中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

死にたくないが、生きたくもない(読書感想文もどき) 長生きしてしまうのは避けられない

 死にたくないが、生きたくもない

小浜逸郎/著  

出版者    幻冬舎 2006.11

1.概要

著者は59歳、死ぬまであと20年。団塊の世代を早く「老人」と認めて

くれ、と主張しています。

「生涯現役」「アンチエイジング」など、「老い」をめぐる時代の空気

への違和感を吐露しており、同感なところ大です。

現実は、多くの方が、長生きしてしまうことは避けられませんが、枯れ

るように死んでいくための、ある意味での成熟をめざせ、ということで

しょうか。

(2)著者紹介をすこし。

1947年横浜市生まれ。横浜国立大学工学部卒。国士舘大学客員教授

教育、家族、ジェンダー、仕事、倫理など、現代人の生の課題を正面か

ら問い続け、幅広い批評活動を展開。

2001年より連続講座「人間学アカデミー」を主宰する。

 

f:id:xmichi0:20201030141545j:plain

困ったことがあるのは「老人」も同じです。

 2.本文からの引用

日本の高齢者の現実の労働力の高さや「働く意欲」の高さの秘訣は、

「働いて稼ぐ」ということに込めている「社会的な被承認欲求」の

高さにある。つまり禄をはんでいる限りは、一人前に社会的な個人

として認められたいという欲求である。  P32

 

ここで大事なのは、金銭的報酬の意義が、単位それによって自分の腹

を満たせるというところにあるだけではない点である。自分の労働に

よって金銭それ自体を手にすることが、自分の社会的な誇りを確認で

きる道にまっすぐつながっているのだ。 P35

 

人はすることがないと自由をもてあまして退屈を噛みしめる。やがて

「生きていることにはどんな意味があるのか」などろ、とかく考えて

も仕方のない、ろくでもないことを考えはじめる。

もともと生きていることそのものに意味なんかあるはずがない。ただ

人間は、何らかの活動に自分を託して、そこにみずからの納得できる

意味を作り出さざるを得ない存在だといえるだけである。 P39

 

メディアのその時々の論調を安易に利用しながら、時代や世代の問題

にまで一般化して語るのは、評論といる家業の悪癖である。P70

 

近親者との関係ばかりではなく、こうしたささやかな社会関係において

も私は生かされている。それを自殺のような形で一方的に断ち切ること

は、なんとも無責任という感じを免れないのである。 P80

 

自殺に関して繰り返すなら、その人の条件や関係が、一定の人倫の幅

をキープしているかぎりで、あまりよいことではないと言える。だが

その幅が極小に追い詰められたときには、そのように行為するしか

ないと言いうるのみである。それ以上の価値判断はできないという

のが、私の考え方である。  P85

 

別に「よく生きる」ことなどいまさらできるわけもなく、ゆっくりと

老いてゆくのである。長生きしたって、そんなにいいことがあるわ

けがないがそれでも長生きしてしまうのである。  P94

 

自分はいい年をして相変わらずアホをやっているなという自覚が伴

っているなら、それはそれでよい。ところが自覚がだんだんなくな

ってくるのが加齢であるから始末に悪いのだ。 P109

 

健康維持や治療のために私たちは生きているのではない。健康維持

や治療はあくまで充実した毎日を送るための手段に過ぎない。健康

は活動のための外的な条件であり、枠組みである。  P125

 

年を重ねると、他人が自分の振る舞いをそんなに気にしていないと

いうことがよくわかってくる。だから、恥をかいてもまあ高が知れた

ものとして自分を許せる。失礼なことをされても言われても、いずれ

他人というものはそんなものと見なして、さほど傷つかなくなる。

 P184

 

熟年の利得をうまくキープするためには、単なる個人の心構えだけ

では足りない。恵まれた健康状態、恵まれた人間関係、恵まれた

経済状況、時間的な余裕、充実した毎日を過ごしているという実感、

もともとの性格などが必要とされる。

これだけの条件をすべた備えた人というのは、そう見ても少数派で

あろう。何か一つ条件が欠ければ、熟年の利得はそのぶんだけ殺がれ

てしまう。

だからこそ、ただ長い生きがめでたいなどとは言えないのである。

 P185

「病気」は倫理的な配慮から本人を免除すると書いたが、この免除は

「解放」であると同時に社会関係からの「追放」でもある。老いが

「病気」状態に近づけば近づくほど、社会関係からある程度追放さ

れることは避けがたい。

この追放を宿命として引き受け受ける覚悟が必要だ。  P194

 

高齢者にとって、個と社会との曖昧な中間領域に位置する「世間」

というあり方も捨てたもんじゃない。そこは競争と利害のぶつかり

合いとしての「市民社会」には、見られない相互依存の関係が保存

されているからだ   P200

 

長生きしてしまうことが避けられないなら、そうした小さなつなが

りを大切にしたいものである。老いて後の成熟というものがありう

るとしたら、こうしたつながりの隠れた意義がよく身にしみてわかる

ということをおいてほかにない。  P201 

  

 3.感想文的私見

  誰しも「波長が合う」ということはあります。

 おおよそ同じことを考えていても、うまく表現してくれるケースに、

なかなかぶつかりません。

今回「たまたま」タイトルに惹かれて読んだのですが、当たりでした。

著者の発言が大抵部分、私の意見に合致するものです。

2006年の作品であり、著者が59歳の時のようです。文中から読み取

れる、彼の生活環境は、私とは、違うのですが、引用する名言(学術

論文でなく、注はありませんが、出典が私にも連想できます)は、

腑に落ちます。