中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

なぜか、寂しい年末の風景 外的には新型コロナでしょうが、実は内心の問題

1.まず一般論

寂しい年末ですよね。

新型コロナに関して、テレビ、新聞等の大手マスメディアの報道姿勢

は相変わらず、です。

国際比較でも稀有のまじめさの日本人ですが、「自粛」ムードの全国

浸透,東京も、しかりです。

無論、大きな比較の話はできなくて、私が知っている狭い狭い世界

、昼間の東京都内と住居の千葉県新浦安界隈の話です。

ニュースで聞く情報も「限定情報」であり、ロンドンや、パリ、ベル

リンの様子の全体ではないし、「アメリカ合衆国」といってもNYと

フロリダ、また中部のテキサスや、西海岸は違うでしょう。

私は、この時期に飲むらしい「ドイツのホットワイン」は存じません

が、平均的気に見て、今年の年末の欧州、米州のコロナの影響は、大

きそうですね。

「都会は重層的」とはよく言ったもので、ほんと近くにいても、

「世界」が全く違うのは、世界中の都会にありがちでしょう。 

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「年末イメージ」ですが、大掃除でも蕎麦でもなく、鍋としました。

 2.実は個人的理由

(1)別に大した理由はなく、私にお声がかかることが少なく、今は

とてもヒマであるというだけのこと。

昔話を少し、私が「忙しかった」頃の話。

実は昨年のクリスマス頃に書いたものを引用します。

  クリスマスも仕事をしていました。

時間は少しまた戻ります。

私の独身時代、バブルの頃のクリスマスの状況です。

巷では、彼女とどう過ごすか、どこぞの食事がいい、

どこかのホテルは、もう予約が取れない、等々。

経済全体から見ると明るい話題が、日本全体に漂って

いた気がします。

将来振り返ってみると、あのバブルの頃が「日本経済

の頂点」だったとなるのでしょうかね。

おそらく、あの時代は日本に再びは、やってこないで

しょう。

面白くもおかしくもないのですが、ぺいぺいの私は、

当時延々と仕事をしていました。

 これも、当時のステロタイプ的ですが、仕事がえり

にスナックに立ち寄り、スナックママと他のお客さん

と一緒にクリスマス会、という経験はありません。

年末のこの時期は特に多忙で、外の夜の会合に出ても、

腹ごしらえし、アルコールを抑え気味にして、会のお開

き後は再び会社に戻って仕事継続というのが、割とあっ

たような。

勿論、当時の「ぺいぺい」から実務責任者中心で、上の

世代、当時の管理職や幹部は、会合から二次会、三次会

へと流れたと思いますが、、、、。

冷静に振り返ると、

求められる仕事があり、仕事内容はそこそこ面白く、また

しかるべき報酬もあって、いい時代だったかと思います。

当然、今の時代の若者と比較するつもりはありません。

 あくまで、個人的体験であり、マスでとらえて「時代を象徴」とは

言えないでしょうが、時代の切片の一つでしょう。

(2)小人閑居にして、不善を成す。

今日の結論も情けない話で、私が自分の内面と対話の中だけで、充実

した時間を過ごせる場合は、少なく、ついつい、良からぬこと、非生

産的なことを、考えたり、行動してしまう、ということ。

(ほかのところでもきましたが)「働いている」という行動が、他人

から社会から「認知されている」、「必要とされている」と感じるこ

とが大方それが、「誤認」であっても、本人に精神衛生上には、とて

も良いのでしょう。

宗教の創造者や、大哲学者であれば、自分の内面と対話しつつ、広大

な精神世界を作り上げ、(時間軸はともかく)周りや後世の人に影響

を与えることになるのでしょう。

もちろん私にはできません。

書籍や、インターネット情報、生身の人間当を通じて、目や耳の入っ

てくる情報に、即物的に対応して、何等か考えている、ふりをしてい

るいわば「反応」している時間が、私の時間の大半。

「退屈を感じない」「気晴らし」の時間の継続のようです。

そりゃあ、ふと我に返ると、「寂しい」わけです。