今週のお題「下書き供養」です。
1.供養あれこれ
(1)難しい言葉の定義や歴史考察は置いといて、個人的なことから。
子供の頃は九州の田舎在住、古い家、祖父母同居、父は長男で自営業
等々の要因もあり、「供養」には、割と関係していたと覆います。
具体的には定期的に一家の墓(祖父と歩いていける距離にあり)に通
い、祖父からいろんな話を聞きました。
いわいる「お爺ちゃん子」であり、彼からは、趣味の歴史(家系図や
家族の人物評含む)や絵画(日本画が中心)の話もよく聞きました。
また、檀家であった寺とは、付き合いも深く、住職に息子とは、同級
生であり、よく寺や墓でも遊んでいました。
少し齢が増えてからも、仏事や宗教について、割と考えていました。
(2)もう近親者の葬儀が行われる年齢になってきました。直近ある
葬儀があり「四十九日」の法要がもうすぐ、といった具合。
私は「地元」を離れているものの、兄弟姉妹縁者が近くにいてくれ
手、ありがたい限り。
日本全国考えると、急速な社会変化で「永代供養」が、もう現実化し、
ますます進行しているのでしょう。
(3)お題を聞いて浮かんだのは「針供養」
「針」について具体的に私が何をしたわけでなく、今後も何もしない
でしょう。お世話になったモノへの感謝と供養、とてもいい慣習に思
えます。
大げさに言うと「日本人的」に思えます。
(4)お題の「下書き供養」のコメントを見ると、たまっていた下書
きを放出して「供養」とのこと。
なるほどいろんな考えがある者だと、思います。
2.下書きと送信先相違
(1)下書きエピソードと今回の趣旨
子供のころから社会人に始めのころまでは、PCを使って文書を書く
ことは、ありませんでしたが、その後は飛躍的に増えました。
今日いわいる「手書き」はほとんどなくなって、文字通り「文字を
書く」から「文字を打つ」世界へ。
当然送信前は「下書き」となるわけですが、誤字脱字が横行し、そ
のまま送信して物議をかもすことは、多々ありました。
ちょっと気の利いた引用し田つもりが、誤字を犯し、それこそ意味
不明となったケースとか「法務」と打つべきところ「法無」となり
ブラック・ジョークになったとか。
今思っても、確実に「迷惑」を流布しましたが、決定的に業務上問
題に、ならなかったのは幸いでした。
今回の趣旨は「下書き放出で気分すっきり」とも取れますが、当該
ブログを含めて、私は下書きには淡々としています。
そのまま世にです、電子情報をして、消えてしまったところで、何
の影響があるのだろう。もちろん何もない。
私の気分や意識が感知しなければ、それで終わり、という考え。
幾多のいわいる影響力のある人物が残した文書が公開であれ非公開
であれ、対して意味はないと思っています。
人間の能力・考え方の個体差なんて、たかが知れているし、ある人
が未発でも、類似のことを別の誰かが、公開するでしょう。
そもそも、その公開された情報が、今後どう影響があるかなんて、
誰にもわからない。
もっと話を大きくすると、技術革新が続き、情報発信者及び「情報
量」は日々どんどん増えているのでしょうが、それが人間の生活に
意味があるか否かは、それこそ不明。
すべからく、本人の気もち次第、という当たり前の本日の結論。
(2)送信先相違の話
こちらは「下書きのまま埋もれる、供養が必要」予知、重い話。
なぜなら、下書きの自己満足父がい、相手が存在するから。
送信先相違で情報を受けた人は、快不快恥絵、何らの影響がある
でしょうから。
一般論は、置いといて事例一つ。
私は「家族ライン」と妻子それぞれ、合計4つを使います。
子供と言っても、もう社会いですが、それでも、妻と子供のことで
情報共有することがあります。
先日、sる子供補法を妻と共有しべく、私見を交えて書いたのです
が、それを送信先相違で、家族ラインで流してしまいました。
私の感情は「バツが悪い」そのもの。
社会時たる子供が、どうとらえたかは、想像できません。
無視したかもしれないし、何らか感情にさざ波が立ったのか。
問わいえ「動かぬ証拠」が残るわけですが、いつでも活用できそう
で「バツが悪い」感情はずっと尾を引きそうです。