0.今週のお題は「鬼」とのこと。
誰しも、ある程度生きていると「鬼」に出会った経験は、何度かある
はず。
私も例外でなく、幾人もの「鬼」にあってきました。
思い出しつつ、いくつか書いてみます。
1.怖い「鬼」
(1)思い出すのは、『史記・李斯伝』にある
「断じて敢行すれば、鬼神も之を避く」との文言。
「鬼神」とは荒々しく恐ろしい力を持つ神霊のことで、断固たる決意
をもって行動すれば、鬼神でさえその勢いに押されて、道をよけると
いう意味だそうです。
「鬼神」は、日本でいう「鬼」とは、違うのですが、まあ「史記」が
日本人に与えた一定の影響はあるのだし、まあ、良しとしましょう。
また、李斯と言えば、韓非子の「韓非」を陥れた印象が私には強いの
で、あまりこのみっではないのですが、ここではその話は避けます。
さて、「断固たる決意を持って行動」という言葉で、思い出すことを
少し。
(2) 何度か、書いていますが、昔私は、大手の証券会社に在籍して
いました。初手に、「支店営業」を経験しました。
そこで何人もの「仕事の鬼」みたいな諸先輩に会いました。
会社が目指す方向と、自分の考えを(無理やりでも)一致
させ、規則ルールは遵守しながら「断固たる決意を持って行動」
した姿は、よく見ました。
皮肉めいていうと、大きな疑いもせずに(小さな疑問は押し殺せたよ
うです)邁進できたパワー、「正義は我にあり」のパワーには、圧倒
されていました。
いい意味での緊張感が、全身に満ち溢れていました。
話は広がって、「一心不乱」に集中することをと「鬼のように」と評
することもありますよね。
バランス感覚を書いて、周りが目に入らずの感はありますが、成し遂
げた成果は美談になります。
マネジメントとしての全体を見据えた「判断」ができにくくなり、
「〇〇バカ」の印象を揶揄されることもあります。
(3)この「鬼」は「昭和の遺物」でもなんでもなく、「自分が属す
る組織の方向と、自分の考えを同化させ、一途に邁進」というのは、
歴史を振り返ってもよくあります。
恐らく、今後も続くでしょう、それは世界中で。
人間の本質は、そんなに変わる者でなく、このタイプの人間は、一定
割合で、必ず存在すると思います。
(4)理解不能に怖い鬼
少し話はずれますが、誰しも「自分に不可解」な物は怖いもの。
「男性の偏見」を承知で書くと、ある瞬間の子供のころの母親、
これは現在ですが、ある瞬間の妻、私に理解不能である故、とても怖
いのです。
2.物悲しい「鬼」
(1) 話を変えて、日本の昔話に出てくる「鬼」
桃太郎の鬼ヶ島にしましょうか。
桃太郎話も、何が「正史」か「ホンモノ」か私が知らないので、ごく
一般的に流布されている、桃太郎に「退治」される鬼について。
まずは、体制側である桃太郎にとって「悪」であるから、退治される
建付けです。
それはそれとして、鬼はそれほど残忍ではなく、それどころかユーモ
ラスで何かペーソスを感じさせます。
負けたところで、皆殺し、根絶やし、ジェノサイドを感じさせません
から、いいですよね。
(2)幼稚園で子供が作った鬼の面
私の子供は二えいっで、双方男です。
長男が幼稚園で作った鬼の面を私がかぶって、節分の豆まきを家の中
でしている写真があります。
追われる手、逃げ惑う鬼の役です。
幼稚園は歳時記的に、いろんな行事をやっているのですね。
写真はある意味残酷で、表情に現れた人間の感情を、そのまま映し出
しています。
当時は2歳でしょうか。次男の目には、「兄が幼稚園でつくった鬼の
お面」が純粋に怖かったようで、当時の写真から読み取れます。
(3)上記1で書いた、昔の「鬼」の幾人かにあってみると、今は
「優しいおじいさん」である場合が多いです。
ある立場で、ある瞬間に見せる「役者の顔」だったのかもしれませ
ん。しつこいですが、昔は「金棒をもった鬼」みたいに怖かったです。