遺言
養老孟司/著
出版者 新潮社 2017.11
1.概要
ヒトの意識と感覚に関する思索は、人間関係やデジタル社会の息苦しさ
から解放される道となる。「考え方ひとつで人生はしのぎやすくなる」
との見解です。
それはそうですか、80歳で叡智の到達点に達したと言える養老孟司さん
が言うと、実感アリ、ですね。
25年ぶりの完全書き下ろし、だそうです。
2.本文から
音楽の訓練をしないと「絶対音感がつかない」のではなく、小さい時
から楽器の訓練をしないと、動物同様に、赤ん坊が持っている絶対音
感が消えてしまう。 P21
「私にはそういうものの存在意義がわかりません」。そう思うのが当
然なのに自分のわからないことを、「意味がない」と勝手に決めてし
まう。その結論に問題がある。なぜそうなるかというと、すべてのも
のに意味があるという、都市と呼ばれる世界を作ってしまい、その中
で暮らすようにしたからである。
意味のあるものしか経験したことがない。そう言ってもいい。 P36
理論が頭の中にあるということは誰でも納得すると思うが、「現実」
も頭の中にあるじゃないか、と言われると「常識に反する」と思っ
てしまう。
常識には反するかもしれないけれど、じつは私は現実も頭の中に
あると思っているのである。だって自分の外に「現実」が存在しよ
うがするまいが、それを「現実」と思っているのはあなたなんです
からね。 P44
この本の文脈でいえば、「分けない主義者」は同一世つまり意識
を重視し、「分ける主義者」は違いの存在、すなわち感覚所与を
重視する。たとえ虫好きの酒席での議論とはいえ、じつはヒトの
世界認識がそこには関わってくる。
分類学や解剖学のような「古く代」分野は、常にこの問題を基
本にしてきた。世界認識のいわば根本なのだから、そこでの食い違
いは喧嘩になって当然であり、だから喧嘩をしていいのである。
そこには「正解はない」からである。差異と同一性、それは人類の
抱えるじつは大問題である。 P46
結論的にいえば、科学とは、我々の内部での感覚所与と意識との
乖離を調整する行為としてとらえることが出来る。それが本書の
主題の一つなのである。 P47
ヒトの意識が「同じ」という機能を持ったからこそ、動物の時代
からあったはずの感覚所与と衝突するだけのことである。それな
らこの問題はたかだか20万年来の問題だというしかない。現在人
が発生し、現代人のような脳をもってから、ほぼ20万年立ってい
るからである。 P69
言葉は「目と耳を同じだとする働き」だと人間は納得する。
動物はそんなことは夢にも考えない。その意味でも「動物には
言葉がない」のである。 P91
生身のヒトはいわば「雑音を含みすぎている」。意味を持たない、
さまざまな性質が生身には含まれてしまう。そんなものは要らない、
面倒くさい。(中略) こうした現在生活は人生の意味を剥奪してい
るのではない。むしろ「意味しか存在しない」社会を作っている。
それが情報化社会である。情報とはすなわち意味でもあるからで
ある。 P147
現にわれわれが生きている時間とはなにか。それは一期一会であ
ろう。ただいま現在である。過去はすでに済んでしまってるし。
未来はまた来ていない。確実な時とは、ただいま現在でしか
ない。 P153
では、何が問題なのか。時間とともに、変化する事象を、変化
しない情報でどう記述するか。それが果たして可能なのか。私
に答えを要求しないでくださいね。毎日、こんなことを考えて
眠れないんですから。 P163
ヒトの生活から意識を外すことはできない。(中略)学問こ
そが、典型的に意識の上に成り立っているからである。
でもここまで都市化つまり意識化が進んできた社会では、も
はや意識をタブーにしておくわけではいかない。 P179
3.最後に(感想文的に)
「はじめに」から、引用すると
「全体にまとまりがついてきた、ヒトとは何か、生きるとは
どういうことか根本はそれが主題」とあります。
確かに大問題であり、私一人で、考えられることではありま
せん。
こういった「大家」知言われる人の考え方も、いくつも引
き出しに入れておくことこそ、読書の有益性と、改めて考
えたものでした。
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