中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

今週のお題「もしもの備え」 「もしも」を上回る災害は、仕方がない。 諦観です

1.一般的な備え

 今週のお題「もしもの備え」とのことです。

確かに、9月は防災の日に始まり、台風もやってきますし、歳時記的な

お題ですよね。

「歳時記的」と言いましたが、地震は、現在の科学技術水準は読めない

し、新型コロナにいたっては(私の認識はマスメディア違うので)どうも

マンガみたいに、映ります。

さて、我が家も、一般的な緊急時の備えは、しています。「私も」と書け

ないのが、真実で、家庭でのいわいる「防災グッズ」は、妻だよりです。

保管場所と袋の中身を、私も確認している、という程度です。

住まいは割と戸数が多めの分譲マンションなのですが、マンション管理

組合(いや自治会?)から、期限管理をした飲料水や食料の配給は定期

的にあります。

ありがたいことに、私自身は決定的に重い災害、に遭遇したことはあり

ません。

もっとも、先の特北大震災の差異は、私の居住地域は大規模な液状化

発生し、断水が続いたのには、まいりましたが・・・・

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防災グッズはちゃんと用意しています

2.現実に災害に遭遇しています

私自身は、上記の感じですが、肉親、友人・知人は、大変な目に遭って

います。

(1)今年の7月上旬、九州を襲った豪雨により、地元の球磨川が氾濫、

「思い出を含め、いろいろなものが流されてしまいました。」

詳細は、7月7日に私のブログにアップしており、URLは下記のとおりです

肉親、友人・知人に限らず、行政関係者含め「もしもの備え」はしていた

のですが、「想定外の事態」は起こります。

ダムの計画、川の浚渫、災害情報の連絡周知体制等々、論点を議論していけ

ば、話は尽きませんが、「仕方がなかった」との感もあります。

思い出含め、いろいろなものが流されてしまいました。 地元の球磨川氾濫から思うこと。 - 中高年michiのサバイバル日記

 (2)熊本大地震

もう、熊本大地震発生から4年になります。

文書から引用すると

 4月14日21時26分、熊本県熊本地方を震央とする震源の深さ11 km、

気象庁マグニチュード (Mj) 6.5、モーメントマグニチュード (Mw) 6.2

地震(前震)が発生し、同県の益城町震度7を観測した。

 その28時間後の4月16日1時25分には、同じく熊本県熊本地方を震央

とする震源の深さ12 km、Mj7.3、Mw7.0[3]の地震(本震)が発生し

西原村益城町震度7を観測した。

Mj7.3 は1995年(平成7年)に発生した兵庫県南部地震阪神・淡

路大震災)と同規模である。 

こちらも、 肉親、友人・知人は、大変な目に遭っています。

居住しているマンションが使えなくなり、車中泊が続いたことを聞いていますし、

飲食店自営の友人は、それこそ「商売あがったり」。

「もしもの備え」はしていても、こちらも想定外のことでした。

 

 

3.結局「仕方がない、の諦観」あり

もともとの地理的成り立ちで、日本列島は、相対的に災害が多い地域です。

長い長い歴史(文字のない時代を含む)の中で絵、この日本列島に住む

人間は、自然災害は仕方ない、逆らってもどうしようもないという「諦観」

が生まれてきたのでしょう。

「自然」は「人間」と対峙するものであり、征服できるもの、征服すべき

もの、人間が制御するべきもの、とは違う考えのようです。

まさに、私自身もその考え。

自然を征服しようなんて、人間の大きな思い上がり。

例えば、ウイルスも、地球上で生物の先輩、撲滅なんて僭越、共存させて

もらう、というのが、私の基本的理解です。

現在の情報、知識、予算等々の制約の上で、やるべき備えはやるべきで、

家族はじめ、周りの力を借りながら、対応しています。

しかし、相手は自然。

こちらが、打ち負かされたら仕方ない。

運よくこちらに生命があったら、腐らず、悔やまず(実際悔やみますが・・)

また、立ち上がって進むしかない、と思って持っています。