中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

文明の海洋史観(読書感想文もどき) マルクス史観や生態史観の「視点抜け落ち」は理解できました。

文明の海洋史観

川勝平太/著  

出版者    中央公論新社 2016.11

1. 概要

近代はアジアの海から誕生した、という説。

農業社会から工業社会への移行という「陸地史観」の常識に挑戦し、

海洋アジアを近代の発生源とする「海洋史観」を提唱します。

マルクス史観・ダーウィニズムの説明と問題点、棲み分け理論・生体

史観の説明と問題点が、解り易く整理されていました。

これを踏まえ、太平洋文明の時代に日本の進むべき道を提示して

います。 

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(海洋史観をイメージしたかったのですが、航路になりました。)

 2.本文からの引用

西洋人が危険をも顧みず、なぜ、あの一定時期に何かに憑かれ

でもしたかのように、香辛料を探し回ったのか。その理由のなか

には、むろん食料の保存剤、薬味として珍重されるという事情は

あったわけだが、身分の上下を問わず無差別に人々を死に導いた

疫病のはびこった時期に医薬品として用いられたという事実を知

れば、納得できるであろう。  P49

 

世界を限りなく開かれたもの、征服さるべき対象ととらえ、フロンテ

ィア開拓(自然破壊)を善とし、優勝劣敗、弱肉強食、ダーウィン

自然淘汰・適者生存に不応言を見出した「近代世界システム」の世

界観に対して、世界を地球という限られた全体性のなかでとらえ、

生物同士の闘争よりも共存共栄、すなわち今西錦司のいわゆる「棲み

分け」原理に表現を見出した自然観ーーそれは諸民族の「住み分け」

という世界顯と通じているーーには学ぶべきものがある。

今西進化論ないし、今西自然学の根底にある「全体のなかでの調和」

という理念は、深まる国際交流のなかで諸外国と運命を共有しつつ

ある日本には欠かせないであろう。   P54

 

 廣松渉 「人類史をその起源から現在まで統一的に把握しようという

志向において・・・・・マルクス学派と今西学派とは双璧である。」

 P98

 

(今西の)独創性は、自然の中で生きている生物が「生物全体社会」

という全体構造のなかで、生活形を同じくする個体が種社会を作って

いくことを発見し、種社会の関係を「棲み分け」と捉え、それにもと

づいて生物社会論並びに進化論を提示して見せたところにある。

 (中略)

現実にはその数の多さが示しているように、強い種だけが残っている

のではない。生物は同じ一つのものから分かれて、強弱大小、古い種

から新しい種にいたるまで多様な種が生物界に共存している。生物の

歴史は一つのものへ収斂するのとは逆方向、多様化への運動であり、

済み分けの密度の高度化である。  P116

 

 (三木清の「哲学入門」から)

現実は我々に対してあるというよりも、その中に我々があるのであ

る。我々はそこに生まれ、そこで働き、そこで考え、そこに死ぬる、

そこが現実である。  P141

 

唯物史観に立つ歴史家は、社会主義社会を建設する労働者階級がいか

に形成されてくるかに関心を寄せた。それは農民が土地を奪われて無

産労働者階級になる過程なので、関心の中心にあるのは陸地の出来事

である。

一方、生態史観では、乾燥地帯と湿潤地帯という風土の違いの着目す

るから、これもれっきとした陸地中心の見方である。そこには海への

視点、海からの視点がすっぽり抜け落ちている。

海への視点を取り込むことは、決定的に重要である。 P236

  

英国紳士の生活スタイルの基盤はカントリー・サイド(郊外)であ

り、都市で働いた後、郊外に移り住み、悠々自適の生活を送る。

都市生活は近代生活の終着点ではなく、通過点なのだ。岩倉一行はこ

れを見落とした。 P245

  

3.私が少し考えたこと

無論、私の読解力に起因するのだが、いまいち、読後のもやもや

感が抜けません。

 マルクス段階史観への疑問符や、今西錦司の「棲み分け論」・梅棹忠

夫の「文明の生態史観」の論点、その双方とも「海」の観点が落ちて

いるのも理解できます。

また、海での隔たりが情報を遮断するわけではなく、人的・物的交流

を妨げてはいないということは分かります。

しかし、文明発祥とその高度の発展の要因が海の道からの物産流入

にあったという主張は、いまいち、私のなかで、繋がらない。

海洋アジアを近代の発生源とする「海洋史観」がいまいちしっくりき

ません。

論点が違うものの、依然読んだ高坂正高氏の「海洋国家日本の構想」

が、私の脳裏にあったので、一層混乱したのかもしれません。  

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今週のお題「最近見た映画」、話をずらしハリーポッター絡みの勝手なことを書きます。

1.やはりハリーポッター

今週のお題「最近見た映画」ということです。

私は平日は家の外にいることが多いのですが、ある夜家に帰っ

てきたら、家人がTVでハリーポッターの作品をを見ていました。

ハリーポッターシリーズは、世界中でよく受けましたよね。

私は映画を観ることは相対的に少なく、本を読むことは多い

のですが「普段映画を見ない人が見る、普段本を読まない人

が読む、いずれもベストセラーとなる」と、よく聞きます。

確かにその通り、本の世界の話は良くわかります。

私が、ベストセラーを、あまり好まない理由の一つでもあ

ります。

今日のこのブログは映画の話ですが、「ハリーポッター

シリーズ」は、私も全部見たぐらいだから、よく売れたの

でしょう。

 なお、この「ハリーポッターシリーズ」については、

玄人素人含め、いろいろ解説するでしょうから背景や

ストーリー、見所等々について、私が、何かを書くつも

りはありません。

勝手に私がこのシリーズで感じたこと(とはいっても画期

的な視点は ありませんが・・・)を少し書きます。

 

2.子供のこと

私には子供がいて、ポッター,ロンウイズリー、ハーマイ

オニーの役者の実年齢より10歳前後年下でしょうか。

特に長男が、「ハリーポッターシリーズ」の原作が好きだ

ったので、彼につられて、私も原作は読んだし、子供成長に

合わせて、結局全シリーズについて、映画館へ足を運びま

した。

 子供の成長と同じく、三人の役者の成長は、印象深いです。

それぞれ成長期があり、1年半か2年くらいのインターバル

で作品を撮るのでしょうが、ゆっくりした成長期と、急激

な成長期があり、「前作と全く雰囲気が違うオトナに」と

感じたことも、ありました。

人種の特徴はありますが、いつも見ている、自分の子供で

なく、たまに会う甥や姪、知人の子供の感覚と同じです。

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魔女とほうきの文化は、どこが発祥なのでしょう。

3.イギリス社会の断面

というと、大げさかもしれませんが、

風俗描写については、映像の力、ビジュアルの力はとても

強くて、書籍のイメージ以上(もしくは、自分のイメージ

を壊すもの)があります。

たとえば、数年間過ごす寄宿舎生活の描写は、なるほどと

感心することしきりです。

また、面白かったのは、「魔法」に対するキリスト教

世界観や、土着の原始宗教(決して小ばかにしているので

は、ありませんよ)や風俗とが微妙に混ざり合った考え方

が、たくさん出てくること。

「ヘビ」のことを少し。個人的に「ヘビ」が好き、という

のではありませんが、極端な恐れもありません。

昔実家に「土蔵」があって、「ヘビの抜け殻」が、ありま

した当時の祖父が「土蔵にある貴重品をネズミから守る

番人」としてヘビを評価していましたし、その意識が私に

あるのかもしれません。

アラムとイブとヘビの関係、いやもっと前のユダヤ教

影響なのか、ハリーポッターシリーズに限らず、「ヘビ」

に恐れおののくとか、「忌み嫌う」人々の感覚は、私には

「異文化を垣間見る」勉強になります。

 

 4.USJハリーポッター

今度は、経済的効果の話です。

実は関西のユニバーサルスタジオを2回ほど、訪問しました。

2回目は、家人のリクエストにより、ハリーポッター決め

打ちです。

私の住まいは、関東で東京ディズニーランドの近くです。

「すそ野が広い経済効果」というと、まず自動車産業です

がエンターテイメントもそうです。

地元にテーマパークもあるディズニー商法は、いつも感心

ています。雇用もたくさん産んでいます。

テーマパークが「永遠の未完成」を目指して、常に投資

行動を行い、「イクスピアリ」含めて、複合施設として、

広い裾野をもっています。

確かに規模感から言えば、ディスニィーより小ぶりですが、

ハリーポッターの経済効果を狙ったUSJの投資は、成功し

ていると評価します。

 

5.最後に

いつもながら、主題をずらしつつ、またまた好き放題を書

いてしまいました。「映画産業」の未来については、別の

機会に書きます。

少なくとも、臨場感を求めて、一定の広さの「映画館」に

足を運ぶニーズは人の心理状態として、一定割合ありそう

で「絶滅」は、しばらく免れると思っています。

 

鴨川に行って来ました。断水には参りました。次の輪廻転生はマンボウ?

1.旅行一般

私はプライベートで、そんなに旅行をする方では、ありません。

出張も、最近はありません。

コロナは余り関係ないですが、諸般の事情により、海外旅行は

最近ご無沙汰です。

国内は、3月末に、伊豆の下田で一泊旅行をしました。

伊豆の下田で考えたこと 歴史に「たられば」は禁物だが - 中高年michiのサバイバル日記

読んでもらっている方はありがたい限りですが、お分かりのよう

に、私のブログは、社会問題論評や、書評にかこつけた私見披露

が多いです。

ごくたまに「旅行記」的なものを書きます。

小学生レベルかも、知れませんが、本日は、その「旅行記」です。

 2.千葉県の鴨川

(1)今回、私の住む新浦安から、車で千葉県の鴨川まで一泊二日

で行ってきました。

現地まで、大きなトラブルや大渋滞はなく、無事到着しました。

温泉に入って、豪勢な夕食を部屋で食べて、

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海の幸中心の豪勢な夕食でした。

と、ここまでは、いかにも普通っぽいし、私にとっては旅行が

できて、ありがたい話です。

(2)今回、「早朝の断水」に、参った、というのがメインの

ひとつ。

まず、一般論ですが、私も長く生きていて、そこそこ、各地に

宿泊したことはあります。子供が小さいころはプライベートでの、

国内外旅行も複数回あります。

ただし、宿泊場所の断水は、今回が初めて。

水なしでは人間が生きられないのは同然ですが、断水は本当に

不便ですよね。

身につまされます。

もうかなり昔になりますが、3.11東北大震災の時は、私の住む

地区は地盤が液状化となり、数日断水で、参ってしまいました。

さて、今回のケースは、ゆったり目的の旅行ですから、断水は

「ゆったり」の大敵、困りものです。

うまく書けませんが、トイレの水が流れない大変さといえば、

想像の通りです。

実態は、早朝の短時間の断水であり急遽消防車が出動し、各

ターゲットに水を供給に動きました。

私は、旅館の窓から、町のメインストリートを往復する消防

車をみていました。

温泉について書くと、「源泉かけ流し」は、いいのですが、

こも人間が普通に使えるよう、水で埋めて「適温」にする

はずす。

それが一時的にも枯渇すると、超高温となり、やけどの危険

です。

幸い短時間で済み、「子供のやけど」等も直接は聞いていま

せん。

もう一つ、当然水がないと、大部分の調理ができないわけ

ですか、「遅い朝食」予定だと、厨房の支度が遅れたかも

しれません。

(3)鴨川シーワールド

ここは、関東では、メジャーな観光施設です。

子供には、人気でしょう。

実は私も、子供が小さかった依頼、20年ぶりくらいの

訪問です。

現地では、20年前の私の家族をほうふつせるような家族

を、いくつも発見。人間の行動は、大方似たようなもの

ですから、あたりまえでしょう。

この「売り」の一つはシャチのショウです。

私は個人的に水族館施設は好きで、各地(海外ではハワイ

とシアトル、シドニーぐらいですが・・・)の施設を知っ

ていますが、シャチのショウはここぐらいでしょうか。

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交代制かも知れませんが、日曜は4回のショウ、人・シャチともご苦労様です。

さて、今回は20年前と違い、「動き回る子供を監視する仕事」

はありません。

「小人、閑居にして不全を成す」ではありませんが、ゆったり

した気分で、魚類、鳥類、哺乳類等等と対面していると、結論

が出るはずもない「くだらない」こともいろいろ考えてしまい

ます。

 以前も少し、書きました、私はキリスト教的に「神は、動物と

人間は別に作った」とか「最後の審判を待つ」とは、全く考え

ません。

多神教とか、アミニズムといわれようが、「神様」は、いたる

ところにいると思うし、「輪廻転生」のほうを信じています。

はるか先には、膨張する太陽に地球が飲み込まれ、それまでの

記憶も存在も「無」になるのでしょうが、それまでは、「輪廻

転生」を繰り返すか、私の構成要素たる元の「分子に還元」さ

れて「無」に戻るか、というところです。

ゆっくりパーク内を歩いていて、「次の生まれ変わりは、(人間

でなく)マンボウでもベルーガでもいいじゃん」と思ってしま

いました。

 

3.最後に

普通の「旅行記」を想定した方には、本日も申し訳ありません。

断水の話と、マンボウとの対面では、「なんらの旅へにいざ

ない」にはなりません。

屁理屈書くと「旅へのいざない」は幾多の方が、書くでしょうし、

「偏屈おじさんの駄文」のほうが、面白くはないが「希少」では

あるでしょう。

 

正統性議論 米国大統領選挙に「不正」があるなら芽を摘んでおかないと、世界の危機

米国大統領選挙に関係して、現時点(日本時間で11月9日月曜)で

考えていることを少し書きます。

具体的に大見出しは2つです。

現時点とは、現地11月3日の投票の結果が「一応」出た、バイデン

が勝利宣言をし、世界各国の首脳が当選の祝電を打ち、次の体制に

ついて、スタッフを発令しつつある、という段階です。

1.選挙結果の決着について

 選挙の対立側トランプの方は「選挙の不正」を主張し、法廷闘争
に入っています。
今回の選挙に関して「不正行為」が横行しており、正しく集計す
ると、結果が変わる、つまり自分の勝利である、という主張です
私に、情報があるわけでなく、既存のオープンな情報を、私の
「常識」に照らして、論じているだけですが、トランプ側の主張
の方が納得のいくところです。
きっちり調査して、結果をオープンにしてほしいモノです。
しかしながら、現実考えると、「法廷闘争において、立証責任は
「不正を主張する側」にあります。
法理論からは、その通りで、これも納得いきます。
私に、入っている情報で
 ・ウィスコンシン州ミシガン州において深夜の監視が少ない
  時間 に票が急に飛ぶ(大量の投票者数の入力)、しかも
  バイデン 候補ばかりの得票
 ・選挙監視員を締め出してしまった
 ・登録者以上の投票者数があった
 ・ある地域で投票率90%以上(全体主義でなく米国での選挙)
 ・すでに死亡した有権者からの投票があった。
 ・票の集計ソフトに不具合が多発している
上記は、一例ですがどれも「常識」からすると「不正」のにお
いがぷんぷんですが、法廷闘争に必要な「証拠」収集となると、
難しそうですね。
しかしながら、米国のみならず、世界の運命の一部を握る米国
大統領選ですから、確り「不正」は正してほしいものです

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今日は、大統領選挙の「不正疑惑」の話です。
 2.米国の信用、国民及び世界各国の観点
(1)もう一つは正統性の問題。
つまり、ちゃんとした、不正でない手続きによって選ばれたので
ないと米国国民は信用しないし、世界各国にとっても「信用でき
ない」となります。
選ばれた、という「正統性」の問題が生じるわけです。
私が、声高に言う話でもなく、権力の正統性には長い長い議論
があります。
最初は暴力的な力の強い者や、生産能力に優位で経済的富を蓄
えたもの、から始まって血統、や身分といった、本人の関与で
きな部分での「権力の正当性」が続いたのでしょう。
「王権神授説」に見られるよう宗教的力をバックにする、軍事
的力をバックにする、そしてその複合系等、長い歴史のなかで、
動きはたくさんあります。
(2)近年、まさに我々の住む世界ですが、結局人間は、権力
の正統性を担保する、唯一無二の」仕組みは、見出しえず「相対
的に民主主義がマシな制度」ということのようです。
その民主主義を土台から支えるのが、選挙制度なのですが、
その選挙が、不正なしに、正しく実行されることが、前提と
なります。
  つまり、不正選挙でないことが前提であり、これにより権力
の正統性がないと、誰も真から従わない、ことになります。
(3)2020年の現在、米国は依然として力があります。
実質的に、世界を引っ張っていることに、反論は少ないで
しょう。
例えば、「米国から見て対外」を三つに分けましょう。
〇一つは、中国問題(太平洋、インド洋も含めます)です。
バイデンと中国の関係を心配する向き、つまりバイデンが
不正をしないで、米国の国益のために動くのか、という不安
過去の「マイナス実績」を不安視する向きも多々あります。
〇次に中東問題。イスラエルアラブ諸国の国交樹立は、
「トランプの実績」とみていいのでは?加えて、エネルギー
に関し中東依存から自立を確立で来たことも、あげられると
、思います。
〇「その他」として、乱暴にも、ロシア、西ヨーロッパ、東
ヨーロッパを含ませますが、オバマ時代との比較で、見ると
よいと思います。
(4)話が広がりましが、言いたいことは、
王も皇帝も天皇もいない米国で、民意で選ばれる、つまり
選挙に勝つことが唯一の権力の正当性を維持する仕組みだから、
選挙の不正は、米国民主杉の根幹を揺るがすもので、避けねば
ならないということです。
 
3.最後に
どうも舌足らずは、否めませんが、言いたいことを再度まとめると、
「選挙の不正懸念の芽」は、ちゃんと摘んでおかないと、米国を
誰も信用しなくなるし、結果として世界情勢がが不安定になる、
ということです。

死にたくないが、生きたくもない(読書感想文もどき) 長生きしてしまうのは避けられない

 死にたくないが、生きたくもない

小浜逸郎/著  

出版者    幻冬舎 2006.11

1.概要

著者は59歳、死ぬまであと20年。団塊の世代を早く「老人」と認めて

くれ、と主張しています。

「生涯現役」「アンチエイジング」など、「老い」をめぐる時代の空気

への違和感を吐露しており、同感なところ大です。

現実は、多くの方が、長生きしてしまうことは避けられませんが、枯れ

るように死んでいくための、ある意味での成熟をめざせ、ということで

しょうか。

(2)著者紹介をすこし。

1947年横浜市生まれ。横浜国立大学工学部卒。国士舘大学客員教授

教育、家族、ジェンダー、仕事、倫理など、現代人の生の課題を正面か

ら問い続け、幅広い批評活動を展開。

2001年より連続講座「人間学アカデミー」を主宰する。

 

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困ったことがあるのは「老人」も同じです。

 2.本文からの引用

日本の高齢者の現実の労働力の高さや「働く意欲」の高さの秘訣は、

「働いて稼ぐ」ということに込めている「社会的な被承認欲求」の

高さにある。つまり禄をはんでいる限りは、一人前に社会的な個人

として認められたいという欲求である。  P32

 

ここで大事なのは、金銭的報酬の意義が、単位それによって自分の腹

を満たせるというところにあるだけではない点である。自分の労働に

よって金銭それ自体を手にすることが、自分の社会的な誇りを確認で

きる道にまっすぐつながっているのだ。 P35

 

人はすることがないと自由をもてあまして退屈を噛みしめる。やがて

「生きていることにはどんな意味があるのか」などろ、とかく考えて

も仕方のない、ろくでもないことを考えはじめる。

もともと生きていることそのものに意味なんかあるはずがない。ただ

人間は、何らかの活動に自分を託して、そこにみずからの納得できる

意味を作り出さざるを得ない存在だといえるだけである。 P39

 

メディアのその時々の論調を安易に利用しながら、時代や世代の問題

にまで一般化して語るのは、評論といる家業の悪癖である。P70

 

近親者との関係ばかりではなく、こうしたささやかな社会関係において

も私は生かされている。それを自殺のような形で一方的に断ち切ること

は、なんとも無責任という感じを免れないのである。 P80

 

自殺に関して繰り返すなら、その人の条件や関係が、一定の人倫の幅

をキープしているかぎりで、あまりよいことではないと言える。だが

その幅が極小に追い詰められたときには、そのように行為するしか

ないと言いうるのみである。それ以上の価値判断はできないという

のが、私の考え方である。  P85

 

別に「よく生きる」ことなどいまさらできるわけもなく、ゆっくりと

老いてゆくのである。長生きしたって、そんなにいいことがあるわ

けがないがそれでも長生きしてしまうのである。  P94

 

自分はいい年をして相変わらずアホをやっているなという自覚が伴

っているなら、それはそれでよい。ところが自覚がだんだんなくな

ってくるのが加齢であるから始末に悪いのだ。 P109

 

健康維持や治療のために私たちは生きているのではない。健康維持

や治療はあくまで充実した毎日を送るための手段に過ぎない。健康

は活動のための外的な条件であり、枠組みである。  P125

 

年を重ねると、他人が自分の振る舞いをそんなに気にしていないと

いうことがよくわかってくる。だから、恥をかいてもまあ高が知れた

ものとして自分を許せる。失礼なことをされても言われても、いずれ

他人というものはそんなものと見なして、さほど傷つかなくなる。

 P184

 

熟年の利得をうまくキープするためには、単なる個人の心構えだけ

では足りない。恵まれた健康状態、恵まれた人間関係、恵まれた

経済状況、時間的な余裕、充実した毎日を過ごしているという実感、

もともとの性格などが必要とされる。

これだけの条件をすべた備えた人というのは、そう見ても少数派で

あろう。何か一つ条件が欠ければ、熟年の利得はそのぶんだけ殺がれ

てしまう。

だからこそ、ただ長い生きがめでたいなどとは言えないのである。

 P185

「病気」は倫理的な配慮から本人を免除すると書いたが、この免除は

「解放」であると同時に社会関係からの「追放」でもある。老いが

「病気」状態に近づけば近づくほど、社会関係からある程度追放さ

れることは避けがたい。

この追放を宿命として引き受け受ける覚悟が必要だ。  P194

 

高齢者にとって、個と社会との曖昧な中間領域に位置する「世間」

というあり方も捨てたもんじゃない。そこは競争と利害のぶつかり

合いとしての「市民社会」には、見られない相互依存の関係が保存

されているからだ   P200

 

長生きしてしまうことが避けられないなら、そうした小さなつなが

りを大切にしたいものである。老いて後の成熟というものがありう

るとしたら、こうしたつながりの隠れた意義がよく身にしみてわかる

ということをおいてほかにない。  P201 

  

 3.感想文的私見

  誰しも「波長が合う」ということはあります。

 おおよそ同じことを考えていても、うまく表現してくれるケースに、

なかなかぶつかりません。

今回「たまたま」タイトルに惹かれて読んだのですが、当たりでした。

著者の発言が大抵部分、私の意見に合致するものです。

2006年の作品であり、著者が59歳の時のようです。文中から読み取

れる、彼の生活環境は、私とは、違うのですが、引用する名言(学術

論文でなく、注はありませんが、出典が私にも連想できます)は、

腑に落ちます。 

 
 

 

長い間稼ぐには情報の蓄積が必要 学びながら稼げる体験は得だと思う。

1.仕事の損得勘定?

なんか、年寄りの小言みたいになりそうですが、本日言いたいことは

以下の通り。

〇属する組織が提供する「広義の研修」はうまく利用しよう。

〇学びながら、つまり勉強しながら、費用を支払わないで、逆に

 お金をもらえる体験は、とても貴重だ。

〇飛び出して、ほかのことをやるのもすべて本人に決断であるが、

 特に若いうちは、大きな決断の前に一歩引いて冷静になり

 「損得勘定」を考えてみるのも、いいかもしれない

 ということ。

 

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2.若いうちからのフリーへのいざない

「勧誘」文章に以下のようなことはよくあります。

 ・自分の時間を大切にしよう。

 ・組織にこき使われるのでなく、自分自身がオーナーとなり、

  若くして自由と報酬を手に入れよう。

 ・自分がそうだった。きっと君もできる

 式の勧誘は幾多もあるでしょう。

もちろん、納得のいくる見解もあるし、少なくとも、言っている

(書いている)本人が「自由と望む報酬」を現時点で体現している

のでしょう。

私のような年齢になっていつも思うのは、主張する本人が持つ情報の

蓄積で今後、何年らい食えるのだろう。

もちろん、組織から、お金を出してもらい、学んだことが、今後10

年、もちろん20年、30年生きてくるかは、答えは誰にもわかりませ

ん。(属人的要素も強いでしょう)

自分で冷静になって、損得勘定で考え見ると、いいと思います。

どの世界でも、一生勉強であり、今後は常に情報をアップデイト

しなければ、生きていけないでしょう。

ただし、若いころしかできない「情報の蓄積」は確かにあり、大きな

組織、余裕のある組織にいて、「広義の研修」を受けられるなら、飛

び出さず、「待ってみる」のも一つの手。

チャンスがころがってているうちは、目先との比較検討で、よく考え

てみよう、ということです。

 

3.先人も他人にお金で学ばせてたもらった。

(1)かつて、日本企業や役所等の組織に余裕があり、ほんの一部

のエリートだけでなく、割と多くのヒトが「広義の研修」を受けた、

時代がありました。

研修の形(大学や別の組織への留学や、社内での缶詰研修だけでなく

OJTも含んで)で学ばせてもらうのは、貴重な体験であり、経済的

に、とてもお得。

現在も「研修」はあるのでしょうが、まだまだ余裕がある頃の、大手

民間企業は、たしかに「研修」をよくやっていました。

 卑近な例ですが、私は若い頃大手の証券会社にいました。

「入社後3年間(場合によっては5年間)は、リターンより出費が大き

い」とは、担当の研修部の面々が言っていたし、実施そうだったので

しょう。

例えば、ビジネススクールに会社の費用で留学、といえば、もっと

でしょう。

経営観点からみると、それくらいの期間、戦力化しなくても、耐えら

れる財務の余裕があったこと、戦力化すると、潤沢な粗利が確保でき

ることが見える環境だったのでしょう。

相対的に若い人に投資して、今後長くリターンを得ようというのは、

当然の組織の理論です。 賞味期間は長いほうが良い。

言いたいことは、学ぶ方も、お金を出す方の組織も、中長期的なリタ

ーンを考えている、ということ。

米国のビジネススクールMBA取得などは典型で、組織が提供してれ

る「研修」等は外から見ると非常に高価であり、お金をもらいながら

ですから(たとえ、相対的に低い給与・報酬であっても) 得です。

(2)少し歴史を遡ります。

明治以降、膨大な、若者が「留学」をさせてもらっいました。

ちなみに、森鴎外は独身のころドイツ留学、夏目漱石は既婚ながら

単身で、英国留学ですよね。当時まだ企業は、お金の余裕が少なく

て、「国家」のお金中心ですが、「貧乏国家日本に身分不相応」な

お金の使い方ですよね。

江戸時代に遡れば「当時の若者の「世界」である「藩」を離れて

江戸や長崎に「留学」も、多々あったようです。

もっと古く、遣隋使・遣唐使の時代もありました。

遡れば遡るほど、ほんのひと握りのエリートに、縮こまってきますが

「若い人に、組織が、お金をだして学ばせた」という土台は、同じで

す。 

話は大きくなりましたが、再度言いたいのは、他人のお金で学ばせて

てもらうチャンスは、利用する価値はありそう、ということ。

  

4.まとめ的に

  今日は特に、話が同じところをぐるぐる回るだけで、三段論法的

な、発展的な結論は、ありません。

同じことを最後にまた書きます。

 組織の投資を捨てて、会社(もしくは組織)をでて、目先に稼げるこ

とに向かうのも、向かわないのも、本人の判断。

タイミングも、本人の判断。ただし「若いうち」との賞味期限あり。

 誤解なきように、生き残るために継続して学んでいかざるを得なの

は、一生続く問題。

つらいですが、時代についていくために引退する年まで、ずっと学び

は必要のようです。

上記で述べた「若いうち、他人のおカネ」の話とは別です。

ズルや不正は、小粒とは言えない大きな問題には避けて欲しい 選挙開票作業報道から

1.訳の分かったような、意味不明のような、高齢者の独り言のような、

またあまりに当たり前過ぎる内容です。

タイトルの話は、米国大統領選挙の投票締めの翌日、未確定州の結果集計
に関して、どうも変だ、という話が横行しているのを聞いて、ふと私が思
ったことです。

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米国大統領選挙の集計結果がなかなか出ません。
2.歴史を振り返ると、今の感覚での不正やズルが横行というか、
当たり前というかそうやって歴史が作られてきた、という方か、普通
です。
肉親、友人含めて、ある時点での政敵と思われる人物を殺害してきた
事例は、枚挙にいとまないし、その手法も様々です。
二枚舌や裏切り、合従連衡は常時であり、讒言や濡れ衣嫌疑で、ライ
バルを排除した事例も幾多あったことでしょう。
先日紹介した、暴力の歴史では、「歴史は進歩している」という見解
客観的に暴力は、減っていている、とあります。具体的データに基
づき、この論旨展開は、説得力がありました。
さて、ズルや不正については、この周防の冒頭に書いた通り。
私に、歴史的な実証分析か、できるわけではありません。私の勝手な
想像ではありますが、暴力の減少とは違って)歴史とともに、「ズル
や不正」やり方が巧妙になっただけであって、人間の本質が変わら
ない以上、「ズルや不正」の頻度は、過去から変わっていないのでは
ないか?
つまり殺人や戦闘行為とか、派手で解りやすいズル行為や不正は減り、
目立たない巧妙な手法にとって代わっただけ、と思えます。
おそらく同世代人には、結果ズルや不正が証明できなかった、という
ことが、過去には多いし、今後もそうでしょう。
このことが、「ズルや不正の温床」ともなるのでしょう。
 
3.米国大統領選に戻り、「告発者」が真実を述べることを前提と
して いくつか事例を見ていきます。
 (1)選挙人登録者数より、投票者が多い、
これは簡単です。簡単な算数です。
投票率100%を前提としても、あふれる「登録者でない投票者」は、
調べていけば何とか、解りそうなものです。しかし現実には「二重
カウント」の突合は、難しそうです。
(2)開票率が進み、80や90%の時点で突然トレンドが変わって
しまった。
ある地域の投票率が90%近くとか、10万票を超える塊の投票用紙が、
ほとんどすべて一方の候補者にチェック。
これは、理論的には可能でしょうが、「常識」からすると、やはり
「ズルや不正」の匂いがします。
(3)郵便投票の締め切り日を、事前通知していた日程から勝手に
変更してカウントしてしまう。
以上いずれも、神と見まごうばかりの負債を憎み実直な「選挙監
視員」が、厳しく監視していないと、すぐ、かつ、いくらでも不
正をやれそうです。
三権分立の制度の中、「最後は司法の判断」しかないのでしょうが、
実務的にどれだけ裁判所が機能するかも、よくわかりません。
 
4.社会と個人の間に「世間」という規範があり、これに縛られ
易い日本人の話は、以前にしました。
トラブルの原因が、個人的なことで、「世間に迷惑をかけた」、
いう反省はある面日本的で、私はこれを完全に否定するわけでは
ありません。
私としては、法律に縛られなくて、自粛や身内のルールが横行する
世界での判断は苦手です。
ただし、「個人的なこと」はここでは良しとしましょう。
今日話しているには、「選挙におけるズルや不正」という公的問題。
もっと大きな問題のことです。
全体主義国家じゃあるまいし、それこそ民主主義という社会基盤
揺るがすものでしょう。
こんなことを、一個人の私が主張して、どうなるものではありませ
んが、「制度への信頼」、という意味では、全く嫌になります。
21世紀も、20年を過ぎた現在、まだまだアメリカ合衆国は、世界の
リーダーたる力を持っておりに、それゆえに「民主主義国家の気概」
を見せてほしい、ところ。
日本的な「おてんとう様が見ているから、悪いことはできない」との
理屈が通用するとは、思いませんが、なんとか「法の力」と彼らなり
の「倫理観」に、元づいて、「正しい」処理をしてほしい、と望む
だけです。