昔も今も
天野隆司/訳
出版者 筑摩書房 2011.6
1.概要
主人公は君主論のマキアヴェリで、共和国の書記官としてその外交手
腕や人物像、そして色恋が描かれています。
綿密、周到、冷静と言った文字が私には浮かびました。
一方、公爵ことチェーザレ・ボルジアも傑出した君主として、権謀術
数を尽くす様が描かれています。
時代・立場・環境が違うとはいえ、32歳で亡くなるという短い時間
に、よく考え、動いたものだと思います。
その二人が知略の限りを尽くして頭脳による外交戦を展開しますが、
書き手が自らスパイ活動経験を持つモームですので、丁々発止のやり
取りが一層迫力を増します。瞬間瞬間の判断が、即死に繋がっていく
という緊張感でしょうか。
(2)チェーザレ・ボルジアを小説で読むのは、塩野七生さんの
「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)」以来です。
マキアヴェリについては、昨年3月の私のこのブログで、 鹿子生浩輝
さんの「マキァヴェッリ 『君主論』をよむ」の中で、『君主論』は
就職活動論文というタイトルで、取り上げています。
マキァヴェッリ 『君主論』をよむ(読書感想文もどき) 『君主論』は就職活動論文 - 中高年michiのサバイバル日記
(3)塩野七海さんの「マキァヴェッリ語録」から、私のお気に入り
引用を再掲載します。
「天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知すること
である。 手紙 P265」
2.本文から引用
マキアヴェリには確信があった。人間の性はいつの世も同じであり、
同じ情熱をもっているから、状況が同じならば、同じ原因は同じ結果
をみちびく。したがって、古代ローマ人がある状況に置かれて、どの
ように対処したかということを心に銘記するならば、後代の人間とて
も、少しは思慮分別をもって行動できるに違いない、とかたく信じて
いた。 P10
だが彼(マキアヴェリ)が何よりの強みとしていたのは、自分の女を
求める欲望の強さだった。これぞと狙いをつけると、彼はひたすらそ
の女を要求し、すべてのエネルギーを、金も暇も努力も、とにかく彼
女と同衾することに集中した。そしてこの強烈な欲望が女の心を刺激
して、彼の望みを受けいれることにつながった。 P87
(ボルジアが部下を処刑し公衆にさらしたときマキアヴェリのせりふ)
侯爵はあれで、満足なんだろう。閣下は部下の資質に応じて、好きな
ように権力を与えたり、それを奪ったりできるんだ。ミレーロはもう
用済みなんだろう。それでロマーニャ領民の前に投げ出してやって、
彼らの利益を重んじて、正義と公平が第一、であることを示してやっ
たのさ。侯爵はそういうパフォーマンスが好きなんだな。
チェーザレ:あなたほどの聡明な男が生涯、下級官吏に甘んじて生
きるとは、・・・・
マキアヴェリ:過大にもよらず、過少にもよらず、何事も中庸である
ことが叡智の核心である、とアリストテレスに教えて
られております。 P268
(次の掛け合いも面白い)
マキアヴェリ:閣下、ご安心ください。わたくしの後任者は、清廉潔
白、非の打ちどころのない人物です。
チェーザレ:なるほど、するとわたしは、死ぬほど退屈させられると
いうことか。 P271
マキアヴェリは怖れと驚きで息を呑んだ。この男は全キリスト教世界
に挑戦状を叩きつけて、恐怖と巻き起こすようなことをやろうとして
いる。それをなんの驕りも気負いもなく、物静かに語っている。P281
神による人類の創造は、悲劇的な失敗であるばかりか、醜悪で不幸な
出来事であったのではあるまいか。この生き物の創造と存在を正当化
するような理由が、いったい全体、この世界のどこにあるか?あると
したら、それは芸術だけではあるまいか? P337
自由なくして、なんで芸術だ。自由を失くしたら、すべてがなくなる
んだ。 P343
3.改めてタイトルに思う
「今も昔も」・・・・・・・・サマセットモームが、タイトルにどう
意味を込めたていか、その後の研究者たちがどういう解釈をしている
かは、存じません。
私が勝手に思うことは「昔も今も人間は変わらない。」ということ。
とはいえ、人間の機微を見せてくれる場面は、それぞれ違います。
今回は「チェーザレ・ボルジアとニッコロ・マキアヴェリ」ですが、
それが「項羽と劉邦」であろうが「西郷と大久保」であろうが「プ
ラトンとアリストテレス」であろうが、「役者がそろった対立軸」
は、読んでいて、面白いモノです。
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