中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

情報があふれる社会 結局多数決が最善? 現時点では仕方ない

1.現代社会は情報があふれる

世界的規模で、特に、この10年くらいかと、思っています。

大げさに言うと、歴史上の転換点のような気がします。

最も、後々の世界は私が生きているわけでないので、検証

しようにもできませんが・・・・

 

「情報化社会」といわれてきたのが、この30年くらいでしょうか。

若い私なりに、本を読み、人の話を聞き、考えてきましたが、

技術革新を前提に、誰もが雑多な情報を、非常に低コストで発信

できるようになったのは、やはりこの10年くらいでしょうか。

いわいるSNS情報が、世界中を席巻していますよね。

「情報過多」「情報を消化できない」とjは、かなり昔から言わ

れていましたが、まさに今、全世界的に起こっているように思い

ます。

 

2.人間の能力の限界 

もち論人間の能力はこの2万年くらい変わってない、と言われます。

ドメスティケーション依頼、脳の大きさも、喜怒哀楽の感情も、変わ

っていません。

確かに、技術革新により、道具は進歩し、情報伝達手段は画期的に変

わりました。

しかし、人間の情報処理能力自体は、変わっていません。

 有限な時間のなかで、処理できる情報は限られています。

歴史の流れ亜とともに、暴力が減り、寿命が延び、強制的労働時間が

減り自由な時間、余裕のある時間が増えたことは、事実でしょうが、

インプットされる情報量自体は限界値に近い気がしています。

問題は、情報を理解し、意思疎通を取る足「共通基盤」が脆弱化,

消滅化をたどっているように思います。

共通の情報基盤があった卑近な例を2つほどあげましょう。

 ①旧制高校のエリートは(理解度は置いといて)共通の古典を原書で

読んでいました。何とか「話を合わせる」ことができました。

②50年前の日本の普通の小学生は、大可方同じ時間に夜のTV番組を

見ており翌日の学校で、「話が合う」ことになります。

「歌謡曲」も同じようなのを聞いていたのでは?

現在は違います。

TVで情報を得る人、書籍で得る人、SNSで得る人様々であり、

しかもTVも書籍もSNSの内容も様々。

「共通点」を鞭けることが難しい、くらいです。 

人間は、自分の見たいもの、聞きたいものに特化する傾向があります。

異なる意見を受け入れるのは、とても難しい

「分断」という言葉が、全世界的に通用しているようです。

その分断は、益々拡大しているように、私見では思います。

もうしばらくすると、米国の大統領選挙です。

共和党民主党の主張やそれを支持する見解人々の鼓動を見るに

まさに、「自分の見たいもの、聞きたいものに特化する傾向」を感じ

ます。

異なる、意見wおs通訳されてみょり高みに、という感じではありま

せん。

ずっと、折り合わず、自己の主張を繰り返す、ことでしょう。 

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多数決は、「優れた制度」とは思わないが、「代替手段がない制度」

3.意思決定の手法

とはいえ、社会を維持していくうえで、何らかの決断を、常に行い、

強制力を持って、実行していくことが必要。

何かの意思決定において、「絶対的真理」に行きつくことは無理で、

というかそもそも、「絶対的真理」は存在していないので、神や全知

全能を聞いたする方が不可能。

勢い全体主義的意思決定か、民主的意思決定に集約されそうです。

全体主義的な意思決定は。反体勢力の「抑え込み」へのコストが、

かかります。そのコストがどれくらいかによって、体制維持の強固さ

の度合いが決まる気がします。

 

4.多数決のコスト

結局民主制に代わる、マシな政治体制は、今までで構築できていない

ようですが、民主制の一翼わ担う「多数決」というのが、これまた厄

介な制度。

つまり、「多数決」制度も問題だらけ。

投票しようとする、母集団は、確り定義されているのか。

投票の手続き、手法は、正しいのか、不正はないのか?

そもそも、登用しようとする対象、内容をよく理解しているのか。

心配ごとを挙げていくと、枚挙にいとまないが、しかたありません。

 

5.結論めきますが

 本日言いたかったことも、実は単純なこと。

自由主義、民主主義という体制では、情報が取りやすくなってい

て、雑多な膨大な情報が入る。

②人間の能力では、その情報を適切に消化できなくなってきている。

③とはいえ社会維持のために、意志決定は必要で、厄介な問題は、多

いが民主的な「多数決」に代わる手法が、現時点ではなさそう。