ブッダの毒舌 逆境を乗り越える言葉
著者 平野純/監修
出版者 芸術新聞社 2017.9
1.概要
人間ブッダのナマの人生観を伝える“容赦ない”名言集。逆境を突破し
得た者のみが発せられる、迫力ある言葉の数々を収録する。
章立ては
世間、プライド、財産、愛情、家族、神、死 です。
特に、家族についての章は、なかなかそう簡単には実践できないし、
もろ手をあげての賛成とは、なかなか難しそうです。
物理的に「家族を捨て去る」ことは、非常に難しいのが現実。
しかし 悟りをひらくまで様々な苦悶や苦労があったブッダの言葉は、
「人間味にあふれて」いる、という表現が使えるでしょう。
2.本書からの抜粋
世間について悩む者は、まず「ありのまま」を見よ。
感情にまけるな。
負けそうになるときは「ありのまま」を見る力を奮い起こせ。
「ありのまま」を見る力、これこそは最後の救いになる。 P14
経験を積むことはプライドを正当化しない。
経験に学ぶことがプライドを正当化する。
経験とは失敗がもたらす教えの集積のことである。
失敗に学ぶことを拒否する人間は、
つねに論争を堂々めぐりにおとしいれる。 P45
「私はこれを得た、あれを得た」と誇る人がいる。
貨幣、金銀、家や土地---
この世に財産と呼ばれるものは尽きない。
が、それらもすべて死が奪い去ってゆく。 P51
あらゆるものは芭蕉の茎のように実体を欠く。
どうして愛情だけが例外であろうか。 P85
家族に救いを求めるな。
それは執着を生む。
執着なき自由に救いを求めよ。 P92
家族があの世で幸福になれたかなどと悩んではならない。
死後の世界については知る手段がないからだ。
わからないことをあれこれ悩んでどうするのか。
よりよく生きることだけを考えよ。 P103
かれには気がつくと子供も妻も親もない。
得た物も捨て去った物すらない。
苦しみはもはや彼の戸を叩かない。
かれは自由という最後の落ち着きを得てしまった。 P108
肉親について色々と思いをめぐらしたところで、
結果は思う通りにはならない。 P110
神の前で呪文を唱え、火を燃やせば
罪業が浄化できるのだという。
もしそれが本当ならば、いつも火を扱う鍛冶屋は、 とっくに
悟っているだろう。 P121
私の教えは「不死の境地」をめざす教えである。
「不死」とは霊感の不滅のことではない。
霊魂の不滅を論じるのは無意味である。
この世において得られる「ゆるぎない安息」、
それが「不死」の意味である。 P147
だれもが老い、そして滅んでゆく。
死をまぬがれる人間はいない。
この「ありのっま」の事実は受けいれがたく、人間の難所
となる。
死の不安、それは」人間にとって最も手ごわい迷いである。
この難所から自己を救い出せ。
像がはまりこんだ泥沼から我が身を脱出させるように。 P154
3.私が考えていること
(1)まず、本書の「おわりに」から引用します。
ブッダという人物は決して完全無欠な人物ではありませんでした。
欠点だらけの一人の人間として生きたかれが、ふりかかってくる
難題の数々をどう切り抜け、逆風をはねかえしたか、それこそが
本書の監修者として私がたずねてたみたいことでした。
その勝手な問いかけの一々にブッダがどう答えたか。その中身は
すべて本書に詰まっています。 P158
(2)誰しもそうですが、自分と波長の合う考え方しか、受け入れな
くなります。
私は、宗教を考える際、絶対的な力を持つ神、厳しい厳しい天父心
る「神」や、最後の審判概念は「にがて」ということです。
どうも、しっくりこない。
ヘンな言い方かもしれませんが「苦悩する人間」に非常に惹かれます。本書に書いてあることは、「当たり前」のことばかりに思える
のですが、自分で感じる「当たり前」がなかなかできないのが、また
人間かと思います。