中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

リスクセロの世界が、現実にあるのかな? 私見はリスクをとって結果には「諦観」対応

1.リスクは必ず存在する

(1)リスクを考えるのが仕事の一つ

何事をやるにしてもリスク低減を考えることは必須で、それぞれの専

門分野においては、リスク許容度の詳細な指標があることでしょう。

(何も具体的な事例を示すのではなく、想像ですが・・)

もうすこし考える経営、政治ほか、最多数の人が行う「通常業務」

(業務に優劣を付ける話ではなく、私が経営や政治事例しか思いつか

ないからこの表現)にしても、判断を行うに際してリスクゼロは、現

実的ではないでしょう。

 (2)リスク制御

昔、証券会社で新規顧客を獲得する営業をしていた頃「株はコワイ」

とさんざん「潜在顧客」から聞きましたし、おそらくいまでもそのシ

ーンは多いでしょう。

自分の知らないことが怖いのは当たり前であって、そうでないと、

その恐怖感覚がないと、そもそも今日まで生物として地球上に存在し

ているはずがない、と思います。

そのうえで、どうやって制御(コントロール)する、極小化すること

を考えるのでしょう。

そうやって、みな過去に考えてきたし、今後もそうでしょう。

どの判断もトレード・オフ的なところがあって「あちらを立てると、

ちらが立たず」「忠ならんと欲すれば孝ならず」・・・・

あるリスクを極限までゼロにしようとすると、反動や非常に高いコス

ト、周りへの波及効果等が大きそうです。

 昔読んだバーンスタイン著の「リスク」を思い出しました。

古今東西どの判断も「リスク・コントロール」の歴史と言えます。。 

 

 

 2.リスクから連想で人の死

(1)マスメディアに一言

相手の関心を引くため、恐怖心を煽る手法を優先することは、

マスメディアも、食べていくための「仕事」ですから、ある程度、

情報を受けるほうが「許容」することもありですが、やはり程度問題

でしょう。

芸能人のプライバシー関連をネタに、その手のことに関心ある方の

注意を引いて儲けようとするのは、多数のヒトには「人畜無害」な

ところがあって、まあ良しとしましょう。

ですが、昨今の新型コロナ騒動みたいに、多くの健康問題や「人の

死」に関係することを、軽々に(数値や論理を開示せずに)、一方向

からだけマスメディアが報道するのは、いかがなものか、常々思います。

(2)私の知る著名人の死亡から

私が思い出すのは日本ラグビーの平井誠二、ジョナ・ロムー(ニュー

ジーランド・オールブラックスの人です。)、柔道の古賀稔彦です。

いずれも、若くして病気で亡くなっています。

スポーツで特定の世界の第一線にいた人ですから、「人なみ」より

体力もあり節制もしていたでしょうし・・それでも病魔は襲います。

「病気には勝てない」とは、歴史上の人物にも、多々あります。

それにより「歴史が動いた」事例は、よくあります。

(ふと、イタリア中世末のチェーザレ・ボルジアが浮かびました。

 もう一つ我慢を重ねて待ち毛沢東の死を持ち動き出した鄧小平

 を思い出しました。)

話戻して、上記3人のスポーツ選手に対し、無論私に個人情報がある

でなし、病気の正確な情報はじめ推測するつもりもありません。

今回も思ったのは、

なににおいてもリスクはあり、それは消滅させる(リスクゼロにす

る)ことは、できないものだ、ということ。 

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「諦観」イラストがあったので、これを使います。

3.いつも思うこと

私が考えていることは、いつも同じです。

確り勉強し、情報を集め、精査吟味し、心身ともに身構えてリスクを

取ることが、何においても必須であり、リスクを制御しつつ生きてい

くしか、方法がないこと。

行動を起こして失敗は付きものというか、必然と言えましょう。

その失敗をその後リカバリーできるかも、解りません。(少なくと

も本人には、人生の最後は見えません。)

つまり、リスクをとって邁進する人の心の最後の寄りどころは「諦

観」、「仕方がない」、との諦めでしょうか。

いいところ見せずに、終わる仕事も多い しかし、めげずに「準備」が必要

1.「目立つ」のは少数派

(1)少数派

長年しっかり準備したことが、上手く成果につながり、「仕事をして

いる」と周りからちやほや称賛されるケースもあります。

確かに、政治や経営の一翼を担って、マスメディアに登場する人は

います。

それはそれで、本人にとっては、嬉しいことかもしれませんが現実

には「有難き」ことが、多いようです。 

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「バズーカ砲実践」の軍人イラスト

(2)成果を見せる「きっかけ」がなかった

①ここで書いているのは、飲食サービス業のように、仕事の対価が

すぐわかりやすいモノも多々あります。

例えば、食事やアルコールの提供もそうだし、理髪、エステ、マッサ

ージ等「施術」に関する部門もそうです。

一方、事務的作業はなかなか直接的に「結果」が見えにくいモノで

「他人の評価」は、激しく揺れるでしょう。

なかでも典型なのは、「前線で戦う軍人」と思われます。

戦いに勝つ・敵を潰すことが、彼(彼女)の仕事であり、その「実

践」時間は相対的に短く、長い長い時間をかけて、反復しつつ、机上

および実践現場での、厳しい訓練が続きます

②確か「坂の上の雲」の一節だったかと思いますが、長い間の訓練が

わずか15分程度の戦闘に集約される。この日のために、延々と訓練

してきた、といった記述がありました。

 実際、戦闘が出来て、幸せだったか否かはココでは触れません。

 「実践に出くわす機会」といえば、現在の自衛隊もそうでしょうか。

正確には人事制度を知らなくて恐縮ですが、例えば22歳で自衛官

となり50歳で予備役に編入とします。

私の知るレベルでは、第二次世界大戦後、「戦闘」で死亡した人は

極めて少ないようで、その点では「仕事の成果」を体現できた人は

もっと少ないでしょう。

 マクロで見れば、アメリカ軍は、しょっちゅう戦争をしているようで

すが個々人レベルで見ると、実際に戦闘に従事という割合は少数派。

③私が言いたいのは、

諸般の事情で「成果」を示せなかった「仕事人」は極めて多く、逆

に、コト軍事に関すると、ちゃんと結果を示せた(そして本人が

生き残った)方が少数派でしょう。

  ④評価自体も変

卑近な事例でスポーツ選手の成果のお金換算で、野球の投手で1球い

くら、野手でホームランl本いくらとか、テニスの一ゲームにつき

一つにサーブがいくらとか、書き物もあります。

それは「ヒノキ舞台の結果」の部分だけを取り出し、割り算で算出し

たものでピークの時期を維持するまでの、本人の苦労や努力、費やし

た時間は、反映されていません。

 

2.準備していないと

言葉遊びをするつもりはありませんが、

(1)どんな仕事であっても、確りした準備をしておかないとちゃん

とした「成果」は出せない。

一方、確りした準備をしていたところで「成果を残せること」「他の

方にその成果が分かること」の方が少数派であろう。

(2)なんだムダが多い、虚しい、と思うのは正しいでしょうが

それは仕方ないとして、やらないことには進まない。

つまり「めげない」で、確り準備しておかないと相応の機会の遭遇

しても「成果」が残せないのだから、やっておくべき。

そこで、認識すべきは一生かかって準備しても一生報われない」場合

の方が多くて、それはそれで「仕方ない」と諦めること。

「天が味方しなかった」と大げさに構えることはありませんが、

「前向きに充分にがんばったけれどうまくいかなかった」場合にのみ

「たまたま」で逃げてもいいと思います。

 

「前向き」に構えるとでしょう。

読書感想文もどきに至らなかった「敗戦記その20」 今回は、アイン・ランド中心

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敗戦記「その20」も同じイラスト

昨年1月10日から 「読書感想文もどき」に至らなかった「敗戦記」

というのをアップしていますが、今回20回目です。

私の現在形として、本を読める環境というのは、変わっていません。

ありがたいことです。

イラストもあえて、同じものを使用、趣旨も同じで、硬軟とり交ぜ、 

読者への何らかの参考となればと・・・

  

1. 利休の死

戦国時代小説集

  井上靖/著  

出版者    中央公論新社 2021.1

天正10年(1582)、武田が滅び、信長は本能寺で倒れ、それに代わっ

た光秀が討たれ、天下は秀吉の手中へと動き出す。

桶狭間の戦いから天目山の戦い、利休の死まで、戦国乱世の30年を

11篇の短篇で描いた小説集です。

内容タイトル      

桶狭間  篝火   平蜘蛛の釜  信康自刃 天正十年元旦

天目山の雲  信松尼記  森蘭丸  幽鬼  佐治与九郎覚書

利休の死

 引用を一つ。

利休は「死」という一語だけを、冷たい響きで、はっきりと聞い

たのであった。何十年の長い間、秀吉と利休との間に置かれ続けた

緊張は、この時、張り切った糸がいつかは当然切れねばならぬよう

に、ぷつんと切れたのである。

いつか戸外にには風が出ているのか、縁先の竹の葉ずれの

音が、利休に心には、しみ入るように寧ろある爽やかさで

聞こえていた。 P283

michiコメント:

日本人である私には、死を命ぜられて、紆余曲折は経ても「爽やか」

という感情にたどり着くことが解りますが、アイヴァン・モリスの

「高貴なる敗北」にあるように、育った精神文化が違うと、相当理解

に苦しむと思われます。

 

2.肩をすくめるアトラス

原タイトル:Atlas shrugged

アイン・ランド/著  

脇坂あゆみ/訳

出版者    ビジネス社 2004.10

自由と規範という現代世界が抱える先鋭的ジレンマに熱い斧を打

ち込み、アメリカ人に多大な影響を与えた小説です。

リバタリアニズムの古典として、紹介されて手にとって見ました。

とにかく分厚い。

資本主義経済が社会主義政策の導入によって衰退していく様子を、

全産業に関わる鉄道を中心に据えて具体的に描いています。

 1088 からの60ページにわたるジョン・ゴールの演説です。

正直、読破に骨が折れます。

長い演説で思い浮かぶのは、タキトゥス「戦史」のペリクレス

シェイクスピアジュリアス・シーザー」のアント二ウス、ドスト

エフスキー「カラマーゾフンの「カラマーゾフの兄弟」のイワン。 

どれも内容は定かではありませんが、影響力に圧倒されたことを、

覚えています。

  翻訳者の脇坂あゆみさんの、コメントを紹介します。 

筆者もアイン・ランドの『肩をすくめるアトラス』を

読むまでは、登場人物の一人エディー・ウィラーズの

ように、なにか高尚なすごいものが日常の生活や労

働とは別にあると漠然とおもっていた。

だが切ない結末を迎えてはじめて彼が悟るように、

1200ページを読み終えるころには、「仕事をして暮

らしていくこと」の中にこそ、人間の中で最上のもの、

守るべきものがあると気づかされた。

第3部から、一部引用します。

 

 今裁かれているのは人間ではなく、責められるべきは人間の本性

ではない。いま終焉をむかえたのは諸君の道徳律だ。  P1090

 

人間である諸君にとって、『生きるべきか死ぬべきか』という問

いは、『考えるべきか考えざるべきか』という問いと同義なのだ。

 P1091

 

己の人生とその愛によってーー私は誓う――私は決して他人のため

に生きることはなく、他人に私のために生きることを求めない。

P1153

  (私が読んでいるのは古い版で、楽天では3巻分冊の紹介です。)

  

 3.水源

原タイトル:The fountainhead

アイン・ランド/著  

藤森かよこ/訳  

出版者    ビジネス社 2004.7

一般的な書評は、以下の通り

建築家のサクセス・ストーリーでもあり恋人達の物語でもあり、

ホモソーシャルな男同士の絆と愛憎を描く一種のゲイ・ストーリ

ーでもある。

帝国ホテルも手掛けたフランク・ロイド・ライトがモデルだそう

です。しかし何よりもこの小説は政治思想小説である。

上記の肩をすくめるアトラス同様、米国の大ロングセラー小説です。

 

自我とは、悪の同義語であると、人々は教えられてきました。

無私こそ、自分がないことこそ、これこそが美徳の理想だと教え

られてきました。しかし、創造者は絶対的な意味において、自己

中心主義者です。無私の人間、自分がない人間というのは、自ら

考えず、感じず、行動しない人間です。考え、感じ、行動する事

こそが、自分、自己の機能なのですから。 P1011

 

人間は自己犠牲を選ぶか、支配を選ぶか、どちらかだ、という

ものではないのです。人間は、自立を選ぶか、依存を選ぶか、

なのです。

つまり、創造者の規則を選ぶか、セコハン人間の規則を選ぶか、

の問題なのです。これが、基本的問題です。  P1012

 

 (なお、「水源」が楽天に出てこなかったので割愛します)

 

4.トランプの最後通牒 墓穴を掘った習近平

藤井厳喜/著  坂東忠信/著  

出版者    ワック 2020.9

「超限戦」を仕掛ける習近平中国を警戒せよ!

藤井厳喜坂東忠信武漢ウイルスや、中共の超限戦の乗り越え

方、ポストコロナ時代の日本、中国を本気で潰しにかかるアメリ

について語り合います。

 

この手の本は、解り易いのが一番です。

藤井厳喜さんは、youtubeでよく見ますが、立場が明確であり話も

わかりやすい。2020年9月の出版ですが、当時トランプが、民主党

のバイデンに負けるとは、まさか思っていなかったでしょう。

いや、不正選挙であり、現在でも負けていないとの見解でしょう。

 

本文から

(新型コロナについて、武漢市は)

統計上、無症状なら感染していても、確定感染例に入れないように

しているという。P113

無症状でも、日本流のPCR基準で陽性性と出たら、すべて「感

染者」とカウントし、メディアが報道する日本、これでは国際比

はできませんね。    

 

 

 


 

 

桜を見ました 一人です 靖国から九段まで 人はいっぱいでした

1.ただ桜を見た話

3月26日金曜午後の関東は快晴とは言いませんが、そこそこの天

気で、雨でも強風でもありませんでした。

割と時間が自由な私は、ふと思いついて、一人で桜を見に行きまし

た。私が「桜の名所」に詳しいわけではありませんが、結局長い間首

都圏が生活(仕事、遊び)の場ですので、どこそこ行ったたことがあ

ります。

というか、私の意識の問題で、結構至る所に、桜の木があるものなの

んですね。

この靖国千鳥ヶ淵コースも定番に近いでしょう。

今回、電車での移動です。有楽町線の市谷駅で降りて、靖国神社の桜

を見物、その後、千鳥ヶ淵の桜を見て九段下まで、歩きました。

私の意識の無さでしたが、よく見ると東京都内も、いたるところに

サクラの樹木があるのですね。

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靖国神社の境内です。

私は、この自分のブログで、新型コロナについて、いろいろ書いてい

ますが、他の方に自分の考えを強要するつもりはなく、変な感情もありません。

人がいるところでは、マスクをちゃんと着用していますよ。

実際一人ですからしゃべることもなく、周りの方に迷惑はなかったか

と思います。

 

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これは千鳥ヶ淵です。

桜の名所は、死と関係のある場所が多い、との話もあります。

靖国神社は、千鳥ヶ淵戦没者と深い関係あり、と言ってしまえば

その通りですが、今日はこの話は詰めません。

冒頭 タイトルに、「人はいっぱい」と書きましたが、靖国神社より、

千鳥が淵沿いに、九段下の駅まで、歩くところの方が、混雑していま

した。

日本武道館は、ちょうど卒業式シーズなのでしょう。

確か5年くらい前の同時期に同じコースを歩きました。

その際も短期は、晴れであり、日曜であったこと、新型コロナ騒動も

なかったことから、少し混んでいたようでした。

 

2.蛇足の昔話

(1)子供のころは「家族でお出かけ」がない環境だったので、サク

ラ見物の記憶はないのですが、学生のころは、勝手気ままに、「酒の

つまみ」としてのサクラ見物をしていたようです。

まさに「つまみのサクラ」でありメインは酔うことだったと思いま

す。

(2)社会人になったばかりの若い頃は、「業務としてのサクラ見

物」もよくやりました。共通して思い出すのは、「夜になると、どこ

も外は冷える」と言った当たり前のことだけ。

(3)花見の「時間限定情報」は、日本人に受けそうです。

四季の季節の移ろいがある幸せな環境に、我々がいるせいかもしれ

ませんが「サクラ見物」はまさに限定情報の典型。

それゆえ惹かれるのでしょう。とはいえ1年末とまたやってくるわけ

ですから・・・・

最後に、最近よく使う言葉を一つ。

「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」

自分の方は、毎年歳を取り変わってきているのでしょうね。

今年学びたいこと 料理(先生は妻)、英語・数字は独学 ある意味格好の暇つぶし

お題をアレンジしてみました。

「今年学びたいこと」を書くのですが 大そうなことは考えていませ

ん。お金を払って、どこかに行って、何人かと共同で、といった昔の

「習い事」の話でありません。

話は「料理」、「外国語」、「数字」なのですが、どれも新規では

なく、一層頑張る、という傾向でしょうか。

 1.料理のこと

アタリマエですが、安全な環境で、安心して、おなか一杯食べられる

ことは幸せの第一条件。

歴史と地理を追っていくと、現在の日本で、安全・安心な稀な環境に

いることにまず、感謝です。

さて、これを踏まえ、よりよく生きるために、食の充実でしょうか。

仕事やお金のこと、食事についてのメンタルな面等は今日は置いとい

て、実際問題として、「料理をちゃんとやること」を学びたいと思っ

ています。

師匠は、継続して妻です。厳しい師匠であるのは仕方ありません。

長年?の経験で、最低限のことは、できるようになったと自負して

いますが、「創造性」は今だし、です。

まずは、徹底して真似ること。言われた通りに、レシピ通りにちゃん

とやること。知識の蓄積は必須であるとは、どの世界も同じに、思え

ます。

妻の言う「おいしそうに盛り付ける」は、高難易度であり、時間が

かかるでしょうが、「意識改革」も必要でしょうか。

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料理をする男性のイメージ

2.外国語について

(1)具体的には、英語です。

若い頃からずーとですが、言葉の学習はニガテ、言語学周辺には、

とんと関心が湧きませんし、現在でもそうです。

外国語は、まさに道具であれば、いいのですが、複数は無理で

まず英語でしょう。(おそらく、英語だけ一生終わると思います)

これも徹底して、真似ることから始ます。

こちらは上記の料理と違い、目標値が解りやすい点です。

道具として使えると、それでいいわけで、具体的にはFOXとか

NTDとかの時事ニュースが解ることです。

哲学や思想の書籍が読める程度までは、求めません。

おそらくそれは、無理でしょう。

 (2)今日、ドンドン接する情報量が日々増えて、ある意味安価に

なっています。

情報の「玉石混交」は、ある意味いつの時代もあると思っています。

仕方ありません。

学習法ですが著名人でいうと、野口悠紀雄氏の受け売りの面が

ありますが、やはり独学が必須と思います。

彼に言われるまでもなく「ビジネス英語」は、そのビジネスを知っ

ていないと無理で、つまり「講座」で学ぶことは不可能でしょう。

技術革新はすばらいいもので、今日スマーフォン一つで、いろんな時事

ニュースが、入ってきます。

 

  3.数字感覚

(1)数字は、まさに日々の情報収集から。数字の感覚を養うことは、物事を考えるうえで、それが経営でも、政治でも、誰しも持つ業

務でも必須だと、思います。

これを継続して磨いていくことが、「学びたい」ことの3つ目です。

例えば、何かとお騒がせの新型コロナ数字を考えてみましょうか。

 (2)2021年3月23日で、東京都の「感染者」は11万8041人との

こと。(ちなみに死亡者が1661人)

東京都の人口を1300万人として、1年間かけて、累計の感染者が

1%に満たないことなります。

相対的に小さな感染症です。 

「まん延」している東京都ですら、人口の1%だから他の地域は1%

未満では?

 この現状で、医療関係者と65歳以上の高齢者全員目指して、ワク

チン接種は、日本ではほんとうに正しいのだろか、と考えます。

65歳以上の高齢者というのは、人口の25%以上いるはず。

 インフルエンザとか、「感染者が」年間で1,000万人から、3,000

との対応の差異は?1%「感染」の中で、実証がまだだまだのワク

チンを打つのは、いかがなものか。数年諸外国の事例を見てみたい

ところ、です。

 

 4.最後に一般論

 (1)まず、テレワーク等でじゃ特に、ネット―ワークやPC周り

の基礎知識は必須でしょうが、これは「必要に迫られて」ということ

で、自主的な「学びたい」とは違うので、省きます。

からは省きます。 

(2)以前「仕事は死ぬまでの暇つぶし」と、どこかで見ました。

学んだことを、高い蓋然性でキャッシュに結びつけることは、

私の現状では「仕事」と違い、現実的に難しい、と思われます。

それゆえ「学ぶ」ことも、死ぬまでの格好の暇つぶし、である

気がします。

小人閑居にして不善をなす、のは当たっていると思います。

Co2を化学品の原料などに変換する新しい装置が開発されたそうで、それ自体素晴らしい。

 1.発明・発見の成果が、当初目的とずれることは多々

(1)何も特別な話をするつもりはありません。

錬金術師」というといかにもうさんくさそうだし、そもそも目的は

化学反応から「金(きん)」を作りだし、ひと儲けしようとしたので

しょうが、結果として化学の進歩に多大な貢献をしたと、思います。

また、一昔前のベータかVHSかのビデオデッキの競争・発達には

より手軽に安価にポルノフィルムを見たいとの人間(多くは男性?)

の欲望によるものだったでしょう。

門外漢の類推ですが、化粧品の開発・発展は、「若くありたい、美し

くありたい」との普遍的な女性の願望の、産物でしょう。

言いたいのは、

後から振り返って、技術の発展・背後に、当初目的とずれたり、目的

覆い隠したりしたものが多かったような気がします

(2)今回ある新聞記事を見て思ったのは、

新装置の開発は、たとえ当初の目的成就からずれてしまっても、発

明・発見の成果を素直に評価する心の余裕や経済的余裕が欲しい

ということ 。

 も少し砕いて書くと

二酸化炭素を回収・変換し利用する技術で、日本メーカーが新技術

を開発した。

地球温暖化やCo2削減といった「当初の目的」があった。

③結果として、当初の目的成就ずれてしまっても、いつ何時、当該

技術が役立つやしれない

④今回の発明・発見の成果を素直に評価する心の余裕や経済的余裕が

欲しいものということ。

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新技術開発も、まず着想から

 2.私に「環境問題」が解らない

(1)オマエの勉強不足だろうと言われるとそれまでですが、私には

「環境問題」とか「地球温暖化」とか「CO2削減目標」とかの言葉が

論理的にうまく、繋がりません。

・地球がほんとに温暖化しているのか、データから良く解りません。

 どれくらいの時間スパンで「温暖化」を言うのでしょうか。

 過去同様の「間氷期」かとも思えます。

・温暖化しているとしてCO2の排出量増加との因果関係が少なくと

 も私には解りません。

 どれくらい「人工要素」、つまり人間の原因なのか、立証できるの

 でしょうか。

・環境対策として、Co2削減対策なら、日本や発展途上国より、

 米国と中国が排出量が多いから、それをどうするかが一番問題。

(2)大問題であればあるほど、所与条件で、議論を尽くすべき。

 自分と違う意見も尊重する謙虚さは必須、というのが、大人の世界

のはずと、思います。

ところが、その前提条件を無視して、一方的に勝手な意見を主張する見解も、よくあります。

例えば、環境問題至上主義的発言は怖い。 何をおいても、すべてを無

視しても環境保護が第一という過激さ。

同じ理屈 に立つと、人間の存在自体が「地球環境」に悪いのだから、

人間を減らす方法が一番ということ?と混ぜ返したくなる、ことも

あります。

 

3.上記の発明の具体的記事から

(1) 二酸化炭素を高速処理する装置 東芝が開発 年間1トン

変換可能  2021年3月22日 4時25分  というもの

二酸化炭素を高速処理する装置 東芝が開発 年間1トン変換可能 | 環境 | NHKニュース

話の趣旨は

二酸化炭素を化学品の原料などに変換する新しい装置を開発

・これまでより処理速度が大幅に向上したのが特徴

・今後、装置を大型化すれば工場などでの排出削減に活用できると

 期待されている。

 私が言いたいのは、地球温暖化とCo2の関係が不明であっても、

Co2を変換することで、直接減らす方法というのは、研究を継続すべ

かと思います。 

 (2)記事の詳細を書くと

・新たに開発した装置は、二酸化炭素を電気を使って一酸化炭素など

 に変換。

・セルと呼ばれる部分を何層にも重ねて二酸化炭素を化学反応させる

 面積 を大幅に増やすことなどによって、従来のものと比べ処理速

度が60倍に向上

東芝では処理速度は世界で最も速いとしていて、開発した装置で年

間1トンの二酸化炭素を処理できる

 ・変換された一酸化炭素は航空機の燃料や化学品の原料として利用す

る ことができ、今後、装置の大型化を進めれば工場などでの排出削

減に つながる

 

席研究員の発言として

カーボンニュートラルの実現へ今後、欠かせない技術だ。再生可能

エネルギーによる電気も組み合わせて使えば、二酸化炭素の削減効果

も大幅に上がる」とあります。

 

4.最後に

記事の続きで

「世界各国が脱炭素の目標を相次いで掲げる中、二酸化炭素を回収・

変換し利用する技術は、アメリカやドイツのメーカーなども力を入れ

ていて、国際的な開発競争が激しくなっている」とのことです。

私に奈々らの専門知識も、財力もありませんが、冒頭書いたのを再

記載します。

新装置の開発は、たとえ当初の目的成就からずれてしまっても、発

明・発見の成果を素直に評価する心の余裕や経済的余裕が欲しい、と

いうこと。

高貴なる敗北(読書感想文もどき)日本人の死に対する価値観の整理でしょうか

高貴なる敗北

日本史の悲劇の英雄たち

アイヴァン・モリス/〔著〕  

斎藤和明/訳

出版者    中央公論社 1981.10

1.概要

(1)一般的書評

 日本文化に造詣の深いアメリカ人(三島由紀夫とも昵懇)による、

(日本史での「滅びの美学」を体現する人々から日本人が「何故

敗者を愛するのか」と考察した本です。

上記のように、 出版が「中央公論社 1981.10」と、もう40年も前

です。

日本武尊源義経楠木正成天草四郎大塩平八郎西郷隆盛

など、「日本史悲劇のヒーロー大集合」の感がありますが、共通

するのは利害関係を超えた、崇高なものへ殉ずる姿勢でしょう。

「負けるとわかっていても、あえて戦う」という正に日本人好みの

生き様が、「成功という俗を超えた価値観」だと言えます。

換言すると、日本史と日本人の底流にある、勇敢な気性と繊細優美

な感受性などを畫いている、と言えます。

(2)選択の契機

現代日本人が変わってきたとして

「朽ちた英雄、つまり”高貴なる敗北”に敬意を払ってきた昔の日本

とは、奇妙なくらい対照的だ。」

とコメントしています。

(反脆弱性 上巻 P283 ナシーム・ニコラス・タレブ著)

多読家のタレブ氏から、いろんな書籍の引用がありますが、

上記コメントのベースとなったのが、この「高貴なる敗北」です。

さて、実際手に取ってみて、いきなり「日本武尊」のところで、古事

記、日本書紀のナマが出てきて閉口。「歌」の部分は、英語の方がよ

り分かりやすい次第です。

時代がくだって少し読みやすくなりますが、平家物語太平記も同様

です。

古文を習ったのですが、どうも、私の日本語が貧弱です。  

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「敗北」のイメージです。

 2.本文から

 (日本では)挫折した英雄にとって、自殺が名誉ある死になること

が当然と言える。そこが西洋とは違う点なのである。

西洋社会では(いやもっと広くとって日本以外のどの社会にあっても)
自らの意志で生命を絶つという死に方をした英雄はほとんどいない
自殺という方法によって死んだ場合、英雄が英雄にならないのであ
る。(中略)
日本ではむしろ、武士の自殺は恥からの解放を意味するものと解釈
され受容されていた。それは名誉と勇気のある行為であった。
また、自らの主義を守り抜く誠心の極致を示す行為となっていた。  P30
 
日本人の心の底流になっている諦観は、仏教の教義と、人がつねに
さらされて生きている自然の災害との二つが結びついて生まれたものであるが、人生においての最もはげしい瞬間、極限状態に対して心を
奪われるという日本人の心情に接するとき、その底流が明瞭に見えて
くる。  P59

 

この書物(太平記)の著者たちは後醍醐天皇とその臣下たちの側に立

っている。天皇の倒幕の大義は空しいこと、正成の奮闘は敗北の途を

たどるものであることを理解した上で書いている。  P144

  

これら特攻隊員にとって、死は事の成り行きとか不運などによっ

て外部からもたらされるものではなかった。死は自分自身の内部

から、自分自身の意欲から生み出される一つの決意であった。

(中略)

自殺とは、実際「臆病者の逃げ道」とは遥かにかけ離れていて、英雄

が極限状態に置かれた際にとりうる唯一の名誉ある行動だったのであ

る。

それは絶望からの発作的な挙動ではなく、十分慎重な考察、準備をな

したうえでの誇り高き行為であった。  P275

 

(全体引用というより 、日本人の死に対する価値観が古代から連綿と

継承されていて、それは日本人独特なのだと言う事、を中心の引用

としました。) 

 

3.最後に

(1)何度が中断したのですが、最後の神風特攻隊のところは涙なく

しては読めないほどでした。

著者は、敗北するように運命付けられていることを自分で意識した

パーソナリティと、そのパーソナリティの第二次世界大戦での敗北後

の日本の社会での受容(記憶と追憶)に、日本史を貫くものを発見し

ます。

要は「日本人は変わっていないんだ」ということ。

なお、西欧でもこの判官びいきは存在するのですが、彼は日本での

その特殊性を西欧の古典との比較で強調しています。

つまり、欧米人は勝利者を高らかに語っても、敗者の悲劇はあまり

感動を呼び起こさないでしょう。せいぜいシェークスピアの悲劇

(創作物)でしかないという程度でしょうか。

 

改めて、筆者も外国人(アイヴァン・モリス)、読書の契機も外国人

(ニコラス・タレブ)でしたが、良い考え方の整理となりました。

 

「高貴なる敗北」が楽天で見つからず、著者アイヴァン・モリスの、

日本短編集の紹介としました。