中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

身勝手なようで真面目、権威や圧力に弱い日本人 学術的分析はなく、ふと思うこと

1.やはり新型コロナに端を発して

規範意識が強く、「自粛」という言葉が、本来の言語の意味を越えて

強い強い心理的な強制力を持つ、日本社会については、

「自粛にした側内のは、村八分が当然だ」「常識だ」として感じている

人が多く、これに対して、とりわけブログにて、したり顔で、私見を述

べるようなことではないかもしれません。

普段、あまり意識しない私ですが、昨今新型コロナウイルス騒動もあ

り、非常に「窮屈」に、感じる昨今です。

どうも、社会が寛容さに欠けているような・・・

私見の「窮屈さ」感覚に同感される向きも、多数とはいませんが、「皆

無」ではいように勝手に思い、少し綴ってみます。

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本文とは直接無関係、地元の(今回の氾濫前の)球磨川です。

 2.データは重要では?

(1)私もいっぱしの社会人ですし、新型コロナウイルス感染症につ

いては常識的な範囲で、資料や数字は見ています。

英語はじめ、外国語ができないので、数字は若干の例外はあります

が、文字情報は、ほとんど、日本語情報です。

例えば、東京都のHPのコロナデータを見ていたら、結構実態が分か

ります。

メディアで声高に叫んでいる人は、いろいろ調べていない、のでは、

と感じたりします。

ある書籍の一端の書評のつもりでは話す人が、「実は本を読んでない

のでは?」と思う感覚と同じです。

(2)データの改善、隠ぺいは論外として

何が「正しい情報」かは、結局誰にもわからないと思います

「感染拡大中」の報道とは別途、「自然免疫説」や「獲得免疫説」が

唱えられており、重篤者や死亡者推移を見ていると、個人的には、

どうも後者の説の方が、(個人的には)しっくりきます

とはいえ、電車内や多くの人と、すれ違うような場所ではマスクを

着用するし、荷物の中に常備しています。

 私なりの「寛容さ」であり、多数(と思われる)の方々が従ってい

る社会習慣に異議申し立てをするつもりは、ありません。

(3)事例を少し。

ただし、私の検証する力はないので「騙されて」いたら、それまで

です。

東京都の「重症患者数(重症患者数モニタリング(7)」という

のがあって7/27 19人(前日比+1)とあります。

記載を遡ると、4/29 105人(ピークのようです。) 5/26 33人  

6/26 17人 との記載です。

「重症」の定義が違う、数字が漏れている、隠ぺいだ、と言われると

もう議論になりませんが、発表数字が「真面目」だとすると、

感染症は、「減少傾向」少なくとも「落ち着いている」のであって

「感染拡大」とは、どうも読めないのです。

②「ウイルスは微小であり、通常のマスクの穴の30分の1くらいの

大きさ」と聞いたことがあります。

さすれば、「ウイルスがマスクを通り抜ける」と言う現象は、解りま

すし、下記のニュースも納得いきます。

7月26日の情報ですが、ある区役所と保健所職員が、

「アクリル板越しに対応し、マスクも着用していたが、感染した」

しつこいですが、事実と、それから考えられる想定を言っているだけで

マスク不要論とかを展開するつもりはなく、物事は、なにごとも多方面

からの議論、検証が必要ですよね。

 (3)専門家意見について

 今回の新型コロナ騒動(まだまだ継続ですが)の経過を見ると、政府

選任の「専門家」に対する,全幅信頼から、反対見解まで、大きく振れ

てています。

そこには、「専門家」への意識・無意識の信頼と期待、「専門家信仰」

があるから?

話ずれますが、

先人も言うように専門家は「無知な知者」(オルテガ)かもしれない

個人的には、思っています。

私には大変面白かった歴史解釈の話を聞いていたですが、「肩書」は曲者。

世間一般的的には

予備校講師と言うより、大学教授のほうが何となく、専門性がありそうな気

がしますし、あまり知らない学校名より、東大教授、京大教授と言われると、

ありがたがるのが、一般的でしょう。

海外著名大学もその部類かと思います。

 

3.プレッシャー

 (1)新型コロナウイルス「感染者ゼロ」の岩手県ですが、住民の方のプレッ

シャーは相当なもの、との記事を読んだことはあります。

東京の話ですが、親しい知人からも、異口同音、職場や地域での「第1号」には

なりたくない、との話はよく聞きます。

感染自体も当然嫌ですが、「感染対応」以外の、さまざまな社会的目線と、波及

が怖いし、いちいちそれに対応するメンドウという意識でしょう。

(2)混ぜかえすようですが、仮に「日本国内では、すでにひろく感染して、免疫が

できてている人が多数」との見解が主流となれば、

このあたりの、プレッシャーも少し和らぐでしょう。

「あの時の用心ぶりや失ったものは何だったんだ」となっるやもしれませんが、

話を大きくすると太平洋戦争を「アノ時の戦争は何だったんだ」との感情に、

一部類似かもしれません。 

(3)わかりやすい事例

  千葉県浦安市役所からのメールには

「感染者」人数の表記のあと、内訳を「患者」と「無症状病原体保有」に

分けています。

後者の「無症状病原体保有」とは、こなれた日本語ではありませんが、情況

が良く解ります。

 

4.最後に

 今回も、書評や新聞記事コメントと違い、論評すべき「証拠」を明確に示せ

ない「ふと思うこと」になってしまいました。

 付き合ってもらいありがとうございました。