中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

煮詰まった時は、別の発想で 「シミュレーションの世界を生きている」と考えてもいい

  1.心が晴れず、冴えない日々

今年の年の瀬も近いのですが、どうも連日さえません。

気分が乗ってきません。

直接的には、「私を取り巻く環境」とは、言い難いのですが、

米国大統領選挙関連報道、及び新型コロナ感染症関係の日本の

報道に接して、これを考えるたびに、どうもさえません。

私の基本観は

米国大統領選挙は、「不正選挙」がなかかなか司法府や立法府

レベルで承認されない展開

新型コロナに関しては、相変わらず、数字と論拠に基づかない

「一方的」報道が継続している、

というところですが、今日は、上記には、触れません。

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シミュレーションのイラストです。

 2.全く違う発想

(1)さえない気分を晴らすために、全く違う発想。

過去こブログでも、何度か書いた、私の宗教観、歴史観に基づく

見解披露ものでは、ありません。

現在のある若い哲学者による「仮説の紹介」をします。

最近、拾い読みしているほんの一つに

「図解哲学 人生を変える100の話」

(トム・ジャクソン著、」高橋正一郎監訳)があります。

その、ちょうど100話目が

「私たちはシミュレーションの世界を生きている」P116

というもの。

1973年生まれのスウェーデンのの哲学者ホストロムの仮説です。

(2)彼の仮説では、

「コンピュータ上の実験で、過去の人間たちの生き様(歴史)を

知るために、未来の人類が過去の時代のシミュレーションを行う

ことを想定している」 とのようです。

Wikipesiaを参照して、少しまとめると

・ボストロムのシミュレーション仮説は一種の懐疑主義的仮説

・一般的信念に異議を唱えるために出された現実の性質につい

 ての提案である。

・そこには、現実が錯覚であるとする仮説に関する長い歴史が

 存在する。

プラトン、ルネ・デカルトの二元論、バートランド・ラッセル

の支持した立場に近い現象論の引用がありますが、私にによく分

かりません。)

・ボストロムはこのような流れとは無関係に、シミュレーション

仮説を妥当とする経験的理由があると主張した。

 彼の示唆している点を書くと

 ①住民のいる惑星全体あるいは宇宙全体をコンピュータ上で

  シミュレート可能である。

 ②その住民が完全に意識を持っているなら、十分に高度に発達

 した文明ならそのようなシミュレーションを実行する可能性が高く、

 ③従って我々が実際にそのようなシミュレーションの中の住民で

 ある可能性が高いということた。

(3)言い換えると wikipesiaのまとめは

ボストロムの主張は、以下の3つのうちどれかが真だというもの

 ①シミュレーテッドリアリティを生み出すほどの技術レベルに

 達する 文明はほとんど存在しない。

 ②そのような技術レベルに達した文明があったとしても、倫理

 やリソースなど様々な理由からシミュレーションを実行しない。

 ③我々が日頃経験する事物は、ほとんどがシミュレーション内

 の実体である。

著者のトムジャクソンの解説は、

①、②ともに、ホログラムはわずかな可能性がある、と主張し

③は、ホログラムは、比較的ありそう、と主張している。

 

3.少し考えると

私の素養では、上記仮設の、深い理解は、できていません。

勝手に、思ったことは

自分の人生は、自分の知的レベルでいくら考えても、解決でき

る問題の方が、少ないのだから、いろんな考えを寛容に受け入れ

ていけばいい。

どうせ、結論が出る話でないのだから

といったことでした。