中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

「言葉」によって「考える」という当たり前のこと。複数言語ができる人は、やはり不思議。

1.自分が解っていることを話す
最近、哲学概論を、youtubeで聞くことが、よくあります。
語りての本職は、英語講師のようですが、話しぶりも、内容
もお気に入りです。
テーマを決めて、15分から、30分くらいで、背景や歴史を含
む概要説明や思想の通説のみならず、私見を含めた解釈ありと、
よく解ります。
大学、大学院生の頃から哲学書を後半に読み通していたのでし
ょう。当該思想、書籍に内容を本質的に把握しているのみなら
ず、「教える」プロであることも、話の解り易さの一役かと思
います。
4年間以上話をしているようで全部でどれくらい(400話以上?)
あるのでしょうか。
まだ全部は聞き及んでいません。
いずれにしても、自分が解っていないことは、いくら話しても、
相手の心に響かない、ことがよく解かります。
 
2.第二次世界大戦と米国のユダヤ
上記の「哲学講座」を聞きながら、話はずれて、タイトルのこと
を思いつきました。つまり第二次世界大戦前、ナチスドイツによる
「迫害」で、ずいぶん多くのユダヤ系の哲学者やその関連学者が、
米国に流れたのだろうと思います。人文科学、社会科学者の一部しか、
私は、知りませんが、自然科学系の学者やその関連の方も多数いたこ
とでしょう。
単身もあれば、家族ずれも。
「移民の国、アメリカ合衆国」なのでしょう。別件ですが、現在
ユダヤ系の人口が一番多いのが、イスラエルでなく、アメリカ合衆
国だと聞いたことがあります。
著名な子孫もたくさんいて、今般歴史的な中東和平を実現したトラ
ンプ政権のジャレッド・クシュナー氏は、ユダヤ系のようです。
 

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「言葉」を使って「考えている」こと
 3.翻訳と造語に注力した明治の先人 
(1)言葉の言い換えから、また脱線して、明治の先人の話。
 西周(にしあまね)が「哲学」の言葉を作ったと聞きます。
明治維新を迎え、海外から一気に流入した新概念に対し、明治の
先人が苦労しつつ翻訳し、対応する日本語がない場合は「造語」
したのでしょう。
当たり前ですが、概念は「ことば」によって、構築するのです
から、「ことば」は、とても大事です。
考えるに、高等教育(ここでは大学教養過程くらいをイメージ
しているのですが)において、我々は、数学、物理、化学、科学、
世界史、哲学、法学、経済学等々かなりの分野を日本語で勉強し
ていますよね。
ある程度の高等教育をすべて母国語でできる、ということは、世界
を見渡して「あたりまえ」ではなく、素晴らしいことだと思います。
間違いなく言えるのは、私は抽象的な概念を含み、ほどんど100%
日本語で、考えています。(読む本もほとんど日本語です。)
(2)先人の努力に感謝、幸せではありますが、その分、用が足り
ていて外国語ができない、と開き直ります。(これは甘えですね。)
大学や大学院で、「原語」で講義や演習をする場合も多々あると思い
ますが、考えてみれば、当たり前の話であって、該当する概念が
母国語になかったら、当該原語で、進めるしかないでしょう。
同じく、「研究成果」の発表部隊も、「原語」でないと、困るの
でしょう。
遡ると、明治初期の「日本語やの翻訳」がまだ未熟であった時代も
同様だったと、思います。
先人は、今の我々より凱個億語ができた、というのはある意味「必要」
だったのでしょう。
(3)「必要があると対応」の話
仕事上の知人が、海外赴任中の話で、いわく「子供は英語のマスターが
早かった、何故なら言葉が解らないと仲間に入れてもらえないから。
とのこと。
仕事上、とかの悠長な話「仲間」という切実さがあったようです。
 (4)「夢で話す言語」の話
私にも以前、バイリンガルトリリンガルの知人がいました。
何語(複数言語?)で、思考しているのが、不思議でしたが、「夢は、
何語で見るの?」と聞いたことがあります。
この章で言いたかったのは、
諸々の概念を日本語に置き換えてもらった、明治の先人の方々、あり
がとうございます。
といったところです。 
 
4.まとめ的に
哲学から始まって、「言葉」について、思いつくままに書いてみま
した。「よく考えよ」と何気なく使っていますが、「言葉」がないと
「考えること」が出来ないのだ、改めて確認した次第です。