中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

今週のお題「夏うた」 具体的な曲名は一曲もなし いつものずらした勝手論評

1.今週のお題「夏うた」です。

(サイトアップが遅くなり、ルール上「今週の」に該当せず?)

夏と言えば、やはりアウトドアです。

と、書けば、軟弱者と言われそう(表現が古いですかね)。

山にしても、海にしても、アウトドア派たるもの(日本におい

ては)春夏秋冬を楽しむもの、とおしかりを受けそうです。

それはさておき、私の場合フィールドは、どちらかというと、

山より海でした。

山と言えば、関東では夏に富士山にのぼった程度で、いわいる

「ヤマ装備」はもっていません。

ブログにも書いていますが、妻のお供で高尾山には、上りました。

「海」と言ってどの程度のアウトドア?と詰められると、「釣り」

の分野で、「山」に属する部分が、渓流釣りで、「海」に関する

部分が、磯釣り、とうそぶくことになります。

釣りもブログに書いています。 

釣りの思い出(子供の頃、学生時代、社会人、最後は子供の見守り)原点は球磨川 - 中高年michiのサバイバル日記

さて、お題に「夏うた」ですが、馴染みは、「海に関するうた」が

やはり、多かったようです。

 

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「夏うた」というより「梅雨時」のイメージですね。

 2.「夏うた」について思うこと

(1)お題作成者としては、「私の好きな夏うたベスト10」や「夏

フェスの思い出」を書き出してほしい面も、おありでしょうが、あ

えて無視。

出来そうにない視点で書けというのは、所詮無理があります。

では、言葉に旋律やリズムをつけて発生する「うた」に、見識が

ないなら短歌や、近・現代詩といういみでの「うた」、特に夏を

感じさせるものを論じてはどうか、とも思いました、力不足でした。

(2)いつも様に、斜めに構え、ずらして、勝手解釈を入れて・・・

しかできないようです。

①「うたについて」よく、「世代を超えて」とか、「世代に合って」

とか言います。

まず「世代に合って」の話。

昔話とはいえ、たかだか30から50年くらい前の話。

私をはじめ「一般的小学生」は、「うた」に関してはテレビ情報が

ほとんどで、SNSほか、インターネット情報がありません。

周りがみな、似たような「うた」情報でした。

世界的には、非常に情報が均一化されていた当時の日本、大富豪や

テレビのない極貧家庭の割合は、低かったかと思います。

(主義主張としてテレビを置かない、見ない家庭というのもあった

でしょうが少数派だったかと思います。)

ゆえに、現在の日本の中高年や、高齢者は「うた」に関して、「懐か

しい」情報は似通っていると思います。

②「世代を超えて」の話

昔、政治学で「均霑願望 」という言葉を習いました。
平等に恩恵や利益を受けたいという願望がと思いますが、戦後のある
程度の時期までの日本がこれ。
全国津々浦々、似たようなことが起きました。
①で述べて、同一世代での共通体験感覚が、広く浸透し、「世代を
超えて」影響した面がありと、思います。
「うた」を社会の一断面とすると、「世代を超えて、その時代を
象徴するうた」というのが確かに存在したと思います。
③大風呂敷の話
ⅰ)うたの世界は、文字や建造物と比べて、意外と短命ではない
か、と思ったことが、あります。
「人間は変わらない」と、私はよくこのブログで書いていますが、
文字の世界は、割と、残りやすいのでは、と思っています。
音楽情報に比べて、文字情報は伝達しやすく、受け入れられやす
いのでは?と思っています。
ⅱ)すぐさま反論がと出来そう
それは、オマエの独断と偏見だろう。
 数百年まえのいわいるクラシック音楽が、綿々として残っており、
出身国だけでなく、世界に広がっていて、ビジネスとしても存在す
る。
 日本の雅楽にしても、世界中の民族音楽も、市場は大きくないとは
 いえ、存在し続ける。
 オマエが言う、書籍としての古典世界と、単に市場規模が違うだけ
 だろう。
ⅲ)そうですね。
 譲ります。上記に分がありそう。
伝わり方、残り方の問題ですね。
そもそも、ホモサピエンスは、文字情報のはるか前から、音の情報
は、共有できていたのでしょうね。
 
3.最後に
  今回も、いつものような「お題対応」となってしまいました。
理論を捻じ曲げる。
本質を論じていない。
小見出しと、本文内容があっていない。
数字根拠がない、etc・・・
最後に、また言い訳
やる気はあるんですよ、しかし力が伴なわない。