中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

問題解決を明文化した強制力にたよるか、自粛含めやんわりと圧力でいくか 効果は様々

1.コメントのきっかけ

このブログで、社会現象に対するコメントを、いくつか書いています

が、最近のきっかけは、新型コロナウイルス関係報道と、米国大統領

選挙関係報道が多いです。

今日書くのも、きっかけは上記であり、私見はごく一般的な結論で
す。
何事も、明確に決定(明文化)して、従わせる手法」と「明文化し
ないが、有形無形の圧力により、なんとなく、従わせる手法」の双方
があるか、効果は、なかなか測りがたい。
後者の方が、相対的にうまくいく場合もある。
ということ。
もちろん、ケースバイケースであり、オールオアナッシングはあり得
ず、この二つの間で、微妙に揺れながら、ものごとの意思決定は、動
いていると感じます。
 

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意見の対立は必ず生じます。その解決手法は様々です。
2.事例から
少し言葉を補うと
何事も、明確に決定(明文化)して、従わせる手法の、典型として、
米国合衆国的意思決定、明文化しないが、有形無形の圧力により、な
んとなく、従わせる手法の典型として、日本的意思決定を例にとりま
す。
(1)まず、明文化の事例
米国大統領選挙の、法廷闘争は、ある意味、わかり易い、です。
まず、法廷の通常の手続きに則っています。
その手続き自体は、外部からでもよく見えます。
正当な手続きを経て、提出された証拠を吟味し、裁判所が判断ということ。
三審制も、担保されており、最後は、これに従うでしょう。
裁判所明確に「不正あり」と判断できなかったものを、選挙結果を州
議会がひっくり返すのは、困難、との意見に私も同調します。
裁判所判決の後ろ盾がないと、選挙結果を「議員判断でひっくり返す
のは「我が身の危険」を感じる、との説明の方が、何か説得力がありそう。
個人の願望と、今後の状況想定は、もちろん違います。 
 どちらの味方、国際情勢の将来展望、うんうんは、ココでは、議論し
ません。
手続き論の話、です。
陰謀論云々はありますが、裁判所判断で決着せざるを得ないし、それ
に従うことになります。その後、結果が不満でも、国軍が圧倒的な軍
事力を持てば、内乱状態とは、ならないでしょう。
最初の結論に戻ると、「明文化された決着」では、相当高い代償であ
り、決定への不満は、必ず出てきます。
抑え込まれても、くすぶりつつけます。
しかしながら「民主主義として白黒決着は仕方ない」という、結論で
す。
 (2)明文化なき事例
日本の新型コロナウイルス感染症「騒動」を観ます。
「知的」であるべき国会で、GO TO キャンペーンで、」野党党
首が、新型コロナを感染拡大させたと主張し、対する首相側が「明確
エビデンス」がない、と対応。
福岡市長が、資料を用意して「福岡市においては、GOTOキャンペ
ーン感染拡大には、関連がない」、と主張。
一方日本医師会の最高幹部が、理論的説明なしに、GOTOキャンペ
ーン感染拡大説を述べたとか・・・・
どうも明文化した根拠がなく、数字の根拠に基づく因果関係の臨床の
議論でないと、どうも時間の無駄のように感じます。
日本のマスメディアは、がちがちの理論による、論争をあまり取り上
げない。
理論の布武を突っ込んで、解り易く解説するのが、メディアの役割の
一つと思うのですが・・・
(3)コスト(意思決定までの時間と費用)
後者の明文化されない対応、「自粛」で対応する部分が多いと、一見
意思決定コストが低く思えます。
少し事例が正確ではありませんが、マスクしないと罰金という世界
(つまり、罰則を定めないと支持されない世界)と、有形無形の圧力
(よく言う同調圧力)により自粛により対応世界では、後者の方がう
まくいっているようです。
 タイトルに「効果は様々」と書いたのは、時間軸をどのくらいに取る
かで、「妥協を繰りかえすうやむや解決手法」の方が、「白黒はっき
りつける解決手法」より、持たなくなって(耐えられなくなって)き
ているようにも思います。
 
 3.議論の例外
(1)話は、上記で終わりです。
いわいる民主主義国家内での、意思決定の「明確さとあいまいさ」の
区分と、ありそうな「中間的立場」について、少し考えました。
よって、全体主義国家の方が、まだ民主主義国家より、コロナ対策が
うまくいっている、しかも効率的な対応である、といった議論はしま
せん。
 (2)もう一つ
強い宗教的判断に基づく見解は例外としています。
生きる目的や生活習慣が現行民主主義的制度より優先するのが当然。
 例えば、政治・経済の世界に踏みこんで、
「世界は、神か作った。我々は、神の世界の実現のために、生きてい
る」「今生きている世界より、死後の世界の方がずっと大切」といっ
た、意見も私は否定しません。
だだそれは、上記1,2で少し考えたこととは、全く別の世界であるこ
とを明記しておきます。