1.今週のお題「感謝したいこと」です。
話は、どこまでも大きくなりそうですね。
私の場合も、ご他聞にもれず、(ある程度の年齢まで生きた人
同様に)「感謝したいことがたくさん」あります。
生命体として存在していること自体が奇跡的であり、ありがた
いことと思うことも、多分にあります。
とはいえ、あまりに抽象的な話で、人をうならせるほどの文才
はもちろんないので、2,3エピソードをつづってみます。
2.妻のこと
上記のような書きだして、山ほどありそうなエピソードの記憶を蘇
らせている最中ですが、はやり月並みに「家族」のことを、書くべ
きと思い、家族となると、配偶者を筆頭にするのが、無難でしょう。
「釣りの思い出」はじめ、二人の息子のこと(小さいときのこと)
はある程度書いていますが、妻の具体的なことはとてもとても・・・
それは、今回も同様です。プライベートは書けません。
さて、ある先輩の事例を紹介します。
話を聞いたのはもう5年以上前ですが、それでも、当時の彼は、現在
の私より年長です。
彼が、言ったのは「妻は戦友である。」
誤解なきよう、「占有」や「専有」ではありませんよ。
解説は不要でしょう。「戦友」のたとえは「うまいな」、と思います。
彼も私も離婚経験や複数の結婚歴はありません。
一緒に生活するわけですから、幾多の苦労、苦悩もあったでしょう
が、長らく一緒にいて生き延びてきたことが「戦友」でしょう。
お題は「感謝したいこと」ですが、感謝したい個別事象をあげたら
きりがありません。
その「戦友」である妻に「感謝する・日々感謝している」のが、まず
筆頭でしょう。
3.子供のこと
昔、私が独身の頃、仕事上の先輩(上記2とは別の先輩です)が、親
の「夢や想い」を一つ一つ壊して大きくなっていく、と話していました。
当時「先輩」の子供も、まだ小学生であり、私が同感に思うような、
今の私の子供の年齢ではなかったでしょう。
彼のつぶやきに込めた「子供への夢や想いの運用期間」は、今の私より
ずっと少なかったと、思います。
以前、このブログで私はよく「子供に遊んでもらった」と書いています。
これが、子供に感謝したいことのひとつす。
当然、私も彼らも、お互い生きれいれば、「まさか」とか、「こんな
はずでは」と思うことは幾多あります。しかしながらまず生きている
ことには、「感謝」ですし、今後は、大人同士の付き合いができれば、
と思っています。
4.両親のこと(祖父母すこし)
「後期高齢者」入りは遥か昔となりましたが、両親ともに、現時点
健在です。
もちろん、生物ですから、ホモ・サピエンスとして、長らく生きてき
た以上精神的、肉体的に相当「ガタ」は来ています。当たり前です。
そして次も、当たり前でしょうが、親に対する子供の感情は悲喜こも
ごも。それも、自分の年齢とともに変わってきます。
子供はいなくても、誰しも、親は存在するわけで、「親子関係」の状況
はそれこそ千差万別でしょう。
私の場合、生まれて、物心ついてからある程度の齢まで親とは同居でし
たし、いわいるサラリーマン家庭でなく、親が自営業者であったため、
両親と接している時間は割と長かったと思います。
不満、マイナス事象を書いてもしょうがないし、私がここに存在する
前提を作ってくれた親には、有無を言わさず「感謝」でしょう。
も少し深掘りすると、面々と続いてきた、祖先や一族郎党に、感謝
でしょう。
これも以前書きましたが、祖父母は、私が小さいことは、同居であり、
彼らの記憶も豊富です。いくつかの「語録」すら、思い出せます。
5.姉妹や叔父叔母
私には、姉と妹がいて、健在です。
父方、母方ともに、叔父叔母は多く、それなりの交流はありました。
当たりまえですが、人地人地別の人格であり、考え方も違います。
接する中で、私も、いろんな考え方を学んでいけます。
「感謝すべき対象」であることは論を待ちません。