中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

今週のお題「鬼」 怖い鬼と、もの悲しい鬼の思い出

0.今週のお題は「鬼」とのこと。

誰しも、ある程度生きていると「鬼」に出会った経験は、何度かある

はず。

私も例外でなく、幾人もの「鬼」にあってきました。

思い出しつつ、いくつか書いてみます。

  1.怖い「鬼」

(1)思い出すのは、『史記・李斯伝』にある

「断じて敢行すれば、鬼神も之を避く」との文言。

「鬼神」とは荒々しく恐ろしい力を持つ神霊のことで、断固たる決意

もって行動すれば、鬼神でさえその勢いに押されて、道をよける

いう意味だそうです。

「鬼神」は、日本でいう「鬼」とは、違うのですが、まあ「史記」が

日本人に与えた一定の影響はあるのだし、まあ、良しとしましょう。

また、李斯と言えば、韓非子の「韓非」を陥れた印象が私には強いの

で、あまりこのみっではないのですが、ここではその話は避けます。

さて、「断固たる決意を持って行動」という言葉で、思い出すことを

少し。

(2) 何度か、書いていますが、昔私は、大手の証券会社に在籍して

いました。初手に、「支店営業」を経験しました。

そこで何人もの「仕事の鬼」みたいな諸先輩に会いました。

会社が目指す方向と、自分の考えを(無理やりでも)一致

させ、規則ルールは遵守しながら「断固たる決意を持って行動」

した姿は、よく見ました。

皮肉めいていうと、大きな疑いもせずに(小さな疑問は押し殺せたよ

うです)邁進できたパワー、「正義は我にあり」のパワーには、圧倒

されていました。

いい意味での緊張感が、全身に満ち溢れていました。

 

話は広がって、「一心不乱」に集中することをと「鬼のように」と評

することもありますよね。

バランス感覚を書いて、周りが目に入らずの感はありますが、成し遂

げた成果は美談になります。

マネジメントとしての全体を見据えた「判断」ができにくくなり、

「〇〇バカ」の印象を揶揄されることもあります。

(3)この「鬼」は「昭和の遺物」でもなんでもなく、「自分が属す

る組織の方向と、自分の考えを同化させ、一途に邁進」というのは、

歴史を振り返ってもよくあります。

恐らく、今後も続くでしょう、それは世界中で。

人間の本質は、そんなに変わる者でなく、このタイプの人間は、一定

割合で、必ず存在すると思います。

(4)理解不能に怖い鬼

少し話はずれますが、誰しも「自分に不可解」な物は怖いもの。

「男性の偏見」を承知で書くと、ある瞬間の子供のころの母親、

これは現在ですが、ある瞬間の妻、私に理解不能である故、とても怖

いのです。

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2.物悲しい「鬼」

 (1) 話を変えて、日本の昔話に出てくる「鬼」

桃太郎の鬼ヶ島にしましょうか。

桃太郎話も、何が「正史」か「ホンモノ」か私が知らないので、ごく

一般的に流布されている、桃太郎に「退治」される鬼について。

まずは、体制側である桃太郎にとって「悪」であるから、退治される

建付けです。

それはそれとして、鬼はそれほど残忍ではなく、それどころかユーモ

ラスで何かペーソスを感じさせます。

負けたところで、皆殺し、根絶やし、ジェノサイドを感じさせません

から、いいですよね。

(2)幼稚園で子供が作った鬼の面

私の子供は二えいっで、双方男です。

長男が幼稚園で作った鬼の面を私がかぶって、節分の豆まきを家の中

でしている写真があります。

追われる手、逃げ惑う鬼の役です。

幼稚園は歳時記的に、いろんな行事をやっているのですね。

写真はある意味残酷で、表情に現れた人間の感情を、そのまま映し出

しています。

当時は2歳でしょうか。次男の目には、「兄が幼稚園でつくった鬼の

お面」が純粋に怖かったようで、当時の写真から読み取れます。

(3)上記1で書いた、昔の「鬼」の幾人かにあってみると、今は

「優しいおじいさん」である場合が多いです。

ある立場で、ある瞬間に見せる「役者の顔」だったのかもしれませ

ん。しつこいですが、昔は「金棒をもった鬼」みたいに怖かったです。

昔も今も(読書感想文もどき) 人は変わらない 今回はボルジアとマキアヴェリの話

昔も今も

サマセット・モーム/著  

天野隆司/訳  

出版者    筑摩書房 2011.6

 1.概要

(1)サマセット・モームの歴史政治小説の出色の作のひとつ。

主人公は君主論マキアヴェリで、共和国の書記官としてその外交手

腕や人物像、そして色恋が描かれています。

綿密、周到、冷静と言った文字が私には浮かびました。

一方、公爵ことチェーザレ・ボルジアも傑出した君主として、権謀術

数を尽くす様が描かれています。

時代・立場・環境が違うとはいえ、32歳で亡くなるという短い時間

に、よく考え、動いたものだと思います。

その二人が知略の限りを尽くして頭脳による外交戦を展開しますが、

書き手が自らスパイ活動経験を持つモームですので、丁々発止のやり

取りが一層迫力を増します。瞬間瞬間の判断が、即死に繋がっていく

という緊張感でしょうか。

(2)チェーザレ・ボルジアを小説で読むのは、塩野七生さんの

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)」以来です。

マキアヴェリについては、昨年3月の私のこのブログで、 鹿子生浩輝

さんの「マキァヴェッリ君主論』をよむ」の中で、『君主論』は

就職活動論文というタイトルで、取り上げています。

マキァヴェッリ 『君主論』をよむ(読書感想文もどき) 『君主論』は就職活動論文 - 中高年michiのサバイバル日記

(3)塩野七海さんの「マキァヴェッリ語録」から、私のお気に入り

引用を再掲載します。

「天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知すること

である。   手紙  P265」  

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先が見えないのは「昔も今も」いつも同じ

2.本文から引用

マキアヴェリには確信があった。人間の性はいつの世も同じであり、

同じ情熱をもっているから、状況が同じならば、同じ原因は同じ結果

をみちびく。したがって、古代ローマ人がある状況に置かれて、どの

ように対処したかということを心に銘記するならば、後代の人間とて

も、少しは思慮分別をもって行動できるに違いない、とかたく信じて

いた。 P10

 

だが彼(マキアヴェリ)が何よりの強みとしていたのは、自分の女を

求める欲望の強さだった。これぞと狙いをつけると、彼はひたすらそ

の女を要求し、すべてのエネルギーを、金も暇も努力も、とにかく彼

女と同衾することに集中した。そしてこの強烈な欲望が女の心を刺激

して、彼の望みを受けいれることにつながった。  P87

 

(ボルジアが部下を処刑し公衆にさらしたときマキアヴェリのせりふ)

侯爵はあれで、満足なんだろう。閣下は部下の資質に応じて、好きな

ように権力を与えたり、それを奪ったりできるんだ。ミレーロはもう

用済みなんだろう。それでロマーニャ領民の前に投げ出してやって、

彼らの利益を重んじて、正義と公平が第一、であることを示してやっ

たのさ。侯爵はそういうパフォーマンスが好きなんだな。

 

(誘うチェーザレに、うまいマキアヴェリの切り返し)

チェーザレ:あなたほどの聡明な男が生涯、下級官吏に甘んじて生

      きるとは、・・・・

マキアヴェリ過大にもよらず、過少にもよらず、何事も中庸である

       ことが叡智の核心である、とアリストテレスに教えて

       られております。           P268

 

(次の掛け合いも面白い)

マキアヴェリ:閣下、ご安心ください。わたくしの後任者は、清廉潔

       白、非の打ちどころのない人物です。

チェーザレ:なるほど、するとわたしは、死ぬほど退屈させられると

      いうことか。  P271

 

 マキアヴェリは怖れと驚きで息を呑んだ。この男は全キリスト教世界

に挑戦状を叩きつけて、恐怖と巻き起こすようなことをやろうとして

いる。それをなんの驕りも気負いもなく、物静かに語っている。P281

 

 神による人類の創造は、悲劇的な失敗であるばかりか、醜悪で不幸な

出来事であったのではあるまいか。この生き物の創造と存在を正当化

するような理由が、いったい全体、この世界のどこにあるか?あると

したら、それは芸術だけではあるまいか? P337

 

自由なくして、なんで芸術だ。自由を失くしたら、すべてがなくなる

んだ。  P343

 

 3.改めてタイトルに思う

「今も昔も」・・・・・・・・サマセットモームが、タイトルにどう

意味を込めたていか、その後の研究者たちがどういう解釈をしている

かは、存じません。

私が勝手に思うことは「昔も今も人間は変わらない。」ということ。

とはいえ、人間の機微を見せてくれる場面は、それぞれ違います。

今回は「チェーザレ・ボルジアとニッコロ・マキアヴェリ」ですが、

それが「項羽と劉邦」であろうが「西郷と大久保」であろうが「プ

ラトンとアリストテレス」であろうが、「役者がそろった対立軸」

は、読んでいて、面白いモノです。

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何かと話題の中国ですが、「新型コロナ前」のマナーの話から「今後の米中」話 

〇.2020年1月末の現状

新型コロナの発祥地とか、ウイルス外交とか、米中対立とか、何かと話題の

の中国です。

もはや、米国と那波部というか、米国と対立する「一つの大きな極」といって

いいかもしれません。

時代の流れは速く、1年前に私が、考えて書いたことも、何か、古臭い要素

もありそうです。

しかし、変わらない部分もあります。

まずは、ナマ―の悪さから

1.マナーの話、昨年の1月記載事項に加筆

連日、新型ウイルス報道(今年はポンぺイオ米国国務長の置き土産「ジェ

ノサイド」発言が駆け回っています)で、いつも以上にメディアに流れる

中国ニュースですが,今日言いたいことはシンプルで

「中国人中高年のマナーが悪いのは、大飢饉や文化大革命の

記憶がくびきとなっているのでは? 影響大きそうということ。

マナー悪さと文化大革命を、結びつけるブログもありますし、文化

大革命のすざましさを分析した書籍や、ヤマホドあります。

 下記に書籍を紹介した「毛沢東の大飢饉」や「文化大革命」そのもの

を取り上げて、論じるのではありません。

タイトルに沿った、私のショート・コメントです。

ほんの1年前まで、日本中を闊歩していた中国人旅行者も新型コロ

ナ騒ぎの影響で文字通り「消滅」してしまいましたが、

信条や気持ちは、そう簡単に変るものではなさそうに、思います。

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観光客へのマナー呼びかけ

2.飢餓の直接的記憶

とはいえ、いつの話?くらいは確認しないと、

それこそ話になりません。

4,000万人以上が亡くなったと言われる「毛沢東の大飢饉」

は1958年から1962年くらい、それに続く、「文化大革命」は1966年

から1976年です。

幼児期でなく、多感な思春期が始まる前、「当時の10歳」を例にとり
ます。
現在は2021年ですから、「当時の10歳」は、55歳から65歳くらいと
なります。
「つらいつらい生活、死への恐怖、社会の理不尽さ、ひもじさ」等
そのころ記憶が消えるはずはなく、ついつい、「豊かな」現代なっ
ても顔を出すのでしょうか。
「第二の本能」とは言いませんが、無意識のうちに現れる習性かも
しれません。
誤解なきよう書きますが
私は「中国人のマナーの悪さが、原体験に基づくもので仕方ない」
とは、ゆめゆめ主張していません。
これだけ国家が経済力を持ち、否が応でも国際社会で目立つ存在と
なってきただけに、国内でも国外でもマナーに十分気を付けてほしい
といつも思っています。
いわいる「新型コロナ後」で旅行が復活するころ頃には、少しは変わる
のかな。
ちょっと引用しますが(こちらは「衣食足りて」の取り方が私見
違います)
 社会生活におけるあらゆるマナーは、心に余裕のある人間
にこそ養われる。
(中略) 多数の中国人は、まず自分とその家族が矛盾した
現代中国社会の中でいき残ることしか頭に浮かばない。
 海外旅行ができるほど経済的余裕ができた人間も、これ
だけ乱れた希望の ない国で、心に余裕のないまま生き抜
いていれば、マナーなど身につくはず がない
 
3.「今後の米中」をにらんで
ご案内のように、1月20日をもって、トランプ政権からバイデン政権に
変りました。いろんな意見、いろんな考えはありますが、
(1)まず議会についてほ発言を引用します。
 私の持論ですが、「議会」と「政権」は常に分けて考える
べきです。

それは、トランプ政権のときと変わりません。

今の米国議会は超党派で対中強硬路線になっています。

昨年11月にバイデン氏が大統領選で勝利して以降、トラン

プ氏が退任するまでに様々な対中強硬策が実施されています。

それらを指して、「トランプ政権が駆け込みで実施している」

とも報道されていました。

しかし、政策ごとによく見ると、トランプ政権が主導している

ものと、議会が主導しているものがあることが分かります。

 
(2)三権分立の「行政」はどうか?
上記のように「立法」である米国議会は、上院下院とも若干共和党、民
主党の議員比率比率は変わりましたが、対中姿勢は、変わらない様子と
の論評が多いです。
「行政」は共和党から民主党へ大きく振れたものの、直近の新国務長
官のジェノサイド認定継続発言に見られるよう、対中政策は、大枠継
続に見えます
国の安全保障、対外政策に、共和・民主の政党色は少ないと、一般に言
われるものの、是々非々で、今後の動静を見守るしかないと、思います。
当たり前ですが、政治は結果責任です。
 
 
 

つげ義春の2冊から(日記と温泉)疲れた自分には効きますよ

1.最近「つげ義春」を二冊ほど

手にしました。いわいるエッセイです。

彼の漫画の方は、遥か昔話ですが、「ガロ時代」の漫画の「必殺する

め固め」を当時親しかった女性の友人から、貸してもらったことを、

思い出しました。

なぜか、「心が疲れているな」と感じるとき、彼の言葉がしみわたり

ます。温泉の話を少し引用すると、

220(つげ義春の温泉)

温泉好きというと、のん気で気楽な身分のように誤解されることがあ
る。けれど私の場合は行楽としての温泉には関心がなく、昔ながらの
地味で面白みのない湯治場に惹かれていた。
そのような偏りは、青臭いことを言うと、なぜかこの現実から逃避し
い思いが無意識に巣喰っていたようで、その不安の癒し場を求めて
治場にこだわっていたのではないかと思える。
つげ義春の温泉 P220 から)

 

ノイローゼ(不安神経症)についても、書いています。

人間の精神は薬で治せるものではないでしょう。人間は関係性の生

き物で関係に規定されている存在ですからね。なので医者は不安愁訴

を軽くする薬を出すだけで根本を治すことはできないのでしょう。」

つげ義春日記 P351から) 

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「ひなびた温泉」のイラストが無理だったので,干支の牛にしました。

下記2冊から、書評的に少し紹介します。

2.つげ義春の日記

 つげ義春/[著]

出版者    講談社 2020.3

(1)昭和50年代、漫画家つげ義春は自作漫画が次々と文庫化され、人気

を博す。

一方で、将来への不安、育児の苦労、妻の闘病と自身の不調など、

人生の尽きせぬ悩みに向き合う日々を、私小説さながらにユーモア

漂う文体で綴っています。

印税が入るようになって、生活が安定してくるのは、いいですね。

妻子、特に子供は自分で稼ぐことができませんから、支えるのは大

変、やはり安定収入が必要です。

(2) 「(私小説)好みについて」

何故作家の生活に興味を持つかというと、私は人生経験も浅く、未熟

で、生き方が下手で、いつも動揺しながら暗闇を手探りで進むよう

に、辛うじて生きている。常に不安で心細く頼りない。そんな時他人

の生き方を見るのは参考になり、慰められ、勇気づけられるからであ

る。とりわけ私小説作家の多くは、不幸な境遇を背負い、経済的にも

恵まれない例が多いので親近感を覚えるのだ。

(P335  あとがき)  

 

2.つげ義春の温泉

つげ義春/著

出版者    筑摩書房 2012.6

(1)1960年代末から70年代にかけて、日本列島の片すみにあった温泉宿

を探して、青森、秋田、福島など、東北を九州を旅しています。

「ひなびた」という日本語がしっくりきます。

文庫の末尾には「農村の湯治場に集う人々の表情や、絶望的に静かな

雰囲気を見ごとに写し取った作品は、忘れられた貴重な記録」と書い

ています。うまいですね。

私が若い頃、1980年代に、タイや台湾の田舎を旅した時のことを

今になって感じますが、急速に変わっていく世界にあっては、

 (2)私が知る1980年代のタイや台湾の郊外の風景は、今日は存在し

ないかもしれません。

以前も書きましたが、私は「旅の写真」をとっていません。

「心眼」で見ている、といつもうそぶいています。

いずれも私の記憶の中にあるだけでしょう。

 

4.最後に雑感

 冒頭に、「懐かしい」と書きましたが、私の読書遍歴からすると、

それは事実です。

とはいえ、凡人には体験して初めて解る世界も多々あります。
つげ義春日記」を読んでいて、妻や子供(男の子)に対する感情
の揺れ動きは、今は、よく解ります。経験値があるから。
しかしそれは、まだ私が20代で、いま「懐かしい」と思う時は
未体験であり、解っていなかったものです。
翻って
ごく一部の天才・鬼才は別として、凡人には体験してみないとらない
ことが、多くあり、そのほとんどは「事前に、ちゃんと考えていれば
よかった。こんな失敗をするはずではなかった」と、あとになって、
思います。
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人間の道理(読書感想文もどき)曾野綾子さんのメッセージです しっくりきます

人間の道理

曾野綾子/著  

出版者    河出書房新社 2020.10

1.概要と私的所感

平穏だけを望んで生きることはできない、ウイルスを回避しすぎるこ

とが本質ではない、社会が決めたルールに同調する必要はない、生き

延びることは知性と関係ない、「自分は不幸」という固定観念をな

くす等々、彼女のメッセージ集は、私がうなづくことばかり。

所感めいたことを書くと、、、 

そんなに難しいことを、言っているわけでもない。僭越ながら、同じ

趣旨のことが自分にも書けそう。

とはいえ、こういううまい表現は自分にはできないな・・・・

 私は、たまに「しっくりくる」とか「ほどんど同意見」ということ

を、使います。

 ふと、思い出すだけでも、昔は竹内宏、邱永漢らがいました。司馬遼

太郎、堺屋太一もそうです。

 最近よく引用する出口治明さんほか、曽野綾子さんもその一人。

若いころの彼女の小説をよく読んでいるわけではありません。

キリスト教一神教的考え方とは、私は一線を画しています。

しかしながら、この10年くらい、彼女がお年を召されてからの

エッセイ等は、出版物としては、割と読んでいます。

「ウマが合う」という表現でしょうか。 

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今回の曽野さんは、お気に入りの本棚イラスト

2.本文から

人間は常にいささかの悪をしながら、時にはかなりの善をなすことも

できる。自分の内部におけるこの善悪の配分の時に必ず起きる、一抹

の不純さの自覚が、人間を作るのである。  P29

 

一方で人が死に、一方で運のいい人が生き残る。この非情で筋道の通

らない、決して平等とは言えない結末を、私は骨身にしみて感じた。

その結果、私は戦後人間は平等だなどという美辞麗句が人々の間に

浸透した時も、決してそんなことを信じなかった。  P32

 

農業の世界には、「みんな平等」も「みんな幸福」ということもあり

得ない。自然保護などと言って、森を守りさえすれば、すべての生き

物が、動物も植物もすべて、生きとし生けるものすべてが声明を全う

できるなどと言うことは無い。(中略) 一人の落後者も出ないよう

に、とか、「一人の人間の命は地球より重い」などと言うことは考え

られない。  P43

 

「徳性を有する」とは、どういうことか。
規定するのはむずかしいですが、一つの目安は、どんなことにも意味
を見出し、どれだけ人生をおもしろがれるか、ということだろうと思
います。  P76
 
動物的平等化を人間的に馴らす方法が「遠慮」だと思います。  P80
 
人は適当な時に死ぬ義務がある。ごく自然にこの世を辞退するのだ。
それで初めて私たちは人間らしい尊厳を保った、いい生涯を送ったこ
とになる。  P103
 
現実に、「衆賢」という言葉が出来なかったのは、決した偶然ではあ
るまい。無責任な行動しか取らない人の中で、自分を保ち続けること
ができる人物はほんの少しだから、「衆」は常に愚であった。そして
我々は、誰もが衆の一人なのだ、ということを、間違いなく肝に銘ず
べきなのである。 P117
 
相手が、いい人でも正直な人でもないだろう、と反射的に思うこと
は、日本以外の土地では実に有効な身を守る手段であり、柔軟性でも
あった。
(中略)私はまず用心し、はじめから相手を部分的にしか信ぜず、従
って裏切られても騙されても怒ることはなくなった。 P123
 
忍耐さえ続けば、人は必ずそれなりの成功を収める。金は幸せのすべ
てではないが、財産もまた大きな投機や投資でできるものではないと
いうことを、私は長い間人生を眺めさせてもらって知った。
その代わり、成功のたった一つの鍵は、忍耐なのである。  P134
 
 諦めることも成熟の一つなのだとこの頃になって思う。しかしその場
合も充分に爽やかに諦めることが出来た、という自覚は必要だ。
つまりそれまで、自分なりに考え、努力し、もうぎりぎりの線までや
りましたという自分への報告書はあったほうがいいだろう。 P152
 
他人に理解されようと思うから無理が出るのだ。理解されなくても、
現実はほとんど変わらない。 P164
 
私はこの世に「安心して暮らせる」状態などないこと、生きることは
運と努力の相互作用の結果であること、従って人生に予測などという
ことは全く不可能であることしかしそれゆえに人生は驚きに満ち、
生き続けていれば、びっくりすることおもしろいことだらけだと、
謙虚に容認できるようになった。  P174
 
 3.再度、短文コメント

 人は、結局現在の自分に、受け入れられるものしか、受け入れない、

という当たり前のことを、感じた一冊でした。 

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不要不急と誰が決めるの? 行政の「優先順位」に違和感あり 個々人の「不要か否か判断」優先

1.言いにくい言葉 

世の中、正面切ってなかなか、正確に反論きないことが、多々あり

ます。

「老人の命は、大切だ、重症化しやすい高齢者から優先的にワクチ

ン接種」などもそうでしょう。

それは、そうですが、65歳以上を「高齢者」とすれば、人口の

「モード」に位置するでしょうし、他の世代に回ってこないの

では?

確か「団塊の世代」の方は、1年間で区切って200万人以上対し、

13,14歳は、110万人から120万人? 

一昨年、昨年の新生児は100万人どころか90万人も言っている、

と聞いています。

ずるいですが「若者も同様に大切」と私にうまく言えないので、

曽野綾子さんの言葉を借ります。

「治療のためのワクチンが限られているなら、高齢者が

まず受ける権利を放棄した方がいい。

もちろん、国の制度や医師の論理では、そんな人も平等

です。

だからこそ、高齢者が自ら辞退した方がきれいですね。

国が高齢者を切り捨てるのではなく、若者が要求する

わけでもなく、高齢者が自由意志で、自らの美学として、

自ら遠慮した方がいいのです。

(人間の道理 P88)

 

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「緊急事態」対応が必要なのは医療界では?

2.気になっている言葉「不要不急」

(1)今度は引用でなく、私の見解を私の言葉で。

結論は、行政や支配階層にある人が安易に使っていい言葉と思え

ないし、メディアの悪乗りも甚だしい。

仕事や働くことの意味を、以前論じましたが、再度「認知」の話

を、持ち出します。

社会的弱者の人が、寄付や援助、支援等によって生きていかざる

を得ない面は決して否定できませんし、自由で民主的で、経済が

回っている国家は福祉面も進めるべきです。

しかし、「働いた対価として報酬を得ること」は、仮に得た金額

が少額であっても、本人にとても意味があります。

つまり、社会のお荷物ではなく、自分の行動が「報酬」という形で、

社会から「認知」されたということ

全員が全員とは、申しませんが、働いたこととして認知されることは、

自己の存在を認知されると感じ、うれしいはずです。

(2)不要不急の一般論

視点を変えて、まだ、部外の見解を披露します。

昨年8月アップの心療内科医師の見解です。

不要不急? | はらだメンタルクリニック

 

大切なことを見失わないために一つの尺度をご紹介したい

と思います。

 右(ここでは上)の図のように、物事は、重要度と緊急度

によって4つの分野に分類することができます。

 一般に緊急度が高いものは、例えば電話のように、大きな

音などを伴って向こうから迫ってきますので、誰でも自動的

に取り組むことになります。

 注意しなければならないのは、重要なのに緊急度の低いも

の(Ⅱ)です。

緊急度が高いけど、重要度の低いもの(Ⅲ)に時間を奪われて、

重要こと(Ⅱ)がないがしろにされてしまい、人生を失敗する

ことがないように気をつけなければなりません。

 Ⅱの分野に含まれるものの中には、家族や親せき、友人との時間

などがあります。

あまり重要ではない急ぎの仕事(Ⅲ)に時間を奪われているうち

に、大切な家族との時間を失ってはいけません。

このⅡの分野を大切にすることが重要です。 

(3)私見に戻ります。

「不要の仕事」に、こだわります。

①今回の新型コロナ騒動で、当たり前のように「不要不急」が流布して

います。

よくよく考えると、大変失礼で、いやらしい言葉です。

そもそもいったい誰に「○○の行動は、不要だ」と言える権利がある

のでしょうか。

どの仕事も、世の中の必要性があって「対価」という形で行為者に

「収入」が与えられその積み重ねで経済が回っていきます。

明らかに反社会的な行為を除いて、「職業に貴賎なし」、私は本気

で思っています。

政治家・行政や医療界が「貴」とは、全く思っていません。

政治家・行政こそ、「不要不急」や「テレワーク代替」がたくさん

あるように感じます。

政治家・行政や医療界こそ、「緊急事態」に対応しろ、と思って

います。

行政や支配層が、「あなたの仕事は不要です。じっとしていなさい」

と本当に言える権利があるのでしょうか。

「不要」か「有用」かを、本人や利用者でない外部が決められるも

のでしょうか。

いわいる一般に「グレーやブラック」と言われる「仕事」も含め、

「あなたの仕事は不要だ、あなたは不要た」は、いけません。

心が折れてしまいます。

全体主義国家ではありません。ここは、自由主義と民主主義が存在

すると言われる日本ですよ。

②行政側の言い分は解ります。

国民の「安全」を守ることが第一で、目的に沿って行動している、

ということ、もっと言うと「生活より、ます生存」でしょう。

その政策や指示事項、行動の成否、善悪、効果等はここでは論評

しません。

芸術至上主義を言うつもりは、ありませんが「生存」も大切だが、

芸術活動が生きている証」という、意見の人を否定してはダメで

しょう。

言い方ひとつと言えばそれまでですが

接触を減らしましょう。」は対策の一つの見解として、いいとして、

個々人が決めるべき「不要不急」表現を政治家・

行政は、なるべく使わないように、ということです。

 補足ですが、「煽ってこそあおって収益が上がる」との目的は解り

ますが、メディアも考えてほしい、もの。 

2021年1月末時点で、新型コロナ論点整理、松田学さんに乗っかり

1.メディアは相変わらずのコロナ報道

先日もこのブログに書きましたが、私はほとんどテレビを見ま

せん。いわいるニュース等の時事関係情報も、PCで「NHK

ニュース」を文字情報でよむくらい。

(ただし、毎日閲覧しています)。

一方玉石混交(失礼!)ですが、youtubeベースで個人作成分

含めてニュースや分析をいくつか見ています。

英語があまりできないので、FoxNews等は、何度か聞いても

全容を把握できていない場合もあります。

さて新型コロナについて、一通りの関心があり、自分なりの

見解もあります。

上記「NHKニュース」ほか、ほとんどのテレビメディア

(と言ってもワイド・ショー系は、批判を聞くだけで直接は、

よく知らないのです。)の新型コロナ報道・見解には、反対

意見です。

僭越ながら、私の考えに(非常に近いと勝手の思っている)

松田さんの見解、20200124アップの松田学さんのニュース

「新型コロナ対策を抜本転換せよ」

に乗っかって、最近の動きや対策を整理してみます。

https://www.youtube.com/watch?v=hog1myg3QPM

f:id:xmichi0:20200804135934j:plain

新型コロナに、医者も緊急事態で「全員参加」を望む

2.新型コロナの本来あるべき対策

(1)指定感染症の分類→インフルエンザ並みの5類格下げで

医療崩壊を回避

 私もなんどか書いていますが、これが一番だと思います

(2)以下の背策にも、大きく響いてきます。

最近、仮に5類にすると、診療が有料となり、情報「隠ぺい」

が進み、個々人に聞くと反対意見も多いのでは、との意見を

聞きました。さもありなんと、と思います。それでもやはり、

進めるべきと、私も同じ意見。

(2)医療の構造問題→重傷者対策へ医療資源の重点配分

   →医療界にこそ緊急事態宣言を。

メジャーなメディアに、久々同意したい報道あり トランプでなくコロナです - 中高年michiのサバイバル日記

実は本年1月18日に、上記ブログをあげています。

祖袖、慈恵医大の大木さん発言を再掲載すると

医療崩壊ということばが盛んに言われているが、97%、

96%のベッドがコロナに使われず、一般の医療に使われ

おり、余力が日本にはある。

②民間病院が、商売として『コロナをやりたい』と思う

ぐらいのインセンティブをつければ、日本の医療体制は

瞬く間に強化される。

 (3)PCR検査→Ct値設定の適正化(35以下への引下げ)と

統一基準→新たな抗体検査(中和抗体の確認)への全面的な移行

ウラは取れていませんが、Ct値は、台湾が35くらい、日本は42

から43最近拡大の民会pCRけなさでは47から50もあるとか。

何をやっているんでしょうか。

(4)免疫力の低下(自粛+冬)→緊急時代宣言を停止、「免疫

力強化国民運動」 を(高齢者は屋外へ、現役世代は活動、Go

To再開)

冬に風邪が流行るのは、十分予測足できたはず。

もう1年となり、準備不足の言い訳をしていけないはずの地方自

治体首長が、責任転嫁で「緊急事態宣言」の持ち込ませた観は否

めません。

(5)ワクチンは将来的な遺伝子改変の可能性

 ・・・慎重対応と一部に接種限定or政府はこの点についての懸

念を払拭

いわいる大手メディアのワクチンの「報道」もひどいモノ。

最低限の常識があれば、ワクチンに副作用はつきものであり、何

人摂取してそのうち副作用反応が〇〇人で、これはXX%であり、

他のワクチン副作用と比較して高い(低い)比率と、報道する

がオトナでしょう。

どう日本語読んでも「煽り」にしか、読めないものもあります。

(6)一億総「コロナ脳」状態→新型コロナに対する見方の是正

意識転換へ

  政権に求められる真のリスクコミュニケーション

・コロナ対策の指標は「感染者数」ではない。

・ウイルスの性格上、人為的に「感染抑止」は不可

感染症の真の専門家の意見を傾聴し、感染症の基本に立ち返る

・メディアの煽り報道をやめさせる「煽れば煽るほど人災被害が

増加」

 ①ここでは二つ、述べます。「感染者数」というのは、現在の

日本の基準で「PCR陽性者」を言っているのでしょうから、

土台の作り替えが必要ですよね。

②「人的被害」はずばり自殺者の増加でしょう。失業率と自

殺者の割合は、過去の確りした統計があるようです。

「コロナ関連死」の差異たるものでしょう、しかも自殺者は

若年から壮年が多そうです。

 

3.最後に

松田さんの整理に私が若干コメント付けましたが、意見の相

違は、ほとんどありませんでした。

この新型コロナ問題が、近日中に霧散して消えるとは思えま

せん。デイリーで情報を追う中で、また、コメントしていき

たいと思います。