの商人 P212)

 

「貨幣の進化」論文を書き終わったとき、私は自分の考えを大きく

 変えました。

資本主義社会にとっての真の「危機」は、恐慌でなく、ハイパーイン

フレーションであると。

(資本主義経済の真の危機とは  P243)

 

真の危機、それは、貨幣を貨幣として支えている「予想の無限の連

鎖」そのものが崩壊してしますことなのです。

それは「ハイパーインフレーション」に他なりません。 (P248)

 

シュンペーター経済動学」を書くことによって、マルクスの余剰価

値説を相対化することができました。

そして、今度は、『貨幣論』を書くことによって、マルクスの体系の

基本公理であった労働価値論を、イデオロギーとは無関係に、純粋に

理論的に捨て去ることができたのです

(遅ればせの解放 P250)

 

日本型会社システムは

変わらなくてよい 

  株主資本論から距離を置いてきたその歴史は経済学会や法学界に

  おける多数派意見とは逆にポスト産業資本主義という新たな時代

  と親和性をもっているから

変わらなければならない

  ポスト産業資本主義における会社の運命は、もはや機械制工場の

  脇役としての能力や知識の育成と発展ではありません。

  会社の中で、従業員や技術者や経営者が自ら率先して再生を生み

  出し続けていくことのできるような人的組織、そういう組織をい

  かに育成し発展させるかにかかっているから。

 (「日本経済論」から「法人論」へ 末尾 P322)

 

(1997年夏から)断続的に1年近くかけて「21世紀の資本主義論

ーーグローバル市場経済の危機「と題した長編論文を書き上げました。

貨幣論』と『不均衡動学』とを組み合わせ、通貨危機金融危機

背後に働いている基本原理を明らかにすることに主眼を置いた論文で

す。 (21世紀の資本主義論 P343)

 

では、会社の経営者とはいったい何ものなのでしょうか。

会社と「信任関係」にある人間であるーーこれが、この問いに対する

答えです。  (混乱の元凶 P354)

 

アリストテレスこそ、何の価値がないモノでも、貨幣として使われる

とモノの価値をはるかに超える抽象的な価値を持ってしまうことを、

歴史上最初にしかもその二千年後のスコットランドにジョン・ローと

いう人物が現れるまで、最も明確な形で定式化していた人間であった

のです。 (貨幣の思想家 P408)

 

経済学史講義の章立て

序章(1):経済学史とはどのような学問か?

序章(2):アダム・スミス重商主義

第1章:アリストテレスとポリスの経済学

第2章:西欧中世における貨幣経済

第3章:重商主義貨幣経済

第4章:調整の利潤論と重商主義の利潤論

第5章:重商主義から古典派経済学へ

第6章:いわゆる「科学」としての経済学

第7章:アダム・スミスと貨幣

第8章:リカードマルサス

第9章:マルクスと価値形態論

第10章:ヴィクセルと不均衡累積過程の理論

第11章:ケインズ有効需要原理 

第12章:古典派とマルクス派の利潤論と産業資本主義

第13章:シュンペーターの利潤論とポスト産業資本主義

終章:貨幣・法・言語と人間  

(「経済学史」プロット P447)

3.最後にまた感想

 初版が出てすぐ読んだので、3年振りくらいの再読です。

今回もまた、完全に消化したとは、決して言い切れません。

このブログでも、ちらちら書いていますが、私の性分なのでしょう。

何か、「憧れ」を感じるものには、解らないなりに突っ込んでいき

たくなります。

跳ね返されるのが、解ってはいるのですが・・・・。

「古典」と言える中にある通説を、理解したうえで、論破し、新しい

理論を構築していく、それが学者なんでしょうね。

  岩井さんは、未だ故人でありませんが、本は、私の都合で、勝手な

時間管理で読めて、結果として岩井さんに付き合ってもらうことにな

り、ありがたいものです。 

 

 

株式投資の基礎 第16回 値上り益、配当に続く第三の収益「株主優待」 総会の「お土産」も加え

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今日は株主優待の話です。

1.キャピタルゲインインカムゲイン

株式投資において、投資収益の柱として、

(1)売買に絡む値上がり益(キャピタルゲイン

 (ご存知のように、信用用取引では、「ウリ」からはいることもで

  きます。)

(2)配当金(インカムゲイン

の2つの柱があります。

日本の上場会社は年二回配当が大半ですが、米国のブルーチップ(優

良銘柄を指しますが、もういい方が古いのかな?)は、年4回配当が

多い感じがします。

当然そこには税金も関係します。

税については、極めて重要で、下記を参照してください。

株式投資の基礎 5回シリーズ その4 切っても切れない税金の話 (売却時、配当時、確定申告ほか) - 中高年michiのサバイバル日記

2.株主優待

本質は、タイトルにありますように、投資家にとって3つ目の柱、株

主優待について、少し話をします。

個人投資家にとって、トータル利回りの点で意味があることかと思い

ます。

 (1)文化的背景?

結論から言うと株主優待は、日本独特の「お土産文化」に端を発し、

海外(米国)にはない、ということです。

  元々お歳暮やお中元を贈り合う風習が起源となり、企業の成長を応

する「株主に対する感謝を込めて贈られるようになった」と言われ

います。

 (2)費用対効果

国内個人投資家に絞ると、増配(配当を増やす)よりも株主優待を新

設・拡充したほうが、選好される、との経営判断もあるでしょう。

なにごとも費用対効果ですから、自社製品の広告宣伝費みあいや、日本

が相対的に国土が狭く、配送コストが高額にならないことも、考慮した

のでしょう。

 (3)注意事項 

バイアンドホールドの長期投資家は別ですが、いわいる「優待狙いの

短期売買」の方は、以下に注意を。

 ①人気の株主優待を提供している会社の株は、優待の権利落ち日以降

に株価が大きく下がる可能性があることです。

優待価格以上に損が出てしまうことも、当然ありえます。

② 「短期売買」とは直接無関係ですが、突然株主優待が廃止されてし

まうリスクがあることです

株主優待が廃止されると、株主優待もらえなくなるだけでなく、

失望した投資家の売りで株価も大きく下がり良いことがありません。

事例を少し紹介します。

a)私が長らく保有している飲食の会社も、10年くらい前でしたが、

株主優待を廃止して、株価が著しく低迷しました。

幸い経営が頑張って、上場廃止にはならず、3、4年前でしたが、株

主優待復活で、株価もやや復活しました。

それ以降は、再度家庭では、株主優待券を利用しています。

b)もう一つは、誰でも知る某航空会社。

会社が潰れました。

当然株主優待の航空機の割引券も価値はゼロです。

(実はそれまで九州帰省には多用していました。)

財務だけでなく、個人的に、その会社の従業員の状況も少し知ってい

ました。

株主だけがリスクを負い、経営者や従業員は、あまりリスクを負わな

かった事例です。

(4)桐谷広人さん

株主優待の活用名人として、桐谷さんは、よくメディアにとりあげ

られます。

参考になるかもしれません。リンクを一つ貼っておきます。

刮目せよ!桐谷広人式「株主優待」買い方、売り方まとめ | トウシル 楽天証券の投資情報メディア

3.脱線して、株主総会のお土産

 別の個所でも書いていますが、株主総会会社法の形式の中では、

会社の最高意思決定機関です。

(1)昔の「総会屋時代」、「シャンシャン総会」の時代は過去のも

の、「株主との対話」を主眼とする、株主総会運営の中で、「株主総

会でのお土産」の各社が知恵を絞る光景が、今どきの主流でした。

地方の方は、費用対効果で、残念かと思いますが、総会後の懇親会で

立派なお弁当が出たり、役員との立食パーティの事例も多々ありまし

た。

奥様に頼まれたのでしょうが、オジサンがお土産の化粧品だけをもら

ってそそくさと退散(ほかの総会会場に行く?)の事例もありまし

た。

(2)ご案内のように、今年の6月末の株主総会は「一変」

何処も「お土産は廃止、総会会場には来るな、ネットで議決権行使し

てくれ」の一色でした。

この点に関しては、「来年は元に戻ればいい」と、私も思っていま

す。

4.最後に

 株主優待が、拡大しているのか、縮小していくのか読めません。

市場全体の話でなく、個別性が極めて強い話。

各社の経営判断

一方個人投資家としては、「時間軸」を味方に投資のトータルリター

ンを目指す際に「株主優待」は一考に値します。

それこそ「本末転倒」は避けるべきですが・・・・

新型コロナ顛末の振り返り(7月初旬時点) 感染症とは共存、ずっと付き合う必要あり

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感染症の話はずっと続きます。ウイルスとは共存関係


Ⅰ. 7月初旬現在の振り返り

ここ半年弱の最大の話題と言ってもいい、新型コロナ感染症対応問題

ですが、私もいくつか、書いています。

ご案内のように、6月末時点では、北米、南米中心に拡大、1日当たり

の感染者数は、過去最高を更新中。

悪い意味で、日本との1日当たりの感染者数が、二けた以上違う場合

も。

ついつい、日本国内の数字に関心が引かれるのは、日本国内で生活し

ている以上仕方ないことですが、グローバルな視点はいつも持つべ

き、かと思います。

垂れて美ニュースをたまに見ると、海外話題は「つけたし」の感が否めません。

さて、時系列に追ってみます

Ⅱ.2月29日アップの記事

(1)コロナウイルス報道に「煽り」を感じます

これを書いているのは2020年2月末日です。

コロナウイルス報道について、どうも「煽り」を感じることが、

最近多々あります。

私を含めて、テレビ視聴者な、感染症に関して専門家でないことが多

いでしょうから、数字をもって、ちゃんと比較して、冷静に考えるこ

とができる報道をすべきと思います。

また、なんか、反対意見を許さない、別の考え方することを許さない

ような、重い「場の雰囲気」を感じています。

 (2)実態をよく見ていますか?

とにかく、一方的な対応に終始、反対意見は「やりすぎ」批判は、

許さない・受け入れない、現状で冷静さを欠くように思っています。

結論から言えば、誰しもある事象に対して、解決目的より自分の立

場、属する組織等から判断して、一番不利にならない(責任を追及さ

ない)ように動く。

今に始まったことでなく古今東西、昔から続いている話ですが・・

そして、今後も変わらないと思います。

 Ⅲ.3月末の記事は

(この時点ではパチンコ店が自粛対象から外されていて、このことも

書いています。)

 「不要不急」判断が、個人の価値観一任とすると、もはや、どの施設

云々は、言えないはず。

いわいる西側の民主主義国家では、「自粛要請」のは、限界があり、

今の欧州・米国を見るまでもなく、事態進展では「自粛でなく強制」

となるのでしょう。

いつの時代も、どの世界もそうですが、強いものが得をする。

というか、うまく立ち回れることが、すなわち「強い」との解釈もで

きます。

天下り官僚受入はじめ、パチンコ業界と警察業界の強い結びつきは

誰しも、知るとこと。

少なくとも、ライブハウス、スポーツジム、カラオケ等々の業界よ

り、太いパイプは、ありそうです。

 Ⅳ.4月末の記事は

 受け狙いの表現みたいでいやですが

「コロナで死ぬか、餓死して死ぬか」といったところ。

これを書いている4月末は、まさに欧米の一部分で、厳格な外出制

限一部緩和に加えて、経済活動一部再開か否かの鬩ぎあいの動き。

これは、今後ますます、大きくなるでしょう、全世界で。

(このときの私見です。)

長引く自粛に対していわいる先進国では「経済的に補償します」

とよく言いますが、冷たく言うと程度問題ですよね。

そもそも、どこの政府も100%長期にわたり、経済的補償が、できる

はずはありません。

だんだん、資金が枯渇し、最後は「無い袖は振れません。」

 コロナとの闘い勝利宣言、「第二波」が迫ってるとか、世界各国でも

見解様々。

神学論争みたいですが、時の経過が解決するしかありません。

私みたいな「非専門家」は自分で考えるといっても、誰しも自分の都

合や希望を考慮しますし、それは仕方がありません。

Ⅴ.5月28日の記事から

(1)関東でも、「緊急事態宣言」が解除され、経済も再度動き出し

じわじわ加速する感じ。

(少し意地悪に書くと)メディア報道も長らく使えた「恐怖心を煽る

ネタ」も、少しづつ変わってきて、次のネタ探しの様相です。

しかしながら、「オオカミが来る」じゃなかった「第二波が来る」

「第三波が来る」は、継続して、使えそうですね。

(2)コロナ以降のビジネスを取り巻く変化は、議論が花盛りです。

このはてなブログでも、幾多の人が書いていらっしゃるし、なるほどと

思う話が多々あります。

たとえば「減る事例」として、通勤電車による満員混雑(リモートワ

ークの普及により)、出張、会議、会食、接待をあげる方。 

また「営業が画期的に変わる」を力説する方ほか、様々です。

Ⅵ.6月18日の記事から

現時点世界的には、拡大中の様相

2020/6/17 0:02更新の日経新聞からですが

新型コロナ感染806万人に ペース加速、1日13万人との見出しです。

 (要約すると)

新型コロナウイルスの感染者が15日、世界で800万人を超えた。

感染の中心地は欧米から中南米や南アジアに移り、8日間で100万人

増えるなど感染ペースも増している。

ピークを超えた地域でも感染の「第2波」が問題となっている。

 (2)私は「奇をてらう」つもりは、全くなく、主張は一貫して変わ

っていません。

「経済をストップ」させた各国政府の責任は重く、やるべき対応はし

っかりやりつつ、「仮死状態」から、いち早く抜け出す諸方策は当然

と思っています。

本日は「一日あたりの新規感染者数のグラフ」を見せたかっただけ。

常に、妄想でなく、信頼できる情報ソースからの直近の正確な筋を認

識しておこう、というものです。

  7.最後に

2月末から、4ケ月くらいの動きをひと月ペースで、自分の文章を引用

してきましたが、どれも似たようなものですね。

私が変わらないし、ウイルスのほうも変わらないから、当然と追えば

当然でしょう。

最後にタイトル記載を連呼します。

撲滅しようなんて僭越、ワクチンはありがたいが、時期と100%有効性

への過度の期待は禁物。

感染症とは共存、ずっと付き合う必要あり。

経済学の宇宙 (読書感想文もどき) 岩井克人さんの自伝でもあります 2回に分けます その1

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長年の広範な読書に支えられた岩井克人さんの頭脳をイメージ

経済学の宇宙 

岩井克人/著  

前田裕之/聞き手  

出版者    日本経済新聞出版社 2015.4

 1.概要と目次

「不均衡動学」はじめ次々と斬新な経済理論を生み出してきた学者・

岩井克人、とさらりと、紹介みたいに書きますが、3年振りに読みか

えす今回も、いまいち理解がすすみませんでした。

本書は著者が巧妙なインタビュアーにこたえて、みずからの「経済学

との格闘」を語るという体裁をとっているので、素人でも現代経済学

の世界に接近できるところはあります。

また、本書は著者の歩んだ人生の軌跡を語った、味のある自伝でも

あります。

目次

第一章 生い立ち――「図鑑」から経済学へ

第二章 MIT留学――学者人生における早すぎた「頂点」

第三章 エール大学――『不均衡動学』を書く

第四章 帰国――「シュンペーター経済動学」から「資本主義論」へ

第五章 日本語で考える――『ヴェニスの商人資本論』から『貨幣論』へ

第六章 再び米国へ――「日本経済論」から「法人論」へ

第七章 東京とシエナの間で――「会社統治」論から「信任」論へ

第八章 残された時間――「経済学史」講義からアリストテレスを経

て「言語・法・貨幣」論に

2.ピックアップ

(いつもに増して、全体見渡すとか、経済理論に沿って、というより

私が個人的なお気に入りの文章をピックアップしました。)

 経済学という学問は、なぜ生きるかという問題には答えられないかも

しれないが、少なくとも人間とは本来どう生きるべきかという問題に

はアプローチできる学問であり、しかも自然科学と同様の科学性を持

っており、つまり経済学を、文学と科学とを足して二で割ったものと

とらえたのです。

また、今から考えると、ずいぶんいい加減な理由で選んだと思います

が経済学を専攻することにしました。

(なぜ経済学を選んだのか  P31)

 

日本に戻る前から、宇沢先生は新古典派経済学に批判的な経済学者に

近づき、特に、イギリスのケンブリッジ大学ケインズの教えを直接

受けたリチャード・カーン(1905-89)やジョーン・ロビンソン

(1903-83)との親交を深めていました。

その影響のもとで、「ペンローズ効果」に関する論文を1968年と69年

に出しています。

企業の声量が企業内の「経営資源」の大きさによって制約されてしま

うことを示したエディス・ペンローズ(1914-96)の『会社成長の理

論』(1959)を基礎にして、ケインズ経済学における投資理論の定式

化を行ったものです。

私自身は、これが宇沢先生の仕事の中で、最も優れたものだと思って

います。 (宇沢先生の葛藤 P48 )

 

先生はみずからの新古典派的分析手法と、正義感にもとづく新古典

派批判という目的との間のギャップで、長らく葛藤していたのだと

思います。

その葛藤に切れ切れを、酒場での話の中からときたま漏れ聞くことが

できました。

そして、そのことは、私の意識の底に残り、その後の私の研究姿勢に

大きな影響を与えることになったのです。(同 P49)

 

(サムエルソンの代講の話)

引き受けないわけにはいきません。

清水の舞台から飛び降りるつもりで、二回ほど講義をしました。

大学院生の方は、サムエルソンの代わりに私が出てきてまず驚き、

次に私の英語が下手なのに驚いていました。

黒板の数式が解りやすかったと、後で一年下の大学院生に慰めら

れました。  (サムエルソンとソローの弟子 P65)

 

ケインズは、ヴィクセルの不均衡累積過程論を捨てていませんでし

た。

 捨て去るどころか、不均衡累積過程論を大前提として、現実の資本主

義経済の一定の安定性は、新古典派経済学のいうような「見えざる

手」の働きによるものではない。

いや、全く逆に、労働市場において「見えざる手」が十分に働いてい

ないからだという命題を論所為しようとしていたのです。

ただ、残念ながら、ケインズ自身、『一般理論』のなかで、このこと

を十分に意識していません。

少なくとも十分には強調していない。

それが、その後のケインズ経済学の解釈に、大きな混迷をもたらして

しまったのです。

私の『不均衡動学』が、ケインズ経済学に何か新たに付け加えること

があったとしたら、それは、まさにこの命題を前面に押し出して、

ケインズ経済学を再構成したことにあると思っています。

ケインズは、ヴィクセルを捨てていなかった  P136)

 

私は、経済学を学ぶことによって、資本主義を純粋化して市場を円滑

に動かすことがっできれば効率性が高まることは、100%認めるよ

うになっています。

しかし、ヴィクセルとケインズの経済学を「見えざる手を見る」とい

う立場から再構築していく作業を通じて、同時にそれが不安定性の増

大を伴ってしまうことも知ってしまいました。 

(資本主義の不都合な真実 P140)

 

資本主義経済においては、効率性と安定性とは「二律背反」の関係に

ある。

この「効率性と安定性の二律背反」こそ「資本主義の不都合な真実

なのです。

その不都合な真実を直視して初めて、現実的な経済政策を立案する

ことができることになる。  (同 P140)

 

 「創造的破壊」の過程こそ、この「不断に古いものを破壊し、新しい

ものを創造し、絶えず内部から経済構造を革命化する産業上の突然変

異」こそ、シュンペーターは「資本主義に関する本質的事実である」

としたのです。

ここで、シュンペーターが、「革新」の概念を生物学における「突然

変異」と言い換えていることが重要です。

(資本主義と進化論が結びつくとき P171)

 

 此れから以下の抜粋・引用は「その2」に記載します。

3.最後にまた感想

 初版が出てすぐ読んだので、3年振りくらいの再読です。

今回もまた、完全に消化したとは、決して言い切れません。

このブログでも、ちらちら書いていますが、私の性分なのでしょう。

何か、「憧れ」を感じるものには、解らないなりに突っ込んでいき

たくなります。

跳ね返されるのが、解ってはいるのですが・・・・。

「古典」と言える中にある通説を、理解したうえで、論破し、新しい

理論を構築していく、それが学者なんでしょうね。

  岩井さんは、未だ故人でありませんが、本は、私の都合で、勝手な

時間管理で読めて、結果として岩井さんに付き合ってもらうことにな

り、ありがたいものです。 

 

今週のお題 「私の好きなアイス」また昔話、生協のアイス、冬の札幌

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子供の頃ソフトクリームは高級アイスでした。

今週のお題「私の好きなアイス」です。

またまた私には、難問ですね。

今回も昔話中心になりそうです。

 1.昔話その1

 子どものころは普通にアイスを食べました。

思い浮かぶのは、夏休みの水泳の後、近くのお店屋さんで買って食べ

るアイスです。

水泳と言っても、川にロープを張って、夏の間だけ使える急造プール

なのですが、川の流れがあり、川底には生物もいますから、とても面

白い空間です。

川べりの砂遊びも、いい思い出です。

しかし今日は、川遊び詳細は記載しません。

さて、本題のアイスですが、当時はもちろん、アイスクリームとアイ

スミルク、ラクトアイスの違いも、さっぱり解りません。

あまり、濃い乳製品の感じがしなかったし、値段が値段ですから、

ラクトアイスだったのでしょう。

他の乳製品と比較しようがありません。

暑い夏に、水泳で疲れて冷えた子供の身体には、なかなかオツナもの

でした。

体験者には解りますが、食べ過ぎで、冷えて例の「鼻から額にかけて

のツーンとした感じ」は、結構効きますよね。

昔話その2

20歳弱年の離れた叔母がいました。

昔ですから、父の兄弟姉妹合計7人は、びっくりするほどの人数や兄

妹間の年齢差ではありません。

社会人である彼女は独身で、おそらく、夏で帰省していたのだと思い

ます。

茶店で、ソフトクリームをおごってもらったことを、思い出しまし

た。

客観的には、何の変哲もない事象です。

当時、一般的とは言えないにしても大正時代じゃあるまいし、田舎に

も喫茶店はありました、ソフトクリームもあって当然でしょう。

しかし小学校低学年生には、大問題であり、上記のようにラクトアイ

スや、氷菓(今風ですが、シャーベット?)が普通であった、私に

は、濃厚な乳製品のソフトクリームは、記憶にあります。

もちろん、先ほどのラクトアイスを含め、「舌への味の記憶」は、あ

りません。

3.生協のアイスクリーム

時代はずっと飛んで、現代。

子供の私でなく、私の子供も大きくなぅた後の話です。

自分で、アイスを買って食べる、ということは、ほとんどありませ

ん。

茶店ほかで、チョコレートパフェ等を注文することは皆無でです。

性別や年齢問わず、甘党や左党は、いるでしょうし、両刀使いもいら

っしゃるでしょう。

私は、左党の方で、もっぱら焼酎か、ウイスキーです。

話戻って、アイスの話。

「お父さん」の立場で、妻子にハーゲンダッツを買って帰ったこと

はあります。

書くのは、生協のアイスクリームの話です。

妻が生協を利用しているのですが、たまにアイスも注文しています。

注文の量としては、子供が小さい頃よりは、減ったと思いますが、今

も少量ですが、注文しています。

 私も、おこぼれにあずかることもあります。

私は、シャーベット系よりもアイスクリーム系をいただきます。

ラム酒漬けのレーズンが入った、アイスクリームは好みです。

矛盾するようですが、「シロクマ」というシャーベットと、アイスク

リームとフルーツが、混ぜこぜになったやつがあります。。

いろんなサイトをもいると、九州中心のアイスのようですね。

昔食べた「贅沢アイス」の記憶があるのでしょう。

こちらも好みです。

 4.番外編、冬の札幌

話は少し戻って、私が食べる話じゃない、これも思い出話。

 私が若い頃、社会人となって最初の頃、私は札幌にいました。

冬は、ガンガン暖房効かせた部屋で薄着となり、コーラやアイスを好

む、これぞ、札幌の贅沢との話を複数の地元民から聞きました。

私は九州出身ですが、私の昔の家は寒かった。

吉田兼好ではないですが、昔の家は『家は夏を旨とすべし』だったの

でしょう。

「冬の暖かい部屋でのアイス」というのは、当時新鮮な感じがしまし

た。

 以上、アイスの話は、終了します。