中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

私がテレビ嫌いの訳 「流せない」ので長時間視聴は疲れそう 興味の問題も

1.私はテレビを見ると疲れる

(1)日本に限定して、今日は書きます。
昔からあるメディアと言えば、テレビ、新聞、ラジオですが
ご案内のように、インターネットがのしてきて、広告費用の点では
インターネット関連支出が、テレビのそれを抜いているようですね。
とはいえ、高齢者中心に(いや子供や、成人の中にも)テレビは、メ
ディアの中で、大きな位置を占めているでしょう。
無論、人の嗜好は様々であり、極めては反社会的でない限り、どんな
主義主張でもどうぞ、というのが私の考え。
今日は、「情報統制」とか政治色が強い話でなく、私がなぜテレビが
キライかという、極めて個人的な話。
(2)私はテレビを見ると、(一般的に)疲れてしまうので、
長時間、見ていることに耐えられない、ということ。
「流す」ように、いろんな仕事や遊びを「やりながら」並行して、行
う人も多いでしょうし、テレビがついていることが「生活の一部」の
方もいるでしょう。
私の場合、「流す」ことは「ながら」というのが苦手であり、情報量
多くて、私の処理能力が付いていけない場合が多い、テレビは、ど
うも嫌いです。

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少しクラシックなテレビのイメージ
(3)「こんなもの」と流せばいいのでしょうが、「分野」に分け
て、少し書きます。
①ドキュメンタリーやスポーツもの。
この分野、おおよそ内容に想像がつき、かつ、若干想定と違う結果が
出たりして、あまり抵抗がありません。
たとえば、趣味のラグビー
高校ラグビー大学ラグビーはそれほどでもありませんが、レベルの
とても面白かった
映像の力に及ぶものはない。臨場感たっぷりだし、想定外の「ドラマ性」もたまにあります。よって「ナマ」が条件であり、「録画」を鑑
賞することは、いまいちです。
②いわいるニュース番組
災害ニュースは、見ます。即時性含め、ニュース報道のビジュアル性
は、貴重です。
ただし、時差刻々と変化する自然現象や人間の対応の報道はいいです
が、何度も同じ映像を見せられると食傷気味になるし、同時進行で発
生しているであろう見せない部分、報道しない部分に、思いが、飛んでいきます。
事実関係の報道はいいのですが、解説、コメントが入ってくると、そ
のコメント自体に、異論反論が、湧いてきて、疲れる要因に。
②の2
特に、少々私に地理感がある、政治、金融、経済等において、時事問
題になると、一層いけない、疲れてします。
自分の見解と大いに違ってくると、気分が悪くなるし、内心フェイク
ニュースと思っているので、いけません。
批判気分が高揚すると、そもそも当該テレビ情報に接するのをやめて
まう、傾向が強いです。
例えば、新型コロナや、米国政治報道やコメントに関して、テレビ情
報からだんだん遠くなります。
③エンターテイメント系はどうでしょうか。
趣味の世界で、旅、釣りに関することでは、映像の力は、やはり強く
惹かれる面はあります。
文字情報では、太刀打ちできない面も、たくさんあります。
ドローン映像とか、技術革新もすごいですよね。
これは、上記①のドキュメンタリーともかぶります。
ただしこちらも、コメントが気に入らないと、やめてしまうことが多々。
④クイズ番組系は、情報が多すぎてついていけない逆パターンです。
ものの10分で終わる情報を、CMを入れながら(というかそもそも放
目的はCMが主役)1時間も、時間を掛けて放送するのは、私はノ
ーサンキューです。
④ドラマ系は、興味がない、と言う問題で、まず見ません。
歴史ドラマ、大河ドラマと呼ばれる系は、私にとり、上記クイズ番組
と同じで情報をとるなら読書中心の文字情報の方が、私には手っとり
早いし情報が深いことが多い。
テレビでは、情報があまりに間延びしている感があります。
又、原作者というより、脚本家はじめ制作関係者の主観が、どうも私
の考えと相いれないこともあります。
 
2.結局、好みで自分ごと
(1)るる述べてきましたが、結局テレビ嫌いは「私が家庭でのテレ
ビを見ながらの「ながら仕事」が、あまりできないことに起因するよ
うです。
どうしても、「流せない」ので、テレビに正面から向き合って文句を
言いたくなるので、疲れてしまう、ということのようです。
(2)テクノロジーの発達、再生可能性の進展はすごい。
映像情報は、文字情報のみでは、補完できない部分があり、今日PC
スマホyou tube他の媒体使い自分の管理時間で、好みの長さに調
整できるのは、大変良い、というか、効率的。
(3)ここから脱線
①文字情報と音声情報の違いはありますが、情報ツールとしての
オーディオ・ブックは、否定していません。
自分の理解度に合わせて、反復再生や時間調整もできそう。
②話はずれますが、静止画である写真、絵画の情報性を否定するもの
ではありません。これはテレビも同じ。見る人の今までの、情報蓄積
や理解度をこえるものは、「見えない」のです。
③テレビを見ていることもそうですが、なんか「時間を損した気分」
になることがあります。
これは、まさに一方的案思い上がりでマクロで見ると、
「小人閑居にして不全を成す」でしょうから、
テレビをじっと見ていて、その後もの社会的に何も行動起こさない
なら、治安維持の観点では、為政者側には、メリットあり、かも
しれません。
そもそも、「テレビを見ない時間をどう有益に使ったが、何かに
貢献したか、」と詰められるとぐうの音も出ないのが現実です。