日本人の神
大野晋/著
出版者 河出書房新社 2013.12
1.概要
日本人にとってカミ(神)とは本来どのようなものだったのか。
西洋のGodや大神ゼウス、仏教のホトケとの違いは何なのか。
カミという言葉の由来を丹念にたどりながら、日本人の文化から生活
習慣、精神性までを考察するしたもの。
大野晋さんは、大正生まれ、古代日本語の音韻、表記、語彙、文法、
日本語の起源、日本人の思考様式など幅広い業績を残した、とのこ
と。
特に『岩波古語辞典』の編纂や、日本語の起源を古代タミル語にある
クレオールタミル語説は、比較言語学観点から批判が多いそうですが
私には、よくわかりません。
2.ピックアップ
日本のカミとは?
①カミは唯一の存在ではなく、多数存在した。
(ギリシャ神話のように)恋愛したり、策略を持ちいたりなどの
行動を自由にする人格神となるのは、記紀の神話の部分に現れ
るカミの場合である。
日本のカミはいろんな場所にいる。
『古事記』の中には300以上の神
行為そのものまでも書きとして扱われている。
②カミは具体的な姿・形を持たなかった。
③カミは漂動・彷徨し、カミガカリした。
「カカル」とは、物に覆いかぶさるようにして、自分の重さ
を相手にくっつけてぶら下がること。今でも「親がかりで
暮らす」などという。
④カミはそれぞれの場所や物・事柄を領有し支配する主体であった。
⑤カミは超人的な威力を持つ恐ろしい存在である。 P15‐23
奈良時代の中頃には、「仏」は「神」の一種であるであると認識され
ていた。
カミは五穀の豊穣を祈る相手であり、また、家屋・殿舎・門・道・井
戸・火などの支配者として人間生活の無病息災を求める相手でもあ
る。 P42
従来のカミに対する奉仕者たちは、生産と繁殖に関する罪に対してミ
ソギをし、ハラエをし、カミに奉献することでそれが解除されるとし
た。ここには個人個人が戒律を守り、自ら律する考えがない。
(中略)
個人的な戒律を守ることが修道者としての自己保証となる。こういう
考え方は当時のン本陣にとっては、新しい思想であって、これまでの
カミに仕えることだけを考えていた人々の中にはないものだった。
P55
「権現」:インドのホトケが仮に姿を現したもの
「本地垂迹」:インドの仏菩薩を「本地」といい、それが仮の姿を
取って表れたものが「垂迹」 P67
中世の神道が、神のみとを明らかにしようとしながら、結局、仏の枠
組みの中へ神を押し込むことになっていたのに対し、近世になってカ
ミをホトケから分離しようとする動きが現れ始める。 P80
契沖は全て文献にみられる事実に基づき、実証を先にした。これは
古典の解読によって古代を知ろうとする場合には、そのまま世界に通
用する方法である。 P87
本居宣長は『古事記伝』の中で、「道」ということを通して儒教の聖
人と日本の神々との相違を明らかにし、言葉としての「神」を考究
し、日本の神の特性をとらえることによって、仏との差をおのずか
ら分かるようにした。 P99
(日本語との共通性が一番高いタミル語)
インドの最南端に、現在500万人の使用人口を持ち、BC200年~AD200
年間の、詩2400首を持つタミル語がそれである。 P132
当時新来の文明であった水田耕作の耕作地や作物や食品および関連す
る技術についても、単語そのものにタミル語と日本語との間に次の表
のような共通がある。これは物や技術と一緒にタミル語が日本に入
ったとみなければならないだろう。 P135
「幽霊」は恨みを持つ人がなるものであり、「化け」は相手をたぶら
かし脅かすもので、本質的に違う P156
「日本文化」は日本という土地で、その時代の文明のもとで、日本人
が文明とその風土性との適合を求めながら生活を営んでいく間に生じ
た生活態度であり、美意識であり、それの産物というものと考えられ
る。 P190
日本人は特別自然に優しいのではない。日本の自然が人間に優しいの
である。日本人はその自然の恵みの中で、自然の運行に順応していけ
暮らしやすく、生きていられた。 P191
日本におけるキリスト教の信者が人口の1パーセントをなかなか超え
ないという理由は、キリスト教的なカミの根本的な考え方・ありかた
が、日本人の基本的な生活意識とそぐわない点にあるように思われ
る。 P193
私の思っていることが正しいならば、日本人のカミ観念、あるいは
カミ信仰の原点は古代の南インドに発していることになるのではな
いか。
それは日本語の系統研究と並んで、日本人の精神史、あるいは日本
思想史の研究の基本姿勢に一つの変革をもたらすだろう。 P197
3.最後に
大野晋さんと言えば、「折々のうた」を少し知るくらいで、ほとんど
読んではいませんでした。
言語学や国語学に対する、アレルギーというか苦手意識がありました
、というか今でもあります。
そのくせ、歴史は思想史は、好きな部類です。
言語学的な話は置いといて、タミル語説には、私にとって非常にロマ
ンを感じますし、面白かった。
一方、日本の「カミ」についての定義は、大枠理解していたことが、
スッキリまとまった形で、私には、受け入れやすかったです。