アンダルシーア風土記
著者 永川玲二/著
出版者 岩波書店 1999.7
1.概要
著者によると「スペイン文化を見て回る日本人旅行者のために案内
記」の依頼を受けたことから始まったようですが、出来上がりは
ヨーロッパの最南端、スペインのアンダルシーアに視座を据えて、
現代の目で世界史の焦点のひとつを通史的に見直そうとしたエッ
セイです。
著者の深い知識と教養、考え方、スペイン定住の環境等が、重なって
漸く完成のエッセイですが、私には、「ある土地の歴史書」の感覚
です。
2.ピックアップ
アンダルシーアは不運にもその(ローマとカルタゴの)初幕から終幕
まで檜舞台として利用され、一進一退の戦況とともに両軍が何度も念
入りに町や村を踏みにじって行くという拷問を味わう羽目になった。
(P17)
長い目で見ると、成長期のイベリア文化史のなかで最も重要な、決定
的な時代はスキピオ以降の三百年だったと言えるだろう。 (P23)
シーザー32歳、初めてアンダルシーアに来る。
ヘラクレス神殿の中でアレクサンダー大王の彫像をつくづく眺めなが
ら、彼は憮然としてつぶやいた。
「ああ、この男はこの年頃には世界を征服していたのに、俺はまだ何
一つめざましいことをやっていない。」 (P30)
(セネカのこと)
その最後の一節に、「私としてはもう十分に長く生き、できることは
やったから別に心残りはない。今や死を待つのみ」とある。
かつて宰相だったころには、ストア哲学の信奉者として禁欲の倫理を
力説しながら金銭に汚い偽善者だと非難されていたけれども、死に臨
んでは少なくともストア派の美学を守りぬいたといえるだろう。
(P36)
こうして社会全体の危機と不安が深まるにつれて、人々はローマの軍
事力や体制より宗教を頼りにし始める。
とくに重税と不況とに苦しむ商人、職人、小農民や兵士、女性、奴隷
など下積みの庶民のあいだでは信仰のキリスト教が着々と地盤を広げ
つつあった。 (P43)
ゲルマン諸族が権力の座についてからも、ローマ帝国いらいの社会体
制は七世紀の終わりころまでほとんど無傷のまま残っていた。
ほんものの天災地変がおこるのは八世紀前後である。
イスラム教徒が地中海の制海権を握ったため、西欧圏では貿易、産
業、都市生活もラテン語文化も給食に衰え、地域ごとに閉ざされた
貧しい封建社会へと変貌せざるを得なくなった。 (P70)
少なくとも十六世紀の末ごろまで、ヨーロッパでは王族どうしの結婚
が国際情勢を左右するきわめて重要な事件だった。
それによって国と国とが合体したり分裂したり、大戦争が起こったり
する。 (P143)
どちらもアルフォンソの言語政策を見習って、公文書までラテン語で
なく日常の口語で書かせることに決めた。(中略)
庶民の英語をまるで理解しない貴族のほうが多かったのだから
、みんな英語にしろと言うのは思い切った大改革だ。
しかし、この時期(13世紀のこと)に敢えてそれをやったおかげで
英語は複雑な文語から単純明快な口語にまで何にでも使える語彙豊富
な柔軟な言葉になって行く。 (P182)
(ペストの猛威)
最初にペストにやられたのはイスラム勢のほうである。
そのせいで恐慌をきたした兵士たちは、敵方にちっとも患者が出ない
のはキリスト教のおかげだろうと思ったらしく、にわかに改宗しはじ
めた。
しかし間もなく再転向するケースが多くなったのは、カスティージャ
側にもペストが蔓延したからだ。 (P198)
彼女(イザベル)の際立った特徴
①公明正大、信賞必罰
②人を見る目がおそろしく的確だったこと
③民衆の心のなかで死後にまで残る根強い人気
ルネサンス末期の戦国乱世には史上に名高い女王や王がたくさん登場
したけれども、名声の根強さと広さにおいて彼女に匹敵しうるのは
イギリスのエリザベス1世だけではないだろうか。 (P228)
3.感想
下記の出口治明さん野本記載の紹介でした。
彼ほど、歴史のタテヨコが頭に入っている訳でないので、著者永川さ
んの深い素養に基づく「アンダルシーアからの定点観測」をどれくら
い理解したのか心元ないですが、「面白かった」と、出口さん張りの
感想を述べても、いいでしょう。
我々は、当然現在の視点から、「舞台」を見るわけですが、踊り手で
ある当事者は、みな問題解決のために必死。
歴史とは、その積み重ねなのでしょう。
4.最後に
出口治明さんの一文です。
「本書は実に人間味あるれる良書ですが、残念ながら絶版なので、
図書館や古本屋で入手してください。」
私も図書館から入手。
よって下記に楽天での紹介はありません。