中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

温又柔さんの本から考えたこと 「母国語」の悩みは、感覚的に私には解らなかった

1.台湾への想い

私が台湾への想い強いことは、何度かこのブログでも触れています。

 台湾には思い入れがあり、好きです。選挙後の今後にさらに注目 - 中高年michiのサバイバル日記

上記は、今年の1月23に書いたものですが、時事的な話と、幼いころ

からの台湾への個人的思いも書いています。

その前後も、台湾の歴史、日本とのかかわり、著名な人々、私的な台

湾旅行、現在の太平洋の安全保障等々も、書いています。

さて、先日、日経の書評欄で知ったのをきっかけに、彼女の作品を少

し読んでみました。

実は「言語」の問題は、私は切り口として、私はあまり意識していま

せんでした。

 

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今までと変わった台湾の切り口

2.来福の家

著者       温又柔/著  出版者         白水社 2016.9

これは、2作の小説が、おさまっています。

すばる文学賞佳作受賞のデビュー作「好去好来歌」をまず収録。

台湾生まれ、日本育ちの楊縁珠は、三つの言語が交錯する家族の

遍歴を辿り、自分を見つめ直すことになります。

次は、来福の家。

姉の名前が許歓歓、ヒロインの名前が許笑笑。姉は、小学校で

中国などからやってきた子どものための日本語教師として働いて

いる。笑笑は、大学を卒業し、中国語の専門学校へ入学する。

彼女たち家族が、結婚や出産によって日本と台湾という「根」を

広げる、という話です。

 

小説ですから私のコメントは無しにして、「あとがき」から

少し引用します。

  本書に収められた二つの小説は、私の原点であり、源泉です。

  言葉によって世界を分別する以前の感覚は、私が書き継ごう

  と思っているものの源なのです。 P271

 (下記書籍にも触れています。)

  本書が私の創作の原点ならば、その後の四年間を費やして

  描いた『台湾生まれ 日本育ち』は、私のこれからの

  作家活動の基盤です。  P271‐272

 

3.台湾生まれ日本語育ち

     温又柔/著  

出版者    白水社 2018.9

こちらは「エッセイ集」ととらえていいでしょうか。

3歳の時に東京に移住した台湾人作家が、台湾語・中国語・

日本語という3つの母語の狭間で揺れ、惑いながら、自身の

ルーツを探った4年の歩みを綴ります。

  

引用と、michi以下が私のコメント

金門島)の名物が、なんと包丁。それも、ただの包丁ではなく、

内戦中、島に降り注いだ砲弾をリサイクルした包丁なんですよ。

共産党と国民党が、我こそは正当な中国、と巡って争った戦争中、

島に降り注いだ砲弾で作った「中華」包丁だなんて・・・ P146

 

金門媽祖は、「国防第一線の地」かつ「対中国の最前線の地」で

ある。しかも父たちが青年の頃、台湾と大陸ーー二つの「中国」

の関係は今よりはるかに緊張していた。  P154

(michi: 2013年ころの様子のようですが、現在(2020年9月)は、

相当な緊張関係にあると思います。)

 

国民党一党独裁したの台湾では、「中華民国」こそが「正統」

かつ「唯一」の「中国」というイデオロギーに基づき、自国の

文学史が編まれた。

そこでは中国文学が主流の地位を占め、戦前に活躍した作家

たちの日本語作品は、「皇民化教育」による負の遺産として

不当に貶められた。

一方、日本では、たとえそれが日本語で書かれた作品 だとし

ても、その作者が「日本人」でなければ、日本人による日本人

のための「正統」な日本文学史からは除外された。

日本語は日本人だけのものなのだと錯覚してもおかしくない

状況が、長いこと続いてきた。 P228

(michi: いや、例外もある。先日亡くなったドナルドキーン

もそうだろうとの反論もでてきそうな面もあったのかもしれ

ません。)

  

4.言語についてふと思うこと 

私自身は、ずっと日本で生まれ育ち、日本語が母国語。

外国語として「教育」で英語を習ったきり。

留学や駐在等での海外生活の経験なし。

 しかしながら、考えてみると、自分自身で決められない

事情で、「国境」としての地域を移動したり、政治的圧力

により、今までの言語が使えなくなった、という人々も

多数います。

(決して過去形ではなく、現在進行形ですよね。)

そのこと自体は、熟知しているつもりでしたが、言語の

重要性を深く考えたことは、あまりありませんでした。

言い訳すると、「宗教」については、いろいろ勉強して

きましたが、「言語」については、どうも無頓着でした。

言語は、宗教に負けず劣らず人間のアイデンティティ

形成するものだと、改めて感じました。