1.現代人の仕事は、ほんとに忙しいか?
まずは何らかの仕事をして生活費を稼ぐため「忙しい」となります。
つまり、現代人に多くは、何らかの仕事をして報酬を得て生活を維持して
いかねばなりません。
幼児から学生までの延々と続く勉強も、将来お金を稼ぐための準備の側面
は否定できません。
生まれてから15歳から25歳くらいまでは、たいてい誰かの保護のもとに
あり、その後自立して、生活していくことになります。
一部に異論はありましょうが、有史以来、暴力は減り、安全になり、平均
寿命は延び、健康になり、技術の発達で生活は便利になっています。
「戦争の世紀」と言われた20世紀より、19世紀の方が、そして時代を遡る
ほど暴力の存在は、大きい。
感情論でなく、データは語っています。
21世紀ももう20年を過ぎることになりますが、肉体的・精神的余裕が増え
てきて、本来は忙しさから解放されるようになってもよさそうですが、
現実は?
グッと時代の視点を現代に絞り、日本において、この20~50年くらいの
スパンで事例を考えます。
結論めきますが、技術発展が、(客観的に見て)より忙しさを生み出して
いるのではないでしょうか?
〇法律上は平日勤務の8時間労働のサラリーマンなのでしょうが、土日も
時間不定期にメールチェック、それは仕事?
〇50年まえ、北海道や九州からの東京出張は汽車で半日がかり、のんび
りですね。
大変な移動なのでしょうがある意味時間の贅沢、旅愁を誘う、と思えます。
こう書くと当時のビジネスマンに怒られるかな?
〇「なぜ」の理由説明は長い長い論文になるでしょうが、事実関係から
すると技術革新が、労働者に時間の余裕をもたらすというより、かえって
忙しさを醸し出している気がします。
(ここでは業務効率の話はしません。)
2.忙しいと安心、また忙しさを自慢できる
➀忙しいことと、安心とは、本来別問題で、自己認識の問題でしょう
忙しい、ということは自分に求められる仕事があることを示していて、
自分は有用な人間である、生活維持の報酬もしばらく継続してもらえる、
という安心感を本人が感じることを指します。
②逆に忙しくなく、自分が無価値な人間、周りに相手にされていない
ようでかえって不安、忙しいということは、自分の有益さの証明として、
自慢したくなるのも、自然な感情かも知れません。
昔、バブルの頃、「忙しい忙しい」を連発する上席に、同様の感情を抱い
たことを、思い出しました。
③ 先般、「暇と退屈の倫理学」を読みました。
「なぜ暇は搾取されるのか?それは人が退屈するのを嫌うからである。
人は暇を得たが、暇を何に使えばよいのか分からない。 (P24)」
という、文言がありました。
人間にとって、退屈が最大の苦痛であり、「気晴らし=忙しさ」を求める、
という面もあるのかもしれません。
暇と退屈の倫理学(読書感想文もどき) - 中高年michiのサバイバル日記
別の解説ですが、「忙しい方が幸せと感じる心理学の実験結果」もある
とのことです。
確かに、自分で作りだした「自分の好みをやって忙しいのは苦痛でなく
充実感あり、なのでしょう。
3.忙しいと、こころを滅ぼすからダメ
➀忙しすぎるということは、本来やるべきことが出来ず、まわりまで
不幸にするので、だめ。
忙しいすぎるとは悪である、の論調も確かに多いですね。
業務の内容と報酬の関係が低い、不釣り合いだとか、不満、評価され
ていない、等の議論は、ここではしません。
要は、ヒマなら選択肢が増えて、幸福感が増すのに、忙しさがそれを
妨げている、との論調です。
妻体調不良、病気でも、自らの判断で出社する会社員
有給休暇を取らない、サービス産業、付き合い残業という言葉
結婚式披露宴の席で、仕事の段取りを考えている、新婦の父親、
「忙しさ」の理由付けに事例はいろいろありますが、「本来やるべき
ことからの逃げではないの?」との批判が当たっている面もあります。
単に効率が悪いだけで忙しい、ということもあります。
②少し前のサラリーマン川柳
「無駄省(はぶ)け、言ってた上司省かれる」とありました。
ブラックユーモア以上の出来で、笑えませんよね。
忙しい、ということは単に業務効率が悪かっただけだったり、
祖も祖む無駄な業務だった、ということもあり得ます。
ある組織が亡くなって、担当していた人がいなくなっても、当該組織
体としては少しも影響がなかった、ということはあります。
この章の結論は、「忙しさ」を隠れ蓑にするな、というところでしょうか。
4.最後に私見
今回も、話が尻切れドンボというか
そもそも、大きな問題に対し、私の能力と(自分で決めた)1回の文字数
制限では、切れ味鋭い、結論は出せません。
ブログ全体の各所で私見を語っていく、ということになりそうです。
さて、上記の「暇と退屈の倫理学」」著者は、次なる課題として、
どうすれば皆が暇になれるか、皆に暇を許す社会が訪れるか?(P369)
を上げています。
歴史上、「暇と退屈」を持った人間の割合が増えてきたことは、私は、
喜ばしい、と思います。
私見としては、ホモデウスの受け売りみたいですが、「仕事をしたい
のに、やるべき仕事がなくて暇である」社会が、やってきそうな気がし
ています。
その際に、人間が絶望に打ちひしがれているのでなく、人間としての尊
厳を持ち、将来に希望が持てる社会であってほしいと思っています。