中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

いろんなことが自分でできる現代版「百姓」を目指して、の再論

1.お百姓さん、再論です。

ほぼ一年くらい前、いろんなことが自分でできる、現代版「百姓」

を目指して、を書きました。

改めて今、考えるのは、「宗旨替えどころかますます、その思いを

強く」しています。

ひところ揶揄された、定年迎えた男性サラリーマンの諸氏の

「ぬれ落ち葉族」とか「ワシ族」(ワシも行く、と奥さんにくっ

ついて行動したがる中高年)を、書こうとするのではありません。

物事は、一層深刻です。

 

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2.現代社会は自給自足が困難

現在社会は、生きるため、生活していくためには、お金がないとやって

いけません。

未来の生活が保障されるほどお金の余裕がある人は別にして、そうで

ない人(こちらがほとんどの方でしょうが)は、何らかの手段で今後

とも稼いでいかねばなりません。

現在社会を遡ると、自給自足できていた時代があり、いまでもそれで

満足という方は、お金がいらないかもしれません。

しかしながら、病や死に対して、完全に「自給自足」対応できるヒト

は、今の日本では皆無に近いでしょう。

医療に限らず、「自給自足できない分野」は、広がっていきます。

 

3.お百姓さん

さて「百姓」という言葉があります。

「おひゃくしょうさん」と呼んだりします。

現在では農業従事者の意味で使いますね。

「百姓」とは、本来「おみたから」、「ひゃくせい」と呼んで

「たくさんの姓を持つひどびと」の意味であり、いわいる支配者層

特権階級でなく、一般人のことですね。

「百の仕事ができる人」の意味でもあります。

つまり、百姓は、単一の仕事だけでなく、たくさんのことを掛け持ち

でやってきたわけです。

「手前味噌」の言葉が残るように、農家で、発酵食品を作っていた

のは全国各地にあるし、いわいる大工仕事も、普通にこなしていま

した。

現代社会で自給自足は無理としても、「百姓」目指して、いろんな

ことを、自分でできるようにならねばならない、少しでも進んでい

かねばと、最近ますます、強く感じる日々です。

確かに最新テクノロジーは、難しいですが、「やれることはやる」

気構えは必須です。

現実が、厳しいのは、ある程度認識しているつもりが、想定以上に

これから厳しくなるのでしょう。

 

4.想定される暗い将来

思い切り、暗い将来を書いてみます。

AI他テクノロジーのますますの進展により、「普通の能力のあなた

求められる仕事はなにもない」と宣告されてしまいます。

もしくは「現時点AI他テクノロジーを使うより人のコストが安い」

という仕事しか、残らないかもしれません。」

もっと、悲惨な話をすると、「あなたがやれる仕事はなにもないの

で、支給されるベーシックインカムの範囲で、何とか生きていろ」、

という恐ろしい事態も。

 

5.それでも「労働」を

古代ギリシャ的に「労働」は奴隷がするもの、と私は思っていませ

ん。

また、労働の価値を、宗教(たとえばキリスト教の「天職」)と結付

けようとは思いません。

私は、働けることが「いいこと」を思っています。

   日本の「少子高齢化」は、いつも報道の通り。

   いわる65歳以上の「高齢者」がもはや人口の4分の1を超え、

   益々その割合を増えるでしょう。

   私の先輩世代に当たる「団塊の世代」は同級生が200万人を超

   えていました。

   現在の「新生児」は例年100万人をきっているようですね。

所詮「暇つぶし」と言われようが、いろんなことが自分でできること

自己満足感、生活の足しになること、できればその労働によりほか

の人から「感謝」されることがあること。

そんな労働が、自分の前にある限り、やりたい、と私は思っていま

す。