中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

戦争と読書(読書感想文もどき) ゲゲゲの鬼太郎話とは違います 若き日の「水木しげる」の苦悩

 

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乱読・多読の若き日の「水木しげる」イメージ

戦争と読書 

水木しげる出征前手記

著者       水木しげる  荒俣宏

出版者    KADOKAWA 2015.9

1.概要

ある書評は、

20歳の水木しげるが出征の直前まで考え続けた、死ぬ意

味、戦争の無意味…。

人生の一大事に臨んで綴った「覚悟の表明」たる手記を収

録し、荒俣宏が水木からのメッセージを読み解く。

水木が戦争当時に家族に送った書簡も紹介。

 私は、昔の漫画を少し知るくらいで、最近のものはさっぱりです。

また、ほとんど漫画家の人となりを知りません。

手塚治虫が、大変な読書家であると、聞いたことはありますが、

ほかの漫画家は、知りませんでした。

正直、「水木しげるといえばゲゲゲの鬼太郎」であり、ずっと

若いころより妖怪話に造詣が深い人との勝手イメージでした。

これは数年前に取って読んだ本です。

時は第二次世界大戦、ある庶民の出征前の考え続えたことのつづ

りです。

今回の新型コロナ騒動を「戦争」にたとえた海外の政治家が複数

いました。

確かに「戦闘継続の激戦地状態」の地域もあったでしょう、

いやまた継続かもしれません。

しかしながら新型コロナで大騒ぎの昨今の日本で、二十歳の若者

自分の死について、ここまで考えることは無いでしょう。

考え苦悩した先人を知ることは、意味ありと思います。

 2.「水木しげる出征前手記」から

画家だろうと哲学者だろうと文学者だろうと労働者だろうと、

土色一色にぬられて死場へ送られる時代だ。

人を一塊の土くれにする時代だ。

こんな所で自己にとどまるのは死よりもつらい。

だから、一切を捨てて時代になってしまふことだ。

暴力だ権力だ。そして死んでしまうことだ。

それが一番安心の出来る生き方だ。  (P22)

 

漱石書簡集を読む。

しかし漱石等とは時代が違うさ。  (P24)

 

仏教のような唯心論には反対だ。

人間は心と肉よりなる。元哲学と自然科学は同じもので

あった。

之は当を得ている。

真に哲学をやろうとすれば自然科学もやらねばならぬ。

(中略)

絵を書くためには哲学や自然科学をやらねばならぬ。

芸術は哲学(形而上学的な)を杖として進歩すると思う。

 (P27)

 

オレは画家になる。美を基礎づけるために哲学をする。

単に絵だけを書くのでは不安でたまらん。

オレは哲学者になる。だが画家だ。あくまでも画家だ。 

(P31)

3.「手記の背景」はてんこ盛り、少し抜粋

 (荒俣宏は書きます。)

私も読書を仕事にしていますが、ここまで名著や古典を

読み込んで、そこから生や死の真相を突き止めようとする

気魄はありません。

だいいち、数学所から「智恵子抄」までを同じ問題意識の

下で真剣に読むという気持ちを理解できないのです。(中略)

彼らみんなが信じられないくらい重厚な名作を読みこなし

ているのです。 (水木しげる出征前手記の背景  P109)

 

河合は本題の「読書の意義」を次のようにまとめるのです。

読書は自己教育であり、自己とは何でり、何であるべきか

の内容を与えるのが読書である。

ここに読書の第一の意義がある。

しかしこれだけでは、学問である。

次の問題は自己が「何をなすべきか」という総督と芸術

の段階に至る。

ここでその回答を与えるのが、科学と哲学の読書から培

われた教養である、と。   (同上  P121)

 

水木しげるの発言)

人にゲエテをどう読んだか、などと聞かれてドギマギする

ことがよくあるが、簡単に言えば父親がたよりなかったか

ら”代理の父親”みたいな気持ちで愛読したわけだが、もう一つ

は、僕はゲエテのような生活がしてみたかったのである。 

(P131)

 

(荒俣が接した)水木しげるのキーワード二つ

「幸福」と「なまけものになりなさい」

「最良の幸福」は、「なるべく安く買える幸福」

 水木の事例は「寝るっこと、空気が吸えること。」

(「妖怪」を話題にしたことはほとんど記憶にない、そうです。)

(P179からのmichi要約)

 

「なまけものになりなさい」は、

話が二転三転むずかしい

最終ページから抜粋、

戦後数十年を経て、水木しげるは戦時下での思索に一応の結論

をつけ

たようにみえます。

すなわち、「死ぬ覚悟」を得ようと得まいと、生きていると

いう事実の不思議さに気づきました。

人間は生きているのではなく、生かされているのである、と。

もしかしたら、「なまけもの」であることこそ、究極の「生か

されかた」であるのかもしれません。  (P186)

 4.最後に 

 誰しも、思い込み、偏見はあるもの、というか人の考えの中で

思い込みや偏見の方が大変も気がします。

再論ですが、私にとって「水木しげる」ニアリーイコール

ゲゲゲの鬼太郎」であり本書を手にするまで、若き日の彼は、

想像できませんでした。